惚れ薬の効用について

結婚エンド後
!円満ではあるけどニュート先立たれネタです。
ウィンチ→スケルナイト→(ニュート)を含みます。

 魔界に浮かぶ城は、月の数と同じようにただ一つ。
 ルシファもテューポンも討ち取られた今となっては、新魔界は跡も形もなかった。
 魔界再建までの、約束の日まであとわずか……。
 魔界再建の約束の日は、新たな魔界王の戴冠によって迎えられるだろうと目されている。

 かつて魔界を去った者たちも、次々とこの地へ戻っている。
 早々に戻ってきた者たちは意気揚々と、逆に、新魔界派だった者たちは慎重にあたりを窺い、長い廊下を歩いていく。「足音だけでもどちらだか分かるだろう」、と、魔界王は、まるでクイズでも出すかのように、ニュートに囁いた。ニュートは王座の隣に座り、ただ、見えない父の仕事ぶりに耳を澄ませた。
 魔物たちは、魔界王と次期魔界王のために、贈り物を携えて城にやってくる。謁見を求め、気の早いものは祝福の口上を述べる。
 ずらずらと並ぶ彼らの姿に、ニュートは魔界にはこれほどの魔物たちが暮らしていたのかと驚いていた。彼らの挨拶は、時折は「ご無沙汰しております」であったが、顔ぶれのどれにも、ニュートは覚えがなかった。
 謁見の間、王座に座る、すがたの見えない魔界王は、彼らを気まぐれに赦し、また、気まぐれに断罪する。
 いったい何によって彼らの運命が決まっているのか、ニュートには全く分からない。それに異を唱える者は誰もいなかった、とだけ。
 魔界王は、王座の隣に座らせた唯一の子に「やりかた」を示してみせるのだった。魔界での威の示し方を、父から子への最後の贈り物、と言わんばかりに……。

 暗闇を映していたばかりの窓からは、今や、立派な城下町が見渡せる。
 あちこちに吊り下げられたカボチャのランタンから、オーの炎が辺りを照らしていた。
 城はずいぶんとにぎやかになったが、魔法薬庫の静けさだけは変わらない。
 ウィンチは人がほとんどこないのを、好都合だと思っていた。胸中で、どこか自分とは縁のないお祭り騒ぎを呪いながら。
 とくに……さっきまではこの平穏を乱す奴がいないのが良かった。招かれてもいないくせに、ベーケス2世は我が物顔で浮いている。ベーケス2世からすれば、「わざわざ浮いてやっている」のは「足の踏み場もない」からである。
「これはなんだ。何の瓶だ?」
「失せろ」
「冷たいな。ウィンチくん、俺が、せっかく顔を見に来てやったのに。結婚オメデトウの一言もなしか? これから、俺たちはシンセキだろ?」
「死ね」
 ウィンチがきっぱりと切って捨てても、ベーケス2世はひるまない。やれやれと大げさに肩をすくめるだけである。
「相変わらずひっどい部屋だな。俺だって好きで浮いてるんじゃないんだがな……。おっと、椅子があったぞ、魔法使いのウィンチくん。ほら、遠慮なく使え。まあ、俺んじゃないが!」
 ベーケス2世はコンコンと得意げに椅子をつつくと、ウィンチのほうに押しやった。親切心からではなく、単に実体だと誇示しているのである。
 ウィンチはあの脳みそがぬるま湯につかったような愚かな子供とは違うから、ベーケス2世の考えがある程度わかる。このニヤけた吸血鬼が底意地の悪いやつだと、ちゃあんと知っている。
 つまり、こいつは、勝ち誇りに来たのである。とりあえず、利害の一致する相手に……。
「どうした。俺に感謝してもいいんだぞ。……俺がニュートと仲睦まじくやることはウィンチくんにとってもありがたいことだろ?」
 どいつもこいつも、途方もない馬鹿。
 魔女一族の両親から、無種族として生まれ。あろうことか吸血鬼になるとかいう無能も。それから、婚約者として名乗りを上げて、ほんとうに結婚をするというこのベーケス2世も……。
 みじめったらしく死ねばいいのに、と、ウィンチは心の底から思っていた。
「まあ、これで、ニュートは晴れて魔物の仲間入りだ。あの男だって、ニュートのことはあきらめるだろ?」
「――っ!」
 ウィンチはとっさに机の上を払いのけてる。
「おっと、悪い悪い」
 ベーケス2世が指を振ると、空中に浮いた瓶が落下する前に止まった。液体はどうしようもなかったが、いくらか損失は食い止められる。
 ウィンチはなにか言ってやろうと思ったのだが、それよりも先に嗚咽が漏れる。

