にっちもさっちも

*ややビター(愛はある)
*ニュートが良い子ではない
*「検討中です!!」でベーケス2世を思わせぶりでほったらかしてたら周囲を詰められる

 ふわふわと宙に浮いたスプーンは、ひとりでにパフェの地層をすくって、ニュートの口元に飛んできた。ニュートが口を開けると、口の中に上手いこと滑り込んでくる。
「美味しいか、ニュート~?」
 ニュートが「美味しい」、と答えると、「そうか!」と、ベーケス2世は晴れやかな笑顔を見せた。
 ベーケス2世は肘をついて、席の向かいでニュートの食事を見守っていた。彼は念力で器用にスプーンを操り、ニュートにパフェを食べさせてくれている。
 ニュートはもぐもぐと口を動かしながら、報告書に目を通す。さらに、傍らで魔界の石炭も増やしている。
 新魔界を倒し、魔界再建を果たしても、魔界王としてやるべきことは山のようにあった。仕事は次から次へとひっきりなしで、のんびりとおやつを食べている間もなかなかない……だからといって、別に、こうやって食べなければいけないわけではないのだけれども……。
 スプーンはつんつんとニュートの唇をつっついて、口を開けるように促した。ニュートは再度口を開ける。
 このシステムはちょっとしたものである。黙っていても、パフェを食べることができる。
 ベーケス2世はニュートにものを食べさせるのが上手かった。
 かつて、彼はこんな風にニュートにものを食べさせていたのだろうか。つぶしたニンジンや、ジャガイモや、……パンプキンなんかを、こうやって甲斐甲斐しく食べさせていたのだろうか。ニュートは、幼い頃にニュートの世話をしていたというベーケス2世をなんとか思い出してやりたかったが、ちっとも思い出せやしなかった。
 ベーケス2世は、もうニュートの婚約者ではない。彼は「ニュートのことはあきらめる」と言った。
 けれども、臣下のベーケス2世は、こうやってニュートを甘やかしてくれる。ふたりきりのときだけ……ちょっとした時間を作っては、せっせとニュートを構いに来る。
 そうやって繰り返しているうちに、パフェはあっという間になくなった。ケーキも良いけれど、やはりたまにはパフェが食べたい。人間界のものと全くおなじというわけにはいかないけれども、色とりどりの果物が入っていて……おいしかった。
 ベーケス2世は、じっとスプーンの鏡面を見つめている。かと思えば、唐突にスプーンを口に含むそぶりをしたので驚いた。
「これ、間接キスって言うんだろ?」
 ベーケス2世はぺろりとスプーンを舐めると得意そうに言った。
「なら、虚像の俺にだってできる……そうだろ?」
 慌てたニュートは、思わず「ウルハムみたい……」、と言ってしまった。スプーンは重力のままに落っこちて、床とぶつかってカランと音を立てた。
「……ニュート、お前、あいつにこんなこと許してるのか? ウルハムに?」
 まさか、そんなことはない。ニュートが慌てて否定すると、ベーケス2世は「ふうん?」と言って、念力でスプーンを拾った。
 ウルハムはそんなことはせず、直接ニュートのほっぺをペロペロ舐めてくるが……これは、言わない方がいいだろう。虚像のベーケス2世に対して、なんだか申し訳ないきがする。
「ニュート、ニュート、頬にクリームがついてる……ほら」
 ベーケス2世はナプキンを自分の手元に引き寄せて、飛ばす代わりに手に持った。それからじーっとニュートを見る。
「ニュート、こい」
 ベーケス2世は、ニュートを招き寄せ、わざわざ口元を拭った。それから、さもそうするのが当たり前かのように、しずかに唇を合わせてくる。ニュートは反射的に目をつむった。
……婚約者じゃない人とキスしていいんだろうか?
 でも、ほんとうのキスじゃない。
 感触はない。
 ベーケス2世が実体ではない。だから、目をつむると本当に何をしているのかわからない。それでもちょっとドキドキはする。
 長いのか、短いのか。感覚だけだと判断に迷う時間を置いて目を開けると、ベーケス2世の赤い瞳がニュートをじっと見下ろしていた。
「12秒!」
 それから、彼はニコッと笑って、ベルを鳴らし、使用人に食器を片付けさせる。

