共犯者たち

 魔界にぽっかりと浮かぶ城。
 オーの炎を失って、魔界が闇に閉ざされてからも唯一のこり続けたこの城は、魔界王派の魔物たちにとって再起の誓いの場所だ。城からあたりを見回せば、魔物たちの居住区には明かりが灯っており、かつての賑やかさを取り戻しつつあるのがわかる。
 権威ある魔界の城も、次期魔界王にかかればただの遊び場の一つらしい。ぱたぱたと駆けていく足音がした。
「もういいかーい」というニュートの呼びかけに、「まーだだよ」と、デビイが答える。フランコールに向かって、デビイがしー、と人差し指を立てる。
 フランコールは、洗ったシーツを畳みながらも微笑みを漏らす。薄暗いばかりであった城も、ずいぶんと賑やかになったものだ。主であるニュートが心安らかに過ごせているのなら、フランコールとしてもこれ以上のことはない。
「……ノンキなもんだよね。僕、週末もランタン彫ってなきゃならないってのにさ!」
 マントを抱えた、愚痴をこぼす。
「あら、お手伝いありがとう、ジャンタン。ジャンタンも混ぜて貰ってはいいのではなくて?」
「え、ヤダ! あいつら、コワいもん……」

 廊下の端、倉庫に去って行く青いドレスの裾。フランコールの頭を心配がかすめる。それは先週のこと、ゾービナスは倉庫でニュートの首筋に牙を立てようとしていて――。だが、ニュートは気にしていないし、別方向に駆けていった。
 それに、そう、先週のことなのだ。ゾンビ一族にとってはもう過去のこと。

***

「……オッケー、でぇ~す、わ!」
 薄暗い倉庫の中。キイイ……と、重々しい木々がこすれ合う音を立てる。隅に置いてあった衣装箱の蓋がゆっくりと開いた。中からは、一匹のゴブリンが這い出してくる。
 コキリと首を鳴らすと、荒く息を吐いて、周囲に眼を光らせる。
――新魔界のテューポンに仕えるゴブリンだ。彼は、ゾービナスからナイフを受け取る。
 召喚陣に紛れ込み、それからは城に潜んでいた。

 ニュートの魔界とテューポン率いる新魔界のどちらが勝つかは五分と五分。今はまだ、新魔界のほうが領民は多い。しかし、魔界は勢いを見せている。次々と領土を奪還していた。ピクシーを使って権威を示している。

 早々から新魔界に逃げ出し、テューポンに忠誠を誓ったゴブリンの一派にとっては、ニュート暗殺は起死回生の策であった。次期魔界王を殺せれば、あとに残るのは、いつ死ぬかも分からない消えかかった魔界王のみ。そうすれば、情勢は一気に新魔界へ傾く……。

 魔界王にいち早く忠誠を誓ったゾンビ一族。その長がいかなる密約を交わして、新魔界派のゴブリンに「暗殺の手引きをしろ」などと命じるのか。……それは考えても仕方のないことだ。ゾービナスのネックレスは、シンプルに「ニュートのもとへ連れていけ」と命じたきり、沈黙を貫いている。ゾービナスはただ、従うだけだ。
 失敗したら?
 ただ、忘れ去られるだけだ。

「この部屋でいいのか?」
「ええ。ニュートちゃまはここに隠れてます。……わたし、とーっても鼻がいいんですのよ。ほほほ!」

 ゴブリンは頷く。細い手のひらで、客室の扉を押し開く。誰も使っていない部屋らしい。ここにニュートが隠れているのか。しつらえられたベッドの上、シーツが不自然に膨らんでいる。少しわざとらしい……と思ったが、がさり、と、布が動いた気がした。
 ゴブリンは足音を忍ばせ、ナイフを持って近づいていった。ゾービナスはそっとその場を離れる。

 激しく争う物音。
 たたき付けるような音のあと、致命的な何かが折れるような音がした。

***

「……ええー」
 人狼は、ゴブリンの死体を見下ろしていた。ゴブリンの首はあり得ない方向に折れ曲がっていて、明らかに絶命していた。自分の仕業だった。襲い掛かってきたところを、ウルハムが返り討ちにしたのだった。
「……ええー? なんで?」
ウルハムはなんてことのないように――実際、ウルハムにとってはなんてことはなかった。
「なんで? かくれんぼしてただけなのに。おう……イテテ」
 腕に刺さったナイフを抜いた。ウルハムのケガは、そんなに深くはない。とはいえ手当は必要そうだ。ウィンチの手当がいるかなあ~、染みるんだよなぁ~……と思いながら、ぺろっと舐め、布を割いて適当に止血する。
 ちょっと泣きそう。

 いったい、何がどうなったらこうなるのか?

(今はニュート様がかくれんぼの鬼で。それで、せっかく、探してもらえると思ってたのになあ……)
 で、せっかくだから、枕を集めてシーツを山にして、それで、自分はクローゼットに隠れて……。そうしたらニュートが引っかかるかなとウルハムは思っていた。
(それで、ばさーってやったところに飛びついてさ、めいっぱいにくすぐったり……くすぐられたり……)

