馬鹿になりたいときだってある

魔界再建前・恋人

 魔界では、魔界風邪が流行しつつある。

 ぴゅんぴゅん、と、ウルハムが妙なくしゃみをしているな……と思っていると、やつは真っ先に体調を崩した。
 ベーケス2世にとっては、どうでもいいことだ。
 続いてゾービナスが体調を崩した。
 こっちも「ふうん」、くらいに思っていたが、ここで次期魔界王も風邪をひいたとなると、ちょっと話は違ってくるのだ。
「ううー、きっと、お食事の時ですわー……」
 ゾービナスはばったり倒れて、数日寝込んだということだ。
 今はピンピンしている。
 ゾービナスの片手がさまよい、ティッシュを探すそぶりを見せたが、本人はそれよりもノートをめくって記憶を掘り起こすのに熱心だった。ゾンビであるゾービナスは、ニュートとの思い出をノートに書き記しているのだ。ウルハムの腕が伸びてきてティッシュを豪快につかみ、ティッシュをゾービナスに分けてやっていた。
 ベーケス2世は、難しい顔をして二人を見ていた。
「そう。あの時! デザートはたしか魔界イチゴのタルトでぇー……。……ニュートちゃまのとなりに座ってね、わたし、ニュートちゃまに、あーん♥ ってやったんですの」
「……」
「あのときにうつしちゃったかしらぁ……ニュートちゃま、ごめんなさい……」
「いや、気にすることないよ、ゾービナス……たぶん僕からだと思う……べっくし!」
「……」
 ウルハムもずびと鼻をかんでいる。
「ほら、僕、先週呼び出されたじゃない? あれから、ちょっといつもより鼻がきかなくてさ……。気を付けてたんだけどな。それともあれかなあ。三日前にお茶したとき、ニュート様のほっぺにお菓子のかけらがついてて。あ、でも、そのあと一緒にお昼寝したときかなあ……。あのときもだいぶ……。……あっ、違う、違うんです、2世。いや、なにも違わないんですけど……あのう……」
「もっと反省しやがれですわ!」
「いてっ」
 ゾービナスが盛大にウルハムの後頭部をひっぱたいた。
 ベーケス2世はもっとやれと思った。勢いよくやれ。
「ゾービナス、不覚ですっ!」
「ああ。治ったらニュート様を看病しにいけるのになあ~っ。……2世はいいですよね、そのー……元気で」
「死ね!」

 当然のことながら、ベーケス2世は無傷だ。虚像であるから、風邪を移されるということはない。
 風邪なんて望んで引きたいものではないが、ゾービナスとウルハムが、この症状は喉に来るタイプで、ニュートの言ってる症状とおんなじじゃないか、だとか、きっとあのときに、だとか、あれこれと話しているのがうらやましくはないわけじゃなかった。
 さらに、ジャンタンまでもが魔界風邪にかかったと聞いて、ますます納得がいかない。ニュートが引っ付きまわっていたじゅんばんに家臣が風邪を引いている気がしてならないのだ。
「あ、そんなことはないよ?」
 不意に声をかけられ、ベーケス2世は立ちすくんだ。デビイは心を見透かすようにすうっと目を細める。
 ニュートの好物の入ったバスケットを持ってお見舞いに行くらしい。
……このニュートの幼なじみは、別としても……。
(俺が、いちばん一緒にいるのに……)
 婚約者なのに!
 恋人同士なのに、じぶんは極めて健康で、なんともないのだった。