 ベーケス2世はお疲れのようで、背伸びをすると、虚像のまま机に突っ伏した。
 別に無理しなくていいのに……と思いながらも、こうやってベーケス2世と一緒に過ごす時間はニュートも嫌いではないのだった。
 お疲れ様、とニュートはベーケス2世の頭を撫でるふりをした。ベーケス2世はちらっとニュートを見て、重さを預けるようにすこし傾ける。
 ベーケス2世は虚像のくせに、器用につられてくれるのだった。
「なあ、ニュート、本当の俺は、もっともっとお前に食事をさせるのが上手いんだぞ……。念力なんか使わなくたって、ちゃんとお前に食事をさせてやれたんだ」
 お前に食事させるのは俺がいちばん上手かった、と、ベーケス2世はおおげさにため息をついた。
「ああ……俺もそろそろ棺から出たいもんだなあ……」
 そろそろ結婚を考えてみたらどうだろう。
 ベーケス2世が動きを止める。
 ニュートはベーケス2世の髪を、さらさらとかすふりをしていた。それでも、虚像はちっともびくともせず、髪が乱れることはない。
「……っ、ニュー……」
 ベーケス2世も、結婚相手を見つけた方がいい。ちゃんと、ほんとうに好きな人と……。
 ニュートが続けると、ベーケス2世はうめくような声を出した。
「……ニュート。俺は、ニュートの事を愛してる……」
 それは魔界王の王座のためで、ほんとうに好きなわけではない。
 ふわっとニュートの身体が持ち上がる。はずみで、魔界の石炭が手のひらから転がっていった。
「ニュート、誰がお前にそんなこと言った?」
 ベーケス2世を怒らせた。
「なあー、ニュート。それは、本当に、面白くない冗談だ。何が不満なんだ? 俺はお前のために、キスだってできるのに……どこがいけない?」
 壁に押しつけられながら、ニュートはわりと冷静だった。
 魔界で過ごしてみてわかった。魔界のみんなが親切なのは、ニュートが魔界王の力を持っているからだ。
 それで、自分が無種族だから……。
 そうじゃなかったら、知能も身体能力も平凡な。そのあたりの人間とごく変わらないようなじぶんに、親切にしてくれる理由はないのだ。
 ベーケス2世は、怒ったってちっとも怖くない。
 だって、ウルハムやゾービナスとは違う、彼は虚像だ。噛まれる心配はない。なら、何かされるはずがない。
 怒って何かしてくるということも、ない。魔界の石炭が増やせるのはじぶんだけだ。
 でも、優しくしてくれるから……ニュートはベーケス2世がちゃんと好きだ。
 ベーケス2世も、ちゃんと愛せる人ができて、自由になる日が来るといいね。
 ニュートが言うと、ベーケス2世の念力は、ぱっとニュートの身体を離した。
 自分の方もそろそろ腹を決めて、誰かと結婚しなくてはならないだろう。
 いろいろと面倒だったので、まだベーケス2世との婚約の破棄を公にはしていないのに、それでもあちこちからつつかれている。
 ベーケス2世は、恐ろしいほど長く、長く、沈黙していた。
 取り返しがつかないことを言ってしまった……のではないかと思ったが、次に顔を上げたときはいつもの笑顔だった。
「……そうだな~! ニュート、それじゃ、俺も結婚相手を探すとするか!」
 ニュートはとてもほっとした。
 ベーケス2世も、次期吸血鬼の長だから、相手を選ぶのは難しいだろう。でも、ちゃんと望む人と結婚するといい。
 そうしたら棺から出して貰えるし、きっと幸せになれるだろう……。