 そうだったら、どんなにいいか。
 状況は、自分に有利に進んでいるはずなのに。
 あれと、自分の思い人が結ばれる未来はなくなったはずなのに。
 それでもなお、彼が同じ視線を向け続けるというのなら、いったい自分に何ができるだろう。
 みじめったらしく泣き崩れるウィンチを、ベーケス2世は、とても不思議そうな顔で見ている。
「……なあ、どうして泣くんだ? 俺は、お前と祝杯でもあげにきたのだがなあ。まったく。
そんなにあいつが好きなら惚れ薬でも盛ったらどうだ。魔女一族の得意技だろうに。そうやってずっと泣いてるだけなのか? ずっと?」
 こいつはどこまでも魔物だ、とウィンチは思った。恋も愛も理解しない。
 ウィンチが泣いている間に、机の上に瓶を並べられて部屋が元通りに戻っていった。要らぬお節介がなんだかおかしくて、ひきつった笑いさえ漏れるのだった。おそらく、心からの親切心で言っている。
「……ねぇ……惚れ薬が必要なのはそっちじゃない?」
 ひとつ、呪いを思いついた。魔女一族らしい呪いだ。
 ベーケス2世が、動きを止めてこちらを見た。どこまでも怪訝そうな表情をしている。
「あるわよ、惚れ薬」
「……」
 机のふちに手をかけて、ウィンチは這い上がるように体重を預ける。
「……マーメルンは、結婚式には出ないと言っていたでしょう? 天界に帰ると言っていたけれど、かわいそうにね! みっともなくうろうろしていたら、セイレーンに喰われたわ。……で、人魚の心臓が手に入ったの。それで、薬の材料がそろったの。惚れ薬のよ……。どう? 私からの結婚祝いよ……」
 でまかせだ。
 マーメルンが結婚式には出ないと言ったのは本当。セイレーンに喰われたのは嘘だ。
 まあ、時間の問題かもしれないけれど……。
……マーメルンも馬鹿だ、と、ウィンチは思う。まだ諦めがつかないのか……それとも、最後に、一目みたいと思っているのか、未だに、水路をうろついている。
「惚れ薬か……」
 結局、こいつが考えているのは合理的なことだけだ、とウィンチは思った。どういう借りを作って、どういうことになるか。こいつが天秤に載せるのは、たったそれだけ。
 人の気持ちなんて、愛なんて、欠片もわかっていないのだ。
「そうだな。好意を無碍にするもんじゃないな?」
「ええ、私からの贈り物よ。受け取って。それを持ってとっとと出ていけ。二度と顔を出すな。消えろ」
「なんだよ。……わかったよ」
 こいつはばかだ、と、ウィンチは思う。
 一度でもずるをしたら。一生。……永遠に恋に呪われ続けることになる。