 薬を取りに来るついでに、ウィンチくんをちょっとからかってやろう……。そう思って薬庫にやってきたベーケス2世は、マスクをしているウィンチを見て眉間にしわを寄せた。
「げほっ……」
「……」
「ちょっと、違うわ。これはあいつからじゃない! あいつからじゃないから……」
 喚くウィンチから薬を受け取り、曇天のような気分を引きずりながら、風邪を引いた家臣に配り歩いていった。次期吸血鬼の長が人の使いっ走りなんぞとは思うが、ニュートのためなので仕方がない……。
 無種族で体力がないニュート以外の家臣は、復活傾向にある。
「あ、これはニュートのぶんのお薬よ。よろしくね」
「わかった」
 と、素直に言っておいて、受け取っておいた薬はウルハムにやった(注:ぜったいに真似しないでください)。
 ウルハムならやばいと思ったら自分で何とかするだろう。ウルハムは薬をかいで、舌に乗せると、死ぬほど、苦そうな顔をしていた。

 スケルナイトは、涼しげな顔をして相も変わらず見張り塔に立っている。体調を崩した臣下の穴を埋めるため、自ら仕事を増やしている。
「お前はぴんぴんしてるみたいだな」
「体調管理は臣下のつとめですが? まあ、あなたはそうですね……ふっ」
(……)
 何をしていても神経に触ることこの上ない。……ニュートが虚無に投げ込まれ続ける異様な献身を知ることはないだろう。わざわざ言ってやるつもりもない。
 スケルナイトは、実に元気そうである。
 いつもなら腹立たしいことこの上ないが、今回ばかりは、こいつが元気そうなのに少し胸がすいた。ニュートとたいした仲ではないのだ。近寄ってもいない。
 ベーケス2世が、とっとと花でも見繕ってニュートの見舞いに行こう、と考えていたときだった。
「げほっ……」
「……!」
「…………。何か?」
(こいつですら、風邪を……!)

◆◆◆

「ニュート、お見舞いに来たぞ!」
 ニュートはぼんやりと中を見つめていた。ベーケス2世がやってきたのに気がつくと、ちょっと笑った。額に手をやってみたがとりたてて熱くも冷たくも感じられない。花を喜んでくれるような体調でもなさそうだ。
 花を花瓶に活けていると、フランコールがやってきた。
「ちょっとどいてくださいな。あら、ニュート様。起きたんですの、良かったですわね。お見舞いですって。素敵なお花」
 うん、と、ニュートが微笑んだ。
 フランコールは、せっせとニュートの額にのっけた氷をとりかえてやっている。
「きみは、一番ニュートの近くにいるんじゃないのか」
「そうですよ」
「具合は悪くないのか?」
「ええ。博士が丈夫に作ってくださいましたから。ニュート様のそばにいてやってくださいな」
 ベーケス2世に椅子を用意して、フランコールは自分は忙しく動き回っている。
「なんだか難しい顔をしてらっしゃるわ」
「……。きみは風邪を引かなくていいのか?」
 フランコールはまじまじとベーケス2世を見た。
「もしかして、あなた、それですねてらっしゃるの?」
「すねてない」
「べつに、悪いことばかりじゃありませんわよ。元気ですと、こうやってニュート様をお世話できますし。それにあなた、風邪をひいたら一番長く寝込むのではなくて?」
「……ニュートは」
「大丈夫です。ジャンタンもこのくらいのお熱は出します」
 ニュートが怒ったような声でベーケス2世を呼んだ。
「おっと」
 べつに感覚はないのだが、くっついていないと抗議する。寝ているくせに、離したらなぜか敏感に察知してきて怒るのだった。はいはい、と意味もなくぺったりくっついていると、ニュートは寝た。
 おかあさん、と言われ、ベーケス2世の眉間のしわはますます深くなった。
「もっと歌って、って。歌ってないんだが。何の夢見てるんだ。俺はお前の母親じゃ……。ん!?……ニュート! 俺のことを……! おい、ニュート。待ちなさい。ちょっと起きろ……起きて……」
「病人になにをしてらっしゃるんですか」

◆◆◆

 ベーケス2世がいくら聞いても、ニュートには寝込んでいたときのことは覚えていないと言われてしまった。でも、ベーケス2世がずっといてくれたことは覚えていたそうである。

2022.11.01

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