ハリボーのハッピー・ワールド
吸血鬼になったニュートがハリボーしか食わんのだが?
魔界の石炭を生み出す傍ら、ニュートは今日も今日とて幸せそうにグミを頬張っている。
可愛いクマを象った、人間界では定番の菓子。その名も、『ハリボー・ゴールドベアー』。
「……」
そんな己の配偶者のすがたを見ながら、ベーケス2世は笑顔のままに固まっている。
……あ、食べる? とニュートはハリボーの袋を差し出した。
「いや……いや! 俺は大丈夫! 俺は大丈夫だから、ニュート。それは……お前のだから、ダイジに食べなさい」
うん、とニュートは袋を大事そうに抱え、再びグミにとりかかりはじめた。
袋には、人間界の文字で何か書いてある……。もしも人間界の文字が読めたのなら〝子供も大人もそれが大好き ハリボーのハッピー・ワールド〟と書かれているのが分かっただろう。分かったところでどうしようもないが。
ベーケス2世はハッピーではない。
ハリボーのゴールドベアーは、人間界では定番のお菓子、らしい……。グミというのは、果物の果汁などをゼラチンで固めたものらしい……。
「らしい」ばかりなのは、人間界の知識の乏しいベーケス2世には仕方のないことだろう。
しかし、少なくとも、ハリボーのゴールドベアーは、血液でもチョコレートでもない。だからそもそも吸血鬼が食うもんじゃあない。でも、なぜか、ニュートはハリボーしか食べない。その姿はカンペキに吸血鬼であって、たしかに牙まで生えているのに……。
偏食。
もっちもっちと幸せそうにグミを咀嚼するニュートを見て、ベーケス2世はなんとも言えない顔をするしかなかった。
◆◆◆
そもそも。そもそもである。
どうしてこうなったのか、ベーケス2世にはわからないのだ。
吸血鬼になったニュートは、ロクに食事をとれなかった。血がダメだった。味がそもそもダメらしいし、無理に飲んでも吐き出してしまう。かわりにチョコレートを一粒、二粒食べていて、それで身体がもつわけもなく、フラフラして、しまいには倒れていたものである。
ベーケス2世は、吸血鬼になった伴侶が心配で仕方がなかった。
なんとか食べられるものを、と、散々魔界を探し回り、血の流れているものなら、すべてから血をせしめ……それでもなにもかもぜんぜんだめで、ああ、どうしたことかと心配していた。
そんなときだった。
人間界から召喚されたやつが、たまたま、持っていたのだ。
ハリボー・ゴールドベアーの食べかけの袋を。
ベーケス2世が止める間もなく、ニュートは一口、クマの形をしたグミを食べた。一つ食べて、それから目を輝かせて、無言でもちもちと食べ始めた。
「ニュート? おい、ニュート」
ベーケス2世の制止もきかず、ニュートは夢中になってクマを狩りつくしていた。
いや、それは吸血鬼としてアリかナシかでいったらナシだ。腹を壊す前にやめておけ――と言いたかったのだが、なんと……ニュートは腹を壊すことはなく、ハリボーなら問題なく食えるということが判明した。
だから、うん、まあ……。食べないよりか、マシ……ではあった。
「ニュートったら、面白いよねえ」
と、わりとのんきな声色で言ったのは、幼なじみのデビイであった。人間界に帰るとばかり思っていたのに、「ニュートとはずーっと一緒なんだ」、と言って、ちゃっかり魔界に居座っている。これで魔物とも上手くやっているのだから追い出せない。
若干、他人事なような……。
「……あいつは昔から、ああなのか。グミを……その、主食にするのか」
「え? ううん、ぜんぜんそんなことはないよ! 嫌いじゃなかったはずだけど。あはは。無種族から吸血鬼になった影響かな? それとも、魔界王の力が影響しているのかも……」
「適当なことを言うんじゃない」
「でも、否定できないんじゃない?」
「……」
それはそうだ。
なんたって、無種族から吸血鬼になった魔界王の例はないのである。
◆◆◆
ニュートがグミを食べるようになってから、城はずいぶんにぎやかになった。いや、視覚のはなしである。
魔界の石炭は、ニュートの食べたハリボーの色によって若干、色を変えるらしい。前の魔界王はアメジストのような色だったが、ニュートの石炭は黄色が多めであった。これは、パイナップル味とレモン味であるのだろう。……よく見ると妙に愉快なマーブル模様が形成されている。というわけで、みんな、じゃあここは緑にしようとか言って、ランタンは好き勝手に配置されている。