 それなのにやってきたのは見知らぬゴブリンだった。匂いも足音もぜんぜん違うし、間違うわけはない。あいつはナイフまで持っていた。押さえつけて事情を聞くつもりだったけど、抵抗してきたから、とっさに、つい。首をゴキリ、と。
「どうしよー……?」
 まあ、やってしまったことについて後悔はない。
 襲われたわけだし、こっちだってケガもしているし。ニュート様だって危なかったかもしれない? わけだし。むしろ、褒められるべきだと思うのだが、この状況はいったいなんと申し開きをすればいいのだろう。
 もういいかい、と、今度こそニュートの声が聞こえる。
(あ、ニュート様、来ちゃう……)
 見下ろすと、マントはべったりと血まみれだ。返り血を浴びたマントを脱いで、とりあえずナイフをくるむと、いそいそとベッドの下に押し込めた。
 問題は死体だ……。
 さあどうするか。窓から落としたり、吊り下げたり……なんてのを人間界の推理小説で読んだ気がする。いや、とにかく時間を稼ごうと思ったところで、扉が開けられそうになったから、ウルハムは慌てて扉を押さえた。ウルハムのほうが当然力は強く、それで開けられなくはなるわけだけれど、流石に不自然すぎて、ずっとそうしてもいられない。ガタガタガタと扉が揺れる。ウルハム! ニュートの声だ。 これ、鍵かかってないでしょ?
「いや、ええと、ははは」
 しばしの拮抗ののち、ニュートがぱっと力を抜いた。おかげでウルハムはつんのめって扉ごと廊下に出てしまった。
 ウルハム、みっけ。
 ウルハムはけがをした方の腕をそっと後ろに隠した。
「あー、ちょっと。隠れる場所がなくて……。え、なんでノースリーブになってるのかって、ちょっと暑くて、はは。あ、ちょっと、部屋には……入らない方がいいですよ!?」
 ニュートは、誰かを庇っていると思ったのだろうか。実際、ウルハムは庇ってはいた。死体を、というよりは死体を、ニュートの目から。単にびっくりさせるかなあ、くらいの気持ちではあったのだが……。
(あれ、反応がない)
 振りかえると死体が消えている。
 ニュートがぐるーっと部屋を見回す。ベッドの下を探り、クローゼットを開けて、誰もいないので首を傾げていた。マントにくるまった凶器はそのままだったけれど、ニュートが探しているのは人だ。残っている血痕にも、ナイフにも気がつかなかったらしい。
「ニュート、こっち! 足跡見つけたんだ!」
 デビイの声で、ニュートがぴゅーっと飛び出していった。助かった。……ウルハムの部屋を出ていくところで、ニュートが立ち止まり、じっとウルハムの顔を見上げる。
「?」
 耳、出てるよ。
「ひゃん!」
 変な声が出た。ウルハムが帽子の上から耳を押さえてベッドの下に潜って逃げると、ニュートは笑って立ち去っていった。

 足音が遠ざかっていく……。
 と、同時に。ぴしゃりと水滴が滴った。赤い水滴だ。それから、どちゃり、と死体が落ちてくる。
 ウルハムは臭気で気が付いていた。
 上だ。天井につり下がっていたのだ。
「……2世、見てたでしょー」
 窓の外に、ベーケス2世が浮いている。念力というのはベンリである。ここは結構な高さがあるのに……。
「ニュートが驚いたら気の毒だからな」
 ベーケス2世は、その間にもすっと指を動かすと、部屋の鍵を器用に閉めた。
「っていうか、2世ー。僕が襲われるところから見てたんでしょ? なんで助けてくれなかったんですか? ほら! 無駄にケガしちゃったじゃないですか」
「ふん。知るか」
「あのう。……このゴブリン、2世、知ってます?」
「……」
「……ですよねえ。知らないと。はあー、とっとと報告してこようかな」
「先週、召喚されてたな。突き出してもろくなことにならなさそうだ」
「え?」
 数百人はいたはずなのに。よくまあ覚えているよなあ、とウルハムは首を傾げた。しかも、先週の召喚はベーケス2世の担当ではなかった。ゾービナスのはずだ。
「しかも、そいつをここに連れてきたのがゾービナスだ」
「……。2世ー、どっから見てたんですか? はじめから? っていうか、ゾービナス……」
 そうだ、と、ウルハムは思い出した。……そういえば、この部屋に隠れるように言ったのはゾービナスだ。そのまま隠れるだけじゃ芸がないから、ちょっと工夫して驚かしてやれとも言っていた。
 ゾービナスがどうしてそんなことをしたのか、正確なところはわからない。けれども、ゾービナスがニュートに害をなせるとは思えない。
「どうだかな」
 ウルハムの思考を先回りするように、ベーケス2世が口を開いた。
「あいつだって魔物だ」
「あのね、2世。……フランがね、倉庫で。ゾービナスがニュート様をって言ってて。それで、ああ僕、ゾービナス、失敗したんだなあって……」
「……」
「僕といっしょでさ……」
 魔物がホンキで襲いかかったら、ニュートが抵抗できるはずはないのに。けれども、二人にはなんとなく分かっていた。無理矢理噛みついてしまえるほど、ことは簡単ではない。大切で、ダイジで、ダイスキで。そんなことを言い表す便利な言葉は、魔界では「便利な」という言葉が近い。
「ゾンビ一族って、厳しいのかなあ……」
 ベーケス2世もウルハムも、ゾービナスが企てたことだと思っているわけではない。何か企むには、あまりに忘れっぽすぎる種族だ。問い詰めたら一族からは切り捨てられて、いっぺんに消されてしまうのだろう。
 ベーケス2世は深く深くため息をついた。
「おい、犬。片付けろ」
「ええ?」
「喰え」
「ええん!」
 埋めるなりなんなりすればいいのに、とか言いながら、ウルハムはぼりぼりとゴブリンを曲げて、死体を口に運ぶ。それからなにも起こらなかったことを鑑みると、ベーケス2世はどうにか始末をつけたのだろう。

2022.04.14

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