はじめはピクシー

再建失敗エンド *表面的には和やか

「風呂なんてぜーったいいやだど! 入らないど!」
 げしっとピクシーの蹴りが飛んできた。
 真っ白なくつしたを脱ぎ捨てたピクシーは、タオルをかいくぐって飛び上がった。石でできた足場に駆け上り、背伸びしてもニュートが届かないところでべーっと舌を出す。
 一番上のきょうだいにあわせて、きょうだいたちがいっせいにまねをした。一番上といっても、6匹は同時に生まれたやつだから、大きさにはたいして違いはなかった。
 ひどい。なんて恩知らずなんだろう。
 ニュートはぶんっとタオルを振った。当然のように当たらなかった。
 てい、とピクシーが、何かを投げた。それはニュートの頭をかすめそうになったが、ニュートにぶつかる前に明後日の方向に飛んでいく。
 ピクシーたちはこんどこそ慌てて逃げていった。ニュートが振り返ってみると、にっこり笑ったデビイがいる。デビイは、ニュートに寄り添う影のように、いつだってニュートのそばにいるのだ。
「だいぶ苦労してるみたいだね?」
 ちっとも言うことを聞かない。生みの親なのに……。デビイの言うことは聞くのに。そう言うと、デビイは困ったように笑った。
「はじめにピクシーにしたのは間違いだったんじゃない、ニュート」
 ぽい、とデビイが軽く投げ返したものは、まっすぐに飛んでいたずらピクシーにぶつかる。「みぎゃあ」と情けない悲鳴があがった。思わずデビイを振り返ると、デビイは、「そんなに強くやってないよ」と肩をすくめる。
 わがまま放題のピクシーではあるが、苦労して生んだ分のアイチャクはあった。……というよりは、二度も同じ苦労をしたくないというか……。
「そうだよね。数が減ったら大変だもんね? 6匹のうち、メスは1匹しかいないもんね。でも、面白いよねえ、ニュート。もともとは同じ遺伝子のはずなのに、ピクシーたちったら色も模様もぜんぜん違うんだもの。ほら、白黒のあれなんて、新魔界にいたピクシーに近いんじゃないかな?」
 ニュートはぼんやりとデビイの指さすほうを追った。
「どうして白と黒と灰色しかないのに、鮮やかなピクシーが生まれるんだろうね。それに、一匹一匹模様が違うし……。ねえ、ニュートはどんな模様のピクシーが好き?」
 あっちこっちには、未熟なピクシーが遊び散らかしたつたない建築物があった。小さなピクシーが気ままに作り上げた建物は、積み木遊びのように無邪気なものではある。変な位置に扉が付いていたり、ねじれた廊下が廃墟のように伸びかけていたりする。それにしたってピクシーのやることだから、石のレンガはしっかりとモルタルで接着されていた。
 デビイが指で宙をなぞると、建築物未満の無邪気な残骸がばらばらと崩れて土くれに戻る。小さな虫が逃げ出していた。

***

 デビイの言うとおり、はじめにピクシーにしたのは間違いだったかもしれない。
 ピクシーだったら、建物を建てられるし、それだけじゃなくて森や川だってつくれるし、あとはちょっと愛嬌があるから、いてくれたらさみしくないかな……と思ったのだ。
 でも、ピクシーたちはぜんぜん言うことを聞かない。生みの親を敬うということもない。いたずら放題で、手を焼くばかりだった。
「はい、ニュート」
 デビイは、どこか懐かしいベンチを出すと、ニュートのために場所を空けてくれたる。
 ものを作り出すことなら、デビイがやってくれる。
 それなのにどうしてピクシーが必要だったんだっけ……。ニュートがデビイに問いかけると、デビイは心底意外そうな顔を浮かべ、首を傾げた。
「? ニュートが、やりなおしたいんじゃなかったの?」
 そっか、と、ニュートは思った。
 ベンチの足には、ツタが絡まっていた。魔界の植物は宵闇のなかでもよく伸びる。ギザギザした黒い葉っぱ。
 どこか懐かしかった。どこだっけ、この場所は。しばらく記憶をたどって、お城の裏庭だったかな、と思い出した。
 かつてあった魔界は、すっかり影も形もない。暗闇に浮かぶ城の一つ、見覚えのある建物の一つ、ここにはありやしないのだった。黄色い月の影すら、どこか違う気がする。
 面影があるのは、暗闇にゆらめくオーの炎だけだった。
 あとどのくらい産んだら、魔界を元通りにできるのだろうか。
 なにもなくなった魔界を元通りに作り直すのはたいへんに骨の折れる作業になりそうである。 テューポンとルシファ率いる新魔界に破れたニュート。もう一度やり直したいと願ったニュートのために、デビイはこのからっぽの箱庭をくれた。
 もとの魔界がどうだったのか、ニュートはもうぼんやりとしか思い出せなかった。
 そっくりその通りに作ってくれたとしても、ニュートがそれをその通りだと思えるかどうかはわからないだろう。
「まあ、ピクシーは我の強い種族だけど……。子供なんて、親の言うことを聞かないもんだよ。よく考えてごらんよ。ニュートだってそうだったんじゃない?」
 どうだっただろう……。
 でもそうだ、このベンチは懐かしい。つやつやした木目をなぞっていると、デビイはにっこり笑って、ニュートの好きなジュースをくれた。甘くてすっきりした味がした。何が入っているのかは知らない。
「ニュートはこれが好きだったものね」
 デビイに言われて、そうだったっけな、とニュートは思った。デビイが言うなら間違いはないだろう。思い返せば、デビイの言ったことで間違っていたことなんて何一つなかった。それでもデビイはニュートにいちいち確認をとる。
 いっそのこと、全部決めてくれたらラクなのに……。
「次はフランケン一族なんてどう? 彼らならきっと穏やかだし、きっとニュートの力になってくれるよ。でも、ああそうだ。フランケン一族は人造人間でしょう……。だから、まず、シュタイン博士を生む必要があってね……。それよりニュート、見慣れたみんながいなくてさみしくないの?」
 話を振られて〝みんな〟のことが、一瞬だけはっきりと脳裏に浮かび上がる。
 ポラの香水の香りを思い出した。頬をぬらすマーメルンの水しぶきを。抱き上げる時はそっと触れるフランコールの優しさを。
 ニュートはデビイを見た。デビイはニュートを見た。デビイはいつもニュートを見ていた。デビイの紫の瞳がこちらを見返している。見つめているうちに、たしかに思い出したはずの気配に、だんだんと自信がなくなってきた。
「ねえ、ニュート、吸血鬼とか、人狼とか、ゾンビだったらきっと増やすのはラクだよ。なんたって一度生み出したら、勝手に増えてってくれるし、人間界はまだあるからね。……人間はたくさんいるでしょう?」
 ニュートは首を横に振る。
 もう誰にも痛い思いをしてほしくない。ひどい目にあってほしくないのだ。それはもちろん、じぶんを含めて……。
 デビイはカタログでも見るようにして、分厚い本を呼び寄せた。
「ね、ニュート。つぎはどの子供が欲しい?」

2022.07.20

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