城をパーティー会場にでもする気か。
茶色っぽい石炭を見ると、あ、コーラ味ばっかり選り好みしてやがる、とか、そういうこともわかる。もっとちゃんとバランス良く食え……とは、言わない。……栄養バランスはどうなんだ……その前に、どうせ吸血鬼である。
「ベーケス2世は、ニュートがグミしか食べれないことを、ずっーと隠し通すつもりなの?」
「当たり前だ。グミしか食えん吸血鬼なんて……! ああ、なんと言われるか……。いや、なんと言われるんだ……? なんと……」
未知すぎる……。
恐ろしいことに、家臣の一部にはハリボー狂いであることがバレていた。どこから嗅ぎつけてきやがるのか、ニュートがハリボーしか食わないことを知ると、みんな生き生きと餌付けし始めるのだった。
「ニュート様ぁ~! よろしければこれぇ……あーん……あっ」
危ないところであった。
ワクワクとしながら袋を開けるウルハムからグミを取り上げ、ベーケス2世は念力でニュートに食べさせる。「僕があげたかったのに……」と言うが、この犬は威圧しておけば黙る。じろりと睨めばすごすごと引き下がるのだ。続きを投げて投げて、とニュートは言って、ウルハムが投げたグミをふよふよ引き寄せて食べている。これは、うーん……まあよいか。よいことにした。手で受け取って食べるのと変わらないことであるし。
「ニュート様、こちらをどうぞ」
「……」
スケルナイトもまた、ちょいちょい人間界に降りてはハリボーをどこからか調達してくる……このグミのために余計な犠牲が出ているかもしれない。まあ、人間のことはいい。
それよりも心配なことがある。
箱に入った在庫をたしかめ、ベーケス2世はため息をついた。
在庫である。
一袋のカロリーは350キロカロリー、ニュートは1日におよそ6袋のハリボーを平らげる。
(……)
ハリボー・ゴールドベアーは人間界の食べ物だ。人間界にしかないのである。
◆◆◆
魔界王ともなれば、どうしても社交の場というものがあり、みなの前で食事しなくてはならない時が来る。血を注がれたグラスを持って、ニュートはぼーっと水面を見ている。そういうときは、ベーケス2世が隙を見て、伴侶のぶんの血を飲んでやるのだ。というわけで、ここのところ、会食の際には倍飲まなくてはならない。ちょっとつらい。
(おい、今のうちに補給しておけ)
ニュートはコクコク頷いて、ベーケス2世の背中に隠れてハリボーをたしなんでいた。
……。
背中に控えめにくっついたニュートがもぐもぐやっていると、振動が伝わってくる。食事しているところは良い。それがちょっと心地よかった。気配がちゃんとあるのが良い。
食べられないよりはずっとよいから……まあ……。ニュートがものを食べているところを感じると、ベーケス2世は心底ほっとするのだ。ああ、寝込んでいるときのニュートは、ほんとうに気の毒そうであった!
食べれるものがあるならいいんじゃないか。
と、ベーケス2世はそう思ったけれども……。
なんとか、血も飲めるようになってくれないだろうか。
なにもめんどくさいからとか、そういう理由ではない。
人間界にあるといっても、ハリボーはどこにでもあるワケではない。人間界の「ごく一部」にしかないのだ。
もしも、供給路を絶たれたら?
もしも、人間界になにかあったら?
ひどい金融危機が起こって、『ハリボー』が倒産して、あのグミが生産中止になったら?
――ああ、ニュートがめそめそして、石炭がなくなって、魔界が終わるのだ。なんたるバタフライエフェクトであろうか。
世界の存亡はあのグミにかかっている。
◆◆◆
「ニュート……」
ハリボー、食べないか?
と、ベーケス2世が誘うまでもなく、袋が「がさっ」といった音でニュートが跳ね起きた。明らかにワクワクしながら寄ってくる。すっかりハリボー狂いである。
「なあ、ニュートはどのクマが好きなんだ? 目をつむって……今から俺がニュートの口に入れるハリボーが、何色なのか当ててみておくれ!」
うん、と言って、ニュートは素直に口を開いた。
「……」
ひとつ、試してみたいことがあった。
グミならなんでもいいんじゃないだろうか?