***

(たったこんなもので手に入るのか? 「愛」とやらは……)
 ベーケス2世は小瓶をじっと見つめている。小さなガラス瓶の中で、液体がゆらゆら揺れている。どうやら『恋』は血のように赤く、どす黒い。
 実際はさしたる効果のない水薬なのだが、ベーケス2世は、愛とはこんなものだろうか、と、勝手に分かったような気にもなった。
 ウィンチを見ていると、ベーケス2世は恋とは愚かだと思う。
 与えられぬのにひたすら与え、顧みられぬのに身を尽くす。失敗するとわかっていながら失敗するというのは、馬鹿にしかできない。ウィンチとて、頭の出来は悪くないはずなのに……。
「どうやったら負け戦なんてできるんだ?」
 自分はきっと、ああはなれない。
 婚約者のことを考えるだけで、胸が締め付けられるのだとか……そんな気持ちになったことはない。
 ベーケス2世がニュートを「好き」になったのは、好きになる必要があったからだ。どこまでも、ニュートが次期魔界王だからだ。
 選択肢なんてなかった。
 けれども、選んだ。あれじゃないとならないと言い聞かせた。一心に世話をしてやったのはあれだ。指を差し出して、結婚を乞うた時。舌ったらずに返事をした。握り返したのは確かにあの子どもだったのだ。
 ニュートが自分を選んでくれるのなら、自分だってニュートを選んでやろうと思った。
……ニュートはどうなのだろうか。
 ベーケス2世は、ふと思った。
 吸血鬼にしたら、人の心は消えてしまうのだろうか。それとも、永遠にあのままなのだろうか。大人になっても、感情は色あせないままなのだろうか。ずっと同じような笑顔で笑うだろうか。無邪気に「大好き」というのだろうか……。
 初めて入った客室から、外をぼんやりと見下ろす。そのすがたを待っていた。しばらくすると、城から歩いてくるニュートと、……父親のすがたがみえた。
 魔界王へのあいさつが終わったらしい。
 心がざわついた。
 ベーケス2世は、いつもとは違う格好だ。略式の礼服を纏って、リボンの代わりに黒いタイをつけている。
 こちらに気がついたニュートが、窓の外から手を振っている。
「……」
 空を飛べるようになったら、ニュートは、ふわりと飛んできてくれるだろうか。
 吸血鬼になって、念力で自在にものを操れるようになっても、それでもじぶんに触れてくれるのだろうか。
 やはり、「大好き」と言ってくれるのだろうか。
 愛していると言ってくれるのだろうか。
 もし、二度目の同じような人生があったら、ちゃんと、自分を選んでくれるだろうか。
 ゆっくりと指を動かすと、ベーケス2世はニュートのかぶっていた帽子を念力で持ち上げた。 慌てて追いかけようとするのをかわし、ひらひらと蝶のように操りながら、帽子を自分の部屋の窓に引き込んだ。信じられない、と抗議するニュートが、父親を置いて、こちらに駆けだしてくる。
「ニュート、こっちにおいで」
 自分の足で。さも、自分で決めたかのように、俺を選べばいいのにと思った。
 何があっても大事にすると誓いながら、ベーケス2世は瓶のふたを開ける。

***

 それから、長い治世があった。
 新たな魔界王は、人間にしてはあまりに長く、吸血鬼としてはそれなりを生きた。

 あの脳なしにしては最良の終わり方だろうとウィンチは思った。
 ニュートの死因は、暗殺でも、不審死でもない。たんなる「死」だ。
 ニュートが王座にいたあいだも、権力の争いは絶えなかった。人知れず消えていった王座を狙う者たちの末路を、王座に据えられたニュートがどこまで知っていたのかは、もう確かめるすべはない。
 王座の次には、当然のように吸血鬼が座った。

 ウィンチは編みかごを携えて、薬草を摘みにやってきていた。ついでに、前王の墓を訪れることがある。悼むためではない。そこにいる影が、すでにもう動かないことを確かめるためだ。……それから、はらわたが煮えくり返りそうになるが、「彼」がすがたを現すならばここだとウィンチは知っていた。
 ニュートがこの世を去ると同時に、スケルナイトは忽然と姿を消したのだ。

