ニュート一族の繁栄と没落

*結婚後、ベーケス2世呼び

 ベーケス2世は不機嫌だった。
 それというのも――伴侶であるニュートが、ベーケス2世が城を留守にしているあいだ、人間を寝所に招き入れているだとか、とっかえひっかえよろしく遊んでいるだとか、不名誉なうわさがまことしやかにささやかれていたのであった。
 もちろん、ベーケス2世はニュートを信じている。
 吸血鬼になってまでじぶんと結婚してくれた伴侶である。
 そのようなうわさは、しょせんうわさにすぎない……そう思っていたところに、幼なじみからのタレコミがあった。
「だ、だからー……、ニュート様の部屋に遊びに行ったとき、ソファーから知らない人の匂いがしたんですよ。それも、一人や二人じゃなくて……たくさん……。……え? なんでニュートの部屋にって……いや、ふつうに遊びに行ったんですけど、ニュート様は留守で……。そうなるとソファーで待ってることになるじゃないですか。わーーーーっ、降ろしてください!!」
 望み通りに離してやると、ウルハムはべちっと床に落っこちた。見た目以上に頑丈なので、「おう、イテテ……」などと言っていた。
 本題に戻る。
 まさか、ニュートに限って自分を裏切るようなことをするはずがない。……それも結婚して一月も経たず……とは思ったものの……。ベーケス2世はちょっと不安になってきた。仕事を切り上げ、早々とニュートのもとに向かうことにした。
 実は、ベーケス2世にも、新婚早々、伴侶をほったらかしていた自覚はあったりした。死ぬほど仕事が忙しくて、ニュートにかまけてられなかったのだ。
 正面から部屋に入る気にもなれなかったので、とりあえずマントをなびかせ、空を飛び、ニュートの様子を外から覗いてみることにした。言いつけの通り、カーテンはきちんと閉められていた……。
 カーテンの向こうでは、ひとつだけではない人影が揺れていた。血の凍るような思いがした。力任せに窓を開けると、伴侶が見知らぬ男をソファーに押し倒していた。
「ニュ……」
 ニュートは、ぱっと顔を上げると、ベーケス2世のもとに駆け寄ってきた。ベーケス2世は振り上げた念力のやりばをなくした。ニュートはぎゅうっと抱き着くと、言った。
 今日はベーケス2世は遅くなると思っていたので、うれしい。
「……?」
 手の甲で唇の端にくっついた血をふいたニュートは、ベーケス2世も一緒にするか、と尋ねた。
……どう答えたらいいかわからなくなる。
「なにしてたんだ? ……食事でもしてたのか?」
 死体かなにかだったのか?
 しかし、ソファーで寝そべっていた男は無事で、申し訳なさそうに起き上がってきた。

「仲間を増やしていた、だってーー!?」
 ベーケス2世は頭を抱えた。
 なんと、ニュートは人間に噛みつき、吸血鬼の仲間を増やそうとしていたらしいのだった。
 婚約式の日にベーケス2世がニュートを噛んで吸血鬼にしたように、ニュートもまた吸血鬼を増やそうと……していたらしい……。
 ニュートと一緒にいた男は、吸血鬼になりたいと申し出た人間だった。じろじろと眺めてみると、男の顔立ちは、よく見るとニュートのタイプでもなさそうだ。
……たぶん。
「怒ってるのかって? そりゃあ、怒ってるぞ。貴重な魔界王の血を、ベーケスの血を……勝手にばらまこうとするなんて……敵をわざわざ増やすようなものではないか!」
 ニュートをほったらかすべきではなかった。外は大きくなったように見えても、中身はあほなのだ……。
 みんなに喜んでもらえるのが嬉しくてどんどん噛んでしまった……。
 と、ニュートはしゅんと反省している様子を見せた。
……それでも、内心ほっとしていた。ニュートはじぶんを裏切ろうとしていたわけじゃない。手伝おうとしていたのだ。愛するあまり。
 もともと、無種族のニュートである。魔界の石炭を出す魔界王の力以外は平均か並、念力も、ベーケス一族の基準からしたらお話にもならないくらいのものだ。
「……わかった。ニュートをほったらかした俺も悪かった。今回の失敗は水に流してやろう。でも、ほかのやつに口を付けたんだから、キスはしばらくなし! ……しばらくってどのくらいって? それはニュートの反省によるぞ」
 元人間の吸血鬼のひとり程度なら、こっそり消してしまえば問題はない。せっかくニュートが生み出したのに気の毒ではあるが、仕方がないことだ。
「一回だけだからな。え? 一回は一回に入るか、って? ニュート、そりゃどういう意味だ?まさか、一人ではないのか――。何人かいるのか?」
 聞き出して、とにかくすべて始末しないと……。焦るベーケス2世に、ニュートはそっと耳打ちした。
「三十七人!?」
 思っていたよりもはるかに上回る数字に、ベーケス2世は愕然とした。
「三十七……三十七っ……!?」
 結婚してから一か月。
 単純計算で、一日にひとり噛んでも追いつかないレベルである。

