金色ガチョウさん
廊下を歩いていたフランコールは、歩くときに巻き起こった風で、何かが部屋の隅に吹き飛んでいくのに気がついた。
「あら……?」
しゃがみ込んで手に取ってみると、それは鳥の羽だ。
(……ううーん、なにかしら。クッションが破れたのかしら? それとも、厨房から鳥でも逃げ出したのかしら?)
しかも、ただの鳥の羽ではない。黄金に輝いているのだ。あたりを見回すと、廊下には、鳥の羽が点々と落っこちていた。
それは王座の間に続いている。
入室を告げると、フランコールは問題なく通された。
「まあ……」
目の前に広がる光景を見て、フランコールは思わず目を丸くした。
それもそのはずだった。
何度見ても、王座には光り輝くガチョウが座っていたのだった。
正確には、光輝の輪を持った金色のガチョウが、魔界王ニュートのひざのうえで羽を休めていた。そして、そのニュートは、ベーケス2世に座っている。いちばん下のベーケス2世はガチョウを座らせるニュートを座らせ、憮然と王座の肘置きに寄り掛かっていた。
「その……笑ってもよろしいやつでしょうか?」
「よくない」
ベーケス2世は不機嫌そうに言った。
「だが、きみで助かった……。吸血鬼の威厳も形無しだからな。ほかの連中に見られたらなんと思われるか……」
「好きでそうされているわけではないんですね。いったいどうされましたの?」
とれなくなっちゃった……。
ニュートがガチョウを持ち上げようとすると、ガチョウは慣性を保とうとした。つまり同じだけ持ち下がったのだ。その場にとどまろうと、伸びたガチョウの足がぐぐっと伸び、水かきのついた足でニュートの頬を押しのけた。ニュートがあきらめると、ガチョウはどっしりとくつろぎはじめる。
「まあ、これにはわけがあってな……」
魔界の石炭を生産の息抜きの散歩は、ニュートの日課となっていた。
湖のそばを散歩していると、切り株の上に、光り輝く金のガチョウがどっしりと座っていたということだ。
もちろん、ニュートは近づいていった。怖そうな牙や爪があるわけでもない。単に光っているだけのガチョウだったからだ。
なんとも珍しいガチョウだから、ベーケス2世に見せてあげよう。はりきって持ち上げると、なんとまあ、羽に手がくっついてしまったのだという。
びっくりしたニュートは、ベーケス2世のもとに駆け込んできた。それを引きはがそうとしたベーケス2世もまた羽の魔力にとらわれ、離れられなくなってしまったのだ……。
「なんの魔術か知らないが、こいつの羽に触ると手がくっついて離れなくなるらしい」
「そうですか……」
「で、こいつはくっついたやつに触ってもくっつくようでな、このとおり……。おかげでこのありさまだから、俺は、すっごく、困っている!」
「……。そうなんですのね」
「違う! わざとじゃない。わざとじゃないからな。知らなかったんだ。二次被害が起こるってのは……。コイツ、頭の輪っかを見るに、どうやら、天界から迷い込んだらしいが……はあ……」
ベーケス2世はニュートを座り直させた。
「ニュート、ワケの分からないものに自分から触るなといつも言っているだろう? 城の誰かに命じればいいんだぞ。それに、お前は念力だって使えるんだから……」
小言を言っているわりには、ベーケス2世の声色は厳しいものではない。
ガチョウは、魔界の最高権力者をゆうゆうと尻に敷き、くちばしを羽の間につっこみ、くいくいひっぱって羽を繕っていた。
「そうですね。なんとかしないと困りますわよねぇ……」
「それは別にいい。後回しでいい。このままでも仕事はできるからな」
「え?」
え? と、フランコールと一緒にニュートも声を上げる。
「まあ、困ってはいるが、特に深刻に困っているわけじゃないからな。今日が終わるくらいまではこのままでいい」
ひとりでに動くペンが、器用に書類にサインしている。
……半年ものあいだ、念力ですごしてきただけある。
困るからなんとかしてほしい。
ベーケス2世のかわりに、ニュートが泣きそうな声を上げた。
「……。午後くらいにはなんとかしろ」
「ええと、かしこまりました。天界に使いをやりますわね」
すぐにお願いね、とニュートが言った。
「あとからでいいからな。きみだって忙しいだろうし……」
◆◆◆
フランコールはお辞儀をすると出て行った。ぱたん、と扉の閉まる音がする。
「コレで一安心だな、ニュート。さて、続きをするか」
さっきから、どうにも他人事というか、いまいち真剣さがないように思える。