***

 それから、しばらく、ベーケス2世はめっきりニュートの前にすがたを現さなくなった。
 頼んでいた仕事はやってくれているようだし、律儀に報告書も届くから、きっと真面目に結婚相手を探し始めたのだろう。
 ベーケス2世がいなくなると、吸血鬼一族への頼みごとはどうしても滞る。油断のできない一族だった。吸血鬼は、陽気なだけの種族ではない。
 でも、ベーケス2世に頼ってばかりもいられない。
 ベーケス2世がほかの人と結ばれることを思うと、ニュートはやっぱり寂しくはある。
 幸せになって欲しいという気持ちは本当だ。
 打算を足したり引いたりして、それでもなお優しいというのは、ニュートにとってじゅうぶんなことだ。だから、そのくらいの報いがあってもいい。
 恋人ができても、食べ物を食べさせるやつはやらないでほしいな……、と、ニュートは身勝手なことを考えていた。キスはいいけれど、……ほんとはイヤだけれど。でも、パフェを食べさせたりしないでほしいな……、と考えて、吸血鬼の食事は血とチョコレートであることを思い出す。
 キスはちゃんとしたことがないから仕方がないけれど、あれは自分だけのものだ。

 ニュートの方の結婚といえば、急に魔界の情勢が変化し、結婚どころではなくなってしまった。
 併合した新魔界の土地で反乱が起こって、押さえるのに手一杯になったのだった。ほんとうにおやつを食べる暇もなくなった。
 ニュートも久しぶりに前線に立ち、指揮を執る……。武器も振るわず、かたちだけのものではあるが……、とにかく、魔界王の威厳を示すために、ニュートはやっぱりそうせざるを得なかった。
 ようやく平定を終え、兜を脱いで部屋に戻ると、ベーケス2世が立っていた。
「忙しそうだな、ニュート」
 久しぶりに顔を見た気がして、ニュートは嬉しかった。
「なにをしていたのかって? 大事な用があってな。ああ、気にしなくていいさ、ニュートはな!」
 ちょっと突き放したような物言いに、なんとなくトゲを感じないでもない……。しかし、ニュートが決めたことだ。
 ベーケス2世は笑って、すっと近づいてきた。
「それで、ニュート。あの話はどうなってる? ああ、いや、結婚どうのじゃないさ。政治の話だ」
 あの話、といってもニュートに覚えはなかった。
 何の話なのか、とニュートは尋ねる。
「なんだ、話がいってないのか? そうか、忙しくしていたもんな」
 ベーケス2世は少しだけ目を丸くして、いくつかの書類をニュートに見せた。どうやら、土地の権利書らしかった。たしか、前にベーケス2世がくれた、市場とか農場とかの……。
「うん? あげてないぞ? ほら」
 ベーケス2世は書類の一部を示して見せた。細かい契約書を確認すると、譲渡ではなくて、貸与となっているようだ。
……ニュートには難しい法律用語はわからない。ほとんど家臣に任せきりで、細かい契約の部分まで知るわけがない。
「ま、タダ同然だから、実質的にはお前のものでいいんだがな。名義がベーケスのものってだけで……自由に使っていいやつだぞ! ただ、まあ、ほら。細かいお約束があるわけだ」
 ベーケス2世が示した箇所の文字は、さらに細かい文字になる。
 こうなってくるともうお手上げだ。ニュートは、困惑してベーケス2世を見上げる。
「ああ。かいつまんで言えば、土地をタダでやるぶん、発生した利益のいくらかはよこせ、というヤツだ。今までは取ってたわけでもなかったが……安心してくれ、ニュート。これは、すぐに払えというものではない。催促もしていなかったし、新しく王が立ってすぐだから。毎月な、俺がサインして、期限を延長してきたんだ……。ただ、そろそろ、魔界王も新しくなったことだし、俺たちもそう甘いことは言ってられなくなってきてな。父上がそろそろ取り立ててこいと……。ああ……もちろん、俺はニュートの味方だからな!」
 ベーケス2世が示した計算によると、本来支払うべき金額は、ものすごい額になっている。
 そこで、ようやくニュートは気がついた。
 吸血鬼一族の影響力は、あまりに大きいものなのだ。彼らの助力を失えば、魔界が立ちゆかないほどに……。
 ニュートはちっとも賢くはない。
 普通で、平凡で、愚かな人間と変わらない。ちょっと小賢しくなっただけで、ニュートはぜんぜん賢くはない。
「俺はもうニュートの婚約者じゃない……。だから力にはなれない……。けどな、ニュート」
 ベーケス2世は、愛をささやく代わりに、真っ赤なバラを差し出した。
「お前が頼むなら、……お前が、俺を選ぶってんなら……なあ、ニュート?  助けになってやれるんだがな!」

2022.10.27

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