髪を一房
再建途中エンド
ニュート様。
ただいま戦地から戻ってまいりました。
ああ……。髪が返り血で乾いております。どうかお手を触れずに。着替えだけは済ませておきましたが、湯浴みすることまでは叶いませんでした。
お見苦しいかとは存じますが、どうか、ご無礼をお許しください……。
本来であれば、ニュート様の御前に参上する前に身を整えたかったのですが、できればあなた様のお声だけでもお聞きしたかった。一刻も早く、あなたのご無事を確かめたかった……。
いえ、いえ、そんなことは分かりきっておりました。あなたがここにいないとしたら、私もここにはおりません。あなたの運命は私の運命と同じもの。
私は、ただ、お姿が見たかっただけ……。
ええ。
新魔界に迎合し、思い上がった者は、すべて等しくこの槍の錆に。
敵の大将の首はこちらに。
ですが、いたずらにニュート様のお心を乱したくはありません! もしかすると、心を痛めているかと。そして、死体を見れば安心されるかとも思ったのですが。そのお盆は開けぬが宜しいでしょう。……。あなたが、望まないのであれば。
ええ。あなたが望むのであれば、また別の死体を、何度でも、何匹でも、持ってきてやりますよ。
今回は、集落一つ分といったところでしたでしょうか。連中も、もう二度と逆らおうなどとは思わんでしょう。愚かな住民は鉄柵に串刺して参りました。老いも若きも、大きいものから小さいものまで、お望みならどれでも示すことができます。ただ、見本にはなりません。どこかちぎれてたり、破れていたりしますから。
褒美、ですか?
いいえ。もう十分にいただいております。
ああ、姫様。
出立の際に、私が〝叶うならばその髪の一房をいただけないでしょうか〟、と願ったことを覚えておいででしょうか?
いえ! 覚えていないはずがありません!
愛する人の髪の一房は、兵士たちのお守りです。
ですが、ずっと、私には必要のないものと思っておりました。そのような守りなどなくとも、私はあなたを思うだけで……。
ああ! でも、私は、今、あなたの夫であるのです。でも、過ぎた願いを口にしたとき、私は後悔しておりました。私の身勝手で、姫様を損なってしまうなんて望むべきじゃなかった。ああ……。けれどもあなたは、ためらいもなくナイフをその手にお取りになりました。
はっきりと覚えております。私が留守にしている間に、ともにあるようにともたせた、護身用の短剣でありました。柄にはカワセミの細工が施されている。いかにも、刃物を扱いなれていない手つき……。不用意な手つき……。
いや、それは、私のわがままゆえに、あなたに持たせていたものです。傍にありたかった。あなたに授けた。あなたは持っていた。
それだけで、それだけで良かったのに……。それが使われるところなどありえない……。そう思っていたのに、私はそれ以上を望みました。
青白くて薄い刃を、あなたはきっとおそれていた。手が震えてはおりませんでしたか。刃のどちらが研がれているほうか、それすらも分からずに刀身を日に透かしました。あの刃に映る姫様の瞳は、どのような宝石よりも美しかった……。美しかったはずなのです。
ああ、ほんとうに、私は、不用意なことを申し上げるべきではなかった! 私は……。本当に、それに、すこしでよかったのです。ほんの少しで……。
同時に、お許しください。深い喜びに打ち震えていました。
私は、やはりおやめください、と、言おうとしたのです。そのしぐさだけで、私には十分に分かったから……。
けれども、あなたはちっとも手を引っ込めなかった。美しい髪を、一房掴み取って。
お許しください。ほんとうにあなたを少しでも損ねるつもりはなかったのです。
私が姫様に、ニュート様に、どれほど思われているか。その愛の深さに心打たれました。私は、打ちのめされておりました。あなたの夫である喜びを噛みしめておりました。薄い刃が、あなたの首筋をかすめるのかと思ったとき、傷一つない首や、しなやかな指を傷つけやしないものかと、ぞっとしませんでしたとも。
同時に、空にある、青い星を見た時のような……。冴えわたる星が瞬くような、しんとしたものを感じました。
それをきっと高潔というのでしょう。慈悲深い献身というのでしょう。それを、純心というのでしょう。
どのような黄金も、あなたの犠牲には、比べることのできないものです。私はあなたの髪の一本のために、祖国だって裏切り、何人でも、何十人でも、またどんな王であろうとも、討ち取ってくるでしょう。ひとえにあなたの愛に報いるために。
ああ、今でも、姫様の髪の内側に、短い房があるのが分かります。無論、よおく見ないと分かりませんが。いえ、見なくとも。元通りに伸びたとしても、私にはその欠落は、永久に感じられます。どんなに血の染みついたマントよりも重く感じられるでしょう。
ああ。ほんとうに、あなたが。貴人のすることではない。どうして……。どれほどの勇気が必要だったのでしょうか……姫様。
誉(ほまれ)のために己が傷つくことを良しとしても、誉(ほまれ)のために己を傷つけることができる戦士は多くはありません。姫様……。あなたは私のために、私だけのために、とても勇敢で高潔でした。私よりも、ずっとずっと……。
ですから、どうか姫様。欲しいものをなにもあげられない、などとお嘆きにならないでください。あなたの夫である私はもう、世界のすべてを手にしているのです。
ああ、姫様。私はあなたのくださる愛を生涯忘れないでしょう。いかなる戦地に赴こうとも戻ります、とお約束いたしました。これがある限り私は永久不滅。肉の一片になろうとも、私はあなたを忘れることはないでしょう。私の体温はあなたの温度。
私の振るう槍はあなたのもの。あなた様の名において。
私に流れる血は、一滴残らずにあなたのもの。
2022.04.15
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