「ニュート様、次の方がいらっしゃいましたわ。あら?」
「送り返せ。……フランコール、きみまでグルか?」
「そういうわけではございませんが……」
 その数、合計で三十七人。
 ベーケス2世が忙しそうだから、味方を増やしてあげたかったのだと言われると、やはり強く怒ることもできなかった。
 ニュートの血液は、薄い代わりにすさまじく予後が良いらしい。念力もちゃっちいが、さして痛くないし、ちょっとお熱を出すくらいで済むというのだ。
 ニュートの血は吸血鬼にしてもらえなかった人間たちの群れで評判になり、血が血を呼んでこの騒ぎになっているというのである。
 何よりも価値のあるベーケスの血を大盤振る舞いされたのは頭が痛くなる問題だ。
「とにかく、もうここまでで打ち止めだ」
 ニュートは慌てて言った。中途半端に変えてしまったらかわいそうだから、せめて最後まで噛ませてほしい。どういう意味かと尋ねると、ニュートは血が薄いので、三度噛む必要があるらしい。
「予防接種か!?」
 こうなると、一日で一回ではとうてい足りない。朝昼晩、ついでにごはんにしていたようである。どうりで、食事をとらないと思っていたが……。
 ニュートが築き上げたコミュニティーは、すでにひそかにはどうこうできない規模になっていた。
 これだけ盛大にやらかされていると、いっそ全く気が付かなかった自分が怠慢ですらあったような気がしてくる。
 部屋を出てみると『吸血鬼希望者 控室はこちら→』という看板まであって、吸血鬼になろうとする者たちであふれていた。
(魔界王だぞ!)
 一人増やせばそいつがまた一人、一日に一人増やしたとして倍、次の日になればさらに倍。すでに収集がつかなくなっているのは想像に及ばない。
 もはや、事態の収拾は不可能だ。全部を始末することなどできない。

***

 ベーケス2世は、いやしくも王の恩寵を受けた彼らを適当な人間界へ追放することにした。間違ってもこっちに戻ってくることのないように、厳重に扉を封じたのだった。生を終えたら、そのまま天界なり冥界なりに行ってもらうことにする。
 集合に答えてわらわらとやってきた奴らは吸血鬼とは思えないくらい念力が弱く、耳もまた短く、先が丸いのだった。
 仲間とは言われないと気がつかないほどだ。
 このままではいずれ、吸血鬼と人が見わけがつかなくなるのではないだろうか……。
 帰り道、魔界の石炭を撫でると、しずしずと帰っていく。そこには悲壮感というものはなく、なんだかバカンスにでもいくようなあっけからんとした空気があった。なんだか似ている。雰囲気が。ニュートに。
「え? なんで石炭を触ってもらってるのって? 記念だぞ、記念。連中はもう二度と……いや、たまーーーーにしか戻ってこれないからな。そうなると、魔界の石炭を見ることもないだろう? だから、いまのうちに存分に触ってもらっているわけだ」
 万が一にも、魔界王の力を発揮する者などがいれば処分するつもりだったのは言うまでもない。幸いにしてそのようなものはいなかった。

***

 こうして騒動は収まり、遠い日のことになったのだった。
「ニュート」
 石炭を生産する傍ら、うっかり居眠りしているニュートをみつけて、ベーケス2世はほっぺを軽くつねった。寝てない、寝てない、とニュートはあわててかぶりをふった。
 このふぬけた顔を見ていると、ベーケス2世はときどき思い出す。
 ニュートの血を受け継ぐ一族は、今もどこかの人間界で、独自の文明を築いているのだろうか。
 どうせ全滅しているだろう……、と思いつつも、どこかでしぶとくはびこっている気がしてならない。

2023.01.28

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