お話があります

 魔界の暗闇にそびえる、城。
 王座の間はその中でもいっとう厳粛な場所だ。冷え冷えとして磨き抜かれた石材はつややかに、魔界のランタンにともるオーの炎は、より一層きらびやかに燃え盛っている。
「お呼びして参りましたわ、ニュート様」
 扉を閉め、傍でかしこまるフランコールに、ニュートは頷いた。

 いち早くやってきたベーケス2世は、礼儀にのっとった挨拶をする。それと同時に自分は婚約者であるから、必要以上にかしこまる必要はないのだと言外に示してみせた。
 ニュートは、王座のとなり、小さな椅子に座っていた。
 姿の見えぬ現魔界王は、今は不在のようである。
「お待たせいたしました、ニュートちゃま!」
 ゾービナスがやってきて、スカートを持ち上げて、あくまでかわいく、一礼した。
(……全員が呼ばれるのか……)
 ベーケス2世は思った。
……まだ、話とやらは始まる気配はない。

 現魔界王に最も信頼される家臣たちが、ずらり、王座の前に並んでいる。
 護衛気取りのスケルナイトが、ニュートの傍らで茫洋と立っている。熱っぽい視線で、ウィンチはスケルナイトを見つめていた。
「遅くなりました。すみません……」
 ウルハムが小走りでやってきた。
 コレで全員か、と思われた頃。……さいごに、きい、と、扉が開いた。
「やあ、何、ニュート?」
 あくまでもいつも通りといった風の……ニュートの幼なじみが入ってくる。もしもただの人間ならば、首根っこを掴んで礼儀を叩き込んでやりたかったのだが、どうにもこいつは毛色が違う。それに、ニュートはそれを望まないのは明白だった。
 人間界から魔界にやってきた友人。特別なポジション。しかしまあ、一時的なものだ。
 ぞわりとした。なぜだかこいつには後ろ髪をさかさに撫でられるような恐ろしさを感じる。
「おそろいのようですね。次期魔界王であるニュート様から、みなにお話がございます」
 あの裏切り者の人間の息子はいなくて当然だろう。マーメルンもいない。
 よそ者はいない。
 わざわざ家臣たちを集めての、次期魔界王のご命令とはどのようなものか……全員が固唾をのんで見守っている。

 ジャンタンを泣かせないで下さい。

 ベーケス2世は内心何を言っているか分からず硬直した。
 他の家臣たちもそうだろう。たぶん。

 フランコールが申し訳なさそうに口を開く。
「わたくしからお伝えいたします。あの、ジャンタンにつらく当たっている家臣がいるようだと、ニュート様は心を痛めておりますわ」

(……何を……)
 ジャンタンの父は、魔界をメチャクチャにした原因を作った裏切り者だ。だが、ニュートは長いこと人間界で育ってきた。考え方は惰弱である。
 同族だと思って育った境遇に同情を寄せるのもある程度は仕方のないことか?
「ああ~、なるほどね。ニュート、気にしてたんだね。ジャンタンを泣かせたのは誰、って?」
 デビイの言葉に、ニュートが神妙に頷いた。3秒くらい前まではわりと神妙に見えた。こいつポーズだけか。ポーズだけ神妙になっている。さいきん威厳が付いてきたな、と思ったが威厳しかついてない。
「あはは、なんだかガッキュウサイバンみたいだねぇ。ニュート。それで、裁かれるのは誰なの?」
 ガッキュウサイバンって、なんだ……。ベーケス2世は考える。

 そんな用かと安堵しかけたが、思った以上に、状況は悪いのではないか?

 同族を泣かせること。
……それは、人間にとってどのくらいの罪になるのだろう?

 この場にいる誰が正確にニュートの心を推し量れるだろうか。

 デビイ、何か知ってる? と、ニュートがデビイの方を向いた。
「うーん、そうだなあ」
 デビイは思い出すような仕草をした。
 気まぐれで喉元に刃を突きつけられるような感触。ギロチンの刃が頭上にぶらさがっているかのような感覚が血液を凍らせていった。
 ベーケス2世は、ジャンタンに厳しく当たっている自覚があった。デビイのことも、心から信用していない。幼なじみだというコイツが、ニュートに何を吹き込むか……。場合によっては、気まぐれで命を落としかねない。
 けれども、デビイは、単に、
「ううん、知らないなあ……ごめんね!」
 と言うだけだった。

「なあんだ。そういう話だったのね。私はジャンタンをいじめてなんかない……そうでしょう、ニュート?」
 ウィンチが妖艶な笑みを浮かべた。
「ウィンチ。ジャンタンが……あのね」
 少しだけ言いづらそうに、フランコールが続ける。
「クリームパンが、食べきれないと……」
「……」
 ウィンチはジャンタンに人間界の食べ物を味見してもらっているのだった。先日、めいっぱいクリームパンを食べさせられたジャンタンはもうやだあ、甘ったるくて食べられないと音を上げていたのであった。
 人間界についてはじぶんも詳しい。できたらじぶんもおねえさんの手料理を食べたい、と、ニュートが付け足す。
「……機会があったらね?」
 ひきつった笑みでウィンチはそれだけ絞り出すように言う。
 にやにやと笑ったおかげで、糾弾の矛先は次にベーケス2世を向いた。ウィンチが巧みに視線でベーケス2世とゾービナスを刺して、話をこちらにぶつけたからだ。
「お言葉ですが、ニュートちゃま?」
 ゾービナスはニュートを見上げる。ネックレスに照らされるような笑みだった。
「あれもわたしたちの仲間と扱うことはございませんわ。そうではなくて? だって、あれは魔界の裏切りものなんですのよ。わたしたちを暗闇に閉じ込めたのは、あの子の父親が原因ではありませんか」
 とうとうと言葉を並べ立てるゾービナスは、長から指示を受けているのだろうか。それともじぶんの意思なのだろうか。