べつのブランドでもいいんじゃないか。何も、ハリボー・ゴールドベアではなくてもいいのではないだろうか……。ほかのグミでもいいんじゃないだろうか。
そうしたら、ちょっと選択肢が増えて、楽になる……。リスクヘッジができる。
ベーケス2世はそっと後ろ手に隠したノーブランドのグレープグミを取り出した。
これが食べられれば、ちょっと選択肢が増える。HARIBOが滅びても、魔界までは滅びなくて済むのである。
「はい!」
ニュートはぱくっとぱくついて、もぐもぐと食べている。
もぐもぐと……。
もぐもぐと……。
もぐ、もぐ……。
ゆっくりと、ペースが落ちた。
ニュートよ、俺を信じろ、とベーケス2世はにっこりしてニュートを見つめた。そうだよね、と、ニュートが笑って、またペースが元に戻った。
上手くいった! と、思ったのだけれど、ニュートの動きが、だんだんとゆっくりになっていった。
そして、止まる。
これはクマじゃない……。
ニュートの眉が、ものすごく困った角度になっている。いまにも泣きそうな顔をしていた。
「……。すまん……ニュート! まちがえた!」
◆◆◆
ああ、ハリボーじゃないとだめなのだ。そういうものなのだ……と、ベーケス2世は思い知った。
俺が俺でなければならぬように、ニュートでなければならぬように、ニュートはハリボーでしか生きていけないのだ。ハリボーしか食わんのだ。
今日もまた、ニュートは黙々とハリボーを頬張っているのだった。
「グレープフルーツかー? いいな、ニュート!」
ニュートは笑顔を見せた。
……建てるか、工場……。
ベーケス2世が魔界の近代化について思いをはせていると、来訪者がやってきた。ウルハムだ。
「ニュート様~! あ、2世もいた」
「俺たちの部屋だが??」
というか、やってくる頻度が高くないか? 昨日もきてやしなかったか? ベーケス2世はいぶかしんだ。
「あのお、これぇ、よろしければ! どうぞ~!」
ニュートがハリボーの気配を察して飛んでいった。
タッパーに入ったハリボーは、なんだか液体に浸かっていて、いつもの1.5倍くらいに膨れている。
「なんだ、それは」
匂いをたしかめるに、どうやら酒に漬けられたものらしい。
「さいきん、僕、料理に力を入れてるんです」
「これは料理か?」
「まあ……? それじゃ、後で感想聞かせてくださいね~!」
うるさい犬は、ベーケス2世の不機嫌を察してとっとと帰って行った。
「洋酒……」
洋酒……。ベーケス2世は舐めてやめたが、もしこれが通用するなら、もしかしたら血液に漬けたら、などとブッソウなことを考えている。ニュートがらんらんと目を輝かせて、パクパクとハリボーを食べ始めた。
……。
これもいけるらしい。形態がハリボーであるなら構わないらしい。少し、希望が見えてきた。
「おい、ニュート、酔っ払わないか? ……ほどほどにしとけよ」
食べる? とまたニュートが聞いてきて、ハリボーをくわえている。行儀が悪いが、とりあえず二人きりなので良い。
「……ん!」
ハリボーは要らないが、なんとなくキスだけしたかった。
吸血鬼のキスは慎重である。牙を避けないとケガをするからだ。いや、魔界の生き物はそうなのか。ニュート、と名前を呼ぼうとすると、ニュートの唇からぽろりとハリボー・ゴールドベアーが離れて、ベーケス2世の口の中に落っこちた。
ニュートが、迷わずハリボーを追いかけてくる。驚いて声を上げそうになった。けれども、喋るとケガをするので、キスに集中することになる。
◆◆◆
(あれは厳重に規制しよう)
ニュートは酒に弱かった。うっかりニュートがたいへんなことになるので、ウイスキーに浸されたハリボーは、ベーケス家ではしばらく取り扱い危険物の位置を占めることになった。ニュートでは届かない棚に置き、念力でも動かぬように漬物石を置いておいている。新しく発見された好物を禁じられたニュートはまいにち棚の前に立って抗議しているが、ベーケス2世は断固として譲らなかった。
「ニュート、ありゃだめだ! 少なくとも俺がいる前じゃないとだめだ。お前は信用ならん!」
けち、と怒ってそっぽを向いたニュートは、代わりにハリボーのサイダー漬けをせっせと口に運んでいるのだった。
「やあ、ニュート、サイダーならいけるんだって? それじゃ、ラムネとかはどう?」
「ニュート様ぁ、どうですか。ヨーグルト漬けっていうのがあるらしくってぇ」
デビイとウルハムがせっせとニュートの好物を開拓している。チョコレートまで、そして血液まではあと何手かかるんだろう……。
ベーケス2世はちょっと遠い目になった。
でもまあ、ニュートが元気ならいいかな、と、結局は思っているふしがある。
2022.04.21
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