かっこよすぎて見れない

*新婚初夜(年齢制限はないぞ!)

「ニュート~~~~! どういうことだ!? 一緒に寝たくないって……!?」
 ぶわっーとあたりの空間が揺れた。ニュートは寝台の上に小さく縮こまった。ベーケス2世は我に返って、机の上で弧を描きながらカラカラと揺れたグラスを押さえた。
 それから、ゆっくりと両手を広げて、にっと笑うと、いつものように敵意がないことを示すのだった。念力を操る吸血鬼にとって、それには全く武装解除の意味は含まれないわけだが……それはともかく、形式や態度というのは大切だ。伝統や格式なんかと同じくらい。
「あ、すまん、すまん……。大きな声を出してしまったな。怯えさせるつもりはなかったんだ……。ニュート。で、なんだって? なんて言った? 俺はたぶん聞き違えたと思うんだが……」
 ニュートは耳を塞いでふるふると首を横に振っていた。ニュートが、さっきから目を合わせてくれない。涙目で小さく囁いている。
 別々に寝たい……。
 小さいわりには、ニュートの声ははっきり響いた。
「……寝たい? 別々に?」
 ニュートはこくりとうなずいた。
 新婚生活の第一歩は、思い切り暗礁に乗り上げたらしい。
「……婚約式でいろいろタイヘンだったから、疲れてるんだろ? ほら、寝るぞ! ほら! ニュート、何もしないから! な! なーんにも!」
 ところが、布団をポンポンしても、ニュートはうんとは言わないのだ。
 なぜだ。
 どうしてなのか、ベーケス2世には理解できなかった。
「……人間は結婚したら普通は一緒に寝るものなんじゃないのか? ベッドもこの通り、新しい奴だし、……特注! まくらも! ふかふかだし……。ほら、俺はちゃあんと、お前から貰ったきわどい下着も履いて……いてっ」
 ズボンをずり下げようとしたら、飛んできた枕を額に食らうはめになった。くれたのはニュートなのに!
 ベーケス2世は愕然とした。
「な、なぜだー、ニュート……俺を愛してくれているんじゃなかったのか!? 俺を、俺だけを選んでくれたんじゃなかったのか……! 吸血鬼になってまで、俺を受け入れてくれたんじゃなかったのか!?」
 ニュートはうつむいたまま何も言わない。
 ニュートは自分を愛しているはずではないのか。
 緊張からか、式の間ずっと下を向いてはいたけれど、ニュートはいやがったりしなかった。すべてを委ね、首筋に牙を突き立てたとき――、生まれてからいちばん甘美だった瞬間。きっといつまでも大事な瞬間。死に際にだって思い出すだろう光景。上向かせて、ベーケス2世がニュート、と呼んだときの、あのときの顔をよく覚えている。真っ直ぐに赤い瞳を見つめて、恥ずかしそうに、それでもにっこり微笑んでくれたはずなのだ。
「なぜだ……」
 吸血鬼になったから? 手に入ったら、もう興味はないとでもいうのか。それとも、実体の俺が気に入らなかったのか……。
 あまりに急な心変わりだ。
「どうしてだ。ニュート……。俺に、説明してくれるよな?」
 ニュートにだけは嫌われるわけにはいかない。ニュートの顔を慎重にのぞき込むと、ニュートはまた視線を逸らして、言った。
 かっこよすぎるから無理。
「うん?」
 はっきり言った。
「どういうことだ? なにが無理だって?」
 ベーケス2世が、髪をおろした姿がかっこよすぎるから、じぶんが一緒に寝るのは無理。
「……は? え?」
 何度も言わせないで、と、ニュートがべちっと手の平でベーケス2世を押しのけてきた。
「ニュ、ニュート~~~~!」
 それがホンキなら、嬉しい。でも押しのける力は強い。強引に事を運んで拒絶されるのはいやだ。
「そりゃあ、俺は実体ではなかったが……でも。ずっと……魔界を再建する間、長いこと一緒にいただろう? 俺はずっと変わらないだろ、ほら……ずっとこのままだし。ほら、いつもの俺だ!」
 髪をかき上げていつものように戻してみるが、ニュートはベーケス2世の顔をじっと見ると、悲鳴を上げて目をそらした。ほっぺがちょっと赤かった。それでもこっちを見て欲しくて、片手を頬にそえて持ち上げてやると、ニュートは、ようやくこっちを向いた。
 本物は無理。実体は無理~!
 とかいうと、やっぱりきゃーとか言って、取り戻した枕をぽすぽすしている。
「…………」
 愛とは、ちょっと難解すぎやしないだろうか。
「ニュート」
 たぶん、嫌われるよりはずっとずっと良いことだと思う。けれどもそれで、結婚してから伴侶にまともに触れられないというのはあんまりだ。