絵面としては間抜けなのはわかるが、伴侶なんだから、もっとちゃんと一緒に困ってほしい。ニュートはほんとに困っているのだ。これでは石炭も増やせはしない。
「午前中は頑張ったんだろ? ちょっとくらいサボったって大丈夫さ! ま、文句をいうやつもいないだろうし……」
ベーケス2世はたぶんそ知らぬ顔でニュートを抱き寄せ、頬をぺとぺとくっつけてくる。
……トイレに行きたくなったらどうするのか。
「なんだ? そんなことが心配なのか? 連れて行ってやるから大丈夫だぞ! 幼いお前の世話をしてきたのは俺だし、俺の気持ちはあのときから、ちっとも変わってないんだぞ……」
それはそれで問題がある。
「お前も変わってない。昔からお前は、何かあると俺に見せに来てくれて……」
グアッグアッとガチョウがニュートの膝から抗議するような声を上げる。
「でも、そうだな。ニュートは困ってるんだな。無事にこいつがとれたら、きゅっとしめて、一緒に血を飲んでやろうか。ははは」
急に物騒な方向にかじを切ったベーケス2世に、ニュートは慌てる。
そこまでしなくていい、殺しちゃうのはかわいそうだ……。
「ジョウダンだよ、ジョウダン」ベーケス2世はけたけた笑った。
きみもピンチだから、ちゃんとピンチみたいな顔をするといいよ。
ニュートがガチョウをゆすぶると、ガチョウは相変わらず頭に「?」を浮かべてぽけっとしていた。
目の前の光輪がまぶしかった。
「やっぱり、魔界の生き物じゃないな。あったかいから……」
ベーケス2世がくっついているのはじぶんのほうであって。ガチョウではない。
ニュートが指摘すると「……ニュートもあったかいな」とベーケス2世は言った。
◆◆◆
(ゆっくりでいいとはおっしゃっていましたけれど、ニュート様がおかわいそうですわよね……)
あの様子だと、着替えだとか、用を足すにも一苦労しそうだ。
フランコールは忠実な使用人である。
お宅のガチョウさんが迷子ですよ、と、天界に使者を送ったことを報告しに戻ってくると、王座の間が何やらさわがしくなっていた。
「まあ……」
扉を開けて、フランコールは再度声を漏らした。王座の間は、家臣たちでぎゅうぎゅう詰めになっていた。
「馬鹿犬! 触ったらくっつくっつったろうが!」
「いや、だからはがしてあげようと思って……」
「だから、くっつくと言ったんだ!」
「だ、だからはがしてあげようかって……あっ。2世! 暴れないで。今僕をつったら2世も……わーっ!」
ウルハムだけではない。
いつのまにか家臣たちが数珠つなぎになっていた。
「ニュートちゃま! ごめんなさいー! わたし、馬鹿だから、馬鹿だから、助けようとおもってぇ……」
「お許しください! お許しください! ニュート様。その……。ああっ、一生の不覚です! 申し訳ありません!」
「スケルナイト! 違うのよこれは! わざとじゃないの……これは……違うわ! 私そんなつもりじゃ! きゃっ!」
魔界の人間関係の複雑さの縮図のような地獄絵図となっていた。
「……っ! 死んで詫びます! ああっ、剣まで手が届かない! ああ! どう、どうすれば……」
こんがらがった家臣たちの中、ガチョウが悠々とあくびをしている。
「ね、ニュート。助けてほしい?」
唯一、無事なデビイはにっこり笑ってニュートに聞いた。
がっくりうなだれたニュートが言った。
ラクになりたい……。
「ニュート! よせ。だめだ。やめておいたほうがいい。ソイツはダメだ。フランコール、きみがなんとかしろ……」
「ええと、それは、いつまでに……」
「いますぐなんとかしろ!」
「そうおっしゃいましても……」
とにかく、小さいニュートとゾービナスをつぶれないように引っ張り出して、持ち上げる。
すぐに天界からのお迎えがやってきて、金色のガチョウは薄い布にくるまれ、丁重に天に昇って行った。
なんとか、夕飯のスープになるのは回避したようである。
「まったく、一体どうなってるんだ、天界の連中は……」
なんだかんだ言いながら、ベーケス2世はすっかりごまんえつのようだった。
ベーケス2世は表面的にはかなり腹を立てているようではあったが、お使いが持ってきた麦にガチョウが見向きもしなかったところを見ると、おそらくこっそりとご飯をもらっているはずだ。ガチョウはいなくなっていたが、王座に座りながら、ちゃっかりと膝にはニュートをはさんでいた。
参考元:グリム童話『黄金のガチョウ』
2022.12.29