 最愛の伴侶によって、城の裏手につくられた霊園は、どこまでも静けさをたたえている。通路には茨が張りめぐらされていて、滅多に人はやってはこない。どちらかといえば、むざむざ吸血鬼の長の庭に踏み入りたくないからだ。
 力を使い果たして消えた前代と違って、ニュートの遺体はきれいに残った。
 魔界の生き死には実にさっぱりとしている。誰もがその死を悼みつつも、王が去ったことをあっというまに受け入れていた。
 いかめしい通路を抜けたら、奥には身を守る力もないような、小さな花が植わっている。ネモフィラの花だ。
 とりたてて順路というべきものもなく、迷い込めばどちらが奥なのかはわからないだろう。庭は均質に手入れされていて、強いて言えば、ニュートの墓は、日当たりが良いところにあった。どこまでも人間扱いするのだな、とウィンチは思うのだ。
 小さな日よけのついた小高い丘の上。
 ガラスの棺に納められた遺体は、まるで眠っているかのようにみずみずしい。吸血鬼になると同時に時を止め、まだ、成熟しきっていない顔立ちをしていた。
 死体に跪いてキスをするような吸血鬼を、ウィンチはひとりしか知らない。組み合わせた手に、今日は百合の花を持たせている。
「……分からなかったなあ」
 死体の頬を撫でながら、絞り出すように吸血鬼の長はつぶやく。
「結局、俺はわからなかった。こんなに長く一緒にいたのに、俺は分からなかったよ。「愛」って、なんだろうなあ。ニュート。……俺は、お前といて、気が狂いそうになったことなんてなかった。お前が俺を見つめてるあいだも、俺だけはずっと正常だった。お前といるときだけが、俺にとって穏やかな時間だった。お前が見つめてくれたときだけ、俺は心臓の音を聞いていたよ」
 棺を閉じると、ガラス越しにまたそっと頬を撫でる。
「なあ、ウィンチ。お前は今でもあいつを愛しているのか?」
「……。何が言いたい?」
「俺は、……ニュートを起こそうと思ったことはないよ」
「ははは」
 ウィンチが肌身離さず持っている袋の中には、彼の残骸が押し込められている。骨片と肉。消えてしまった彼の欠片をかき集め、再びよみがえらせる――それがウィンチの、ただ一つの願いだ。
「……お前が眠る前も、心が引き裂かれそうだとかぬかしながら、ずっとわかってた。俺は死にもしない。消えもしない。泣き叫ぶことすらするまいと」
「お前は思いのままだったんじゃないの。人生。王座とその周りを吸血鬼一族が席巻した。よかったんだろう、お前は。消されることなく、吸血鬼の長にまでなれて。世界は全てお前の望むままではないの。今まさに、高笑いでもしているべきではないの? どうしてそんなにしみったれた顔をしている?」
「望むものすべて手に入れたさ。だが、何が残った? 欲しいかどうかも知らないものを、どうやって望めというんだ」
 欲しいもの全てを手に入れたくせに、それでもなお満たされない吸血鬼の渇望に、ウィンチはおかしくて、おかしくて、何も言えなくなった。
「せいぜいそこでめそめそしているといいさ。私は諦めたりなんかしない!」
 ウィンチがかごを投げつけると、ばらばらとかごに入った草が舞い落ちる。吸血鬼の長はため息をついて、指を振る。
「……ああ。人間界に行きたいと言っていたのに、結局、連れていくのはずいぶん遅くなってしまったなあ。さいごのさいご、……知り合いがいなくなったころになってだ。お前がほんとに望むものなんて、ひとつたりとてやれなかった。ああ、うそだなあ。俺はずっと、人間にニュートが取られるのが怖かったよ。……笑ってくれるのが好きだった。でも、なら、こんなところからとっとと連れ出してやるべきだったのになあ」
 まとめた草木を小さな束にして、吸血鬼の長はそっと棺の上に乗せた。それは花束ともいえないくらいのもので、強く吹いた風で、ひらひらと舞う。
「結局、愛なんて俺にはわからなかったよ。ニュート。惚れ薬なんて、効きやしないということなのだなあ。俺が飲んでも、お前へのきもちは……ちっともかわらんのだもの!」

2022.03.30

back