「ニュート」
 手を伸ばすと、ニュートはするっと壁際に逃げた。来い、と手招きしてみるが、頬を押さえたままふるふると首を横に振るだけだった。
 話しかけないで欲しい。音質が違う。
「音質ってなんだ――」
 サラウンドをやめて欲しい。
「やめろと言われても……そうだ! そ、それならば耳元で話せば……片側だけだから……ほら……」
 やめて、と、ニュートはまた異議を唱える。そんなことをされたらどうにかなってしまう、と。
 ニュートはベーケス2世をぐいぐい押しのけた。
「触るのもだめ、話すのもだめ……だったら次は何だ? ええ? ニュート。見るのもだめか?」
 だって、とニュートは煮え切らない返事をしてまたちらっと顔を見上げてきた。
「俺は、十五年間ずっと、ずっと……ずっとお前のことだけを思い続けてきたのに……愛しているのに……」
 ずっと触れたいと思ってきたのに――。
 いったい、この状況はなんなのだろう。すべてを手に入れたと思ったのに、なにもできない。
 こんなの、あまりにも理不尽すぎる。
 ただ、ニュートは、近づいても別にベッドから逃げたりはしない。
「……」
 えい、と、手を取ってしまうと、ニュートはそのまま固まった。ベーケス2世も固まった。ふりほどかれはしなかった。ニュートは耳まで赤かった。
「……」
 なんだかまずいことをした気になった。柔らかい手をそっーと元の位置に戻そうとすると、ぎゅうと力を込められてますます分からなくなった。
「ニュート。ニュート? 俺はなんでもする。お前が望むことなら、なんでも……なんでもする。ほら、キスだってできるぞ! それで、なあ、どうしたい……? 俺はどうしたらいい?」
 ニュートはそっと目をそらし、何か言いかけた。ベーケス2世は、一言も聞き漏らすまいと耳を澄ました。
 別々に寝たい……。
「そうか。……そうかあ。そうかあ……」
 改めて手を離すと、今度はちゃんと離れる。
「でも、俺はいやだなあ。ニュートと一緒に寝たいなあ……」
 ベーケス2世がベッドの上に横たわると、ニュートも、ベッドのふちに腰掛けて、別に消えたりはしなかったのだ。じっーと顔を覗き込まれる。重力が垂直に働いていて、上から下、視線がすとんと落ちてきて、まっすぐに目が合うのだ。前も同じようなことがあったが、そっと頬に手を伸ばすと、もう手が触れてしまう。
「ニュート、一緒に寝よう。……俺は一緒に寝たいな」
 さらさらと髪の毛を梳かすと、指に引っかからずに抜けていった。
「……子守唄も……歌ってやるから……」
 これは、ベーケス2世にとっては身を切るような思いだった。ベーケス2世はあまり歌が上手とはいえない。
 ……。
 ニュートが無言のまま、すっとベッドに入ってきた。
 実に、よく分からない。
「俺は歌が上手くないんだがなあ……今日だけ、今日だけだからな!」
 ベーケス2世が念を押すと、ニュートは別の方向を向いてしまった。……どうも笑っているようで、髪の毛の輪郭が震えているのだ。見えないから分からないけれど、そんな気がする。
 頬をつついたが、寝顔を見られたくない、と言って、ニュートはこっちを向いてくれない……。
「あのなあ、ニュート。寝顔を見られたくないって言っても、俺は覚えてるぞ……棺で一緒に、横になったろう……」
 あれは本物のベーケス2世じゃないし……。
 と、ニュートは言った。
「なんだそりゃあ。俺は、お前のちっちゃいころの寝顔だって覚えてるぞ……。口を開けて、まぬけな顔ですやすやって……いてっ」
 痛くはなかった。ごくごく、弱い力だったからだ。
「……。なあ、ニュート……こっち! 向いて!」
 懇願をおびた声になった。ニュートは、ごそごそと向いてはくれたが、毛布を被ってもぐってしまった。手を伸ばすと、捕まえられて、それから両手で包み込まれる。
 これは、なんだ。
 それから、ニュートは好き勝手にすやすや眠ってしまったようで、ベーケス2世は身動きがとれなくなってしまったのだった。
 ベーケス2世は、どうしたらいいか、ほんとうにどうしたらいいのか、全てが分からなくなってしまった。とりあえずできることといえば、余った片手で髪を撫でてやるくらいで。
 もしも今日、ニュートが杭を持ってきたら、あらがう術はないだろう。

2022.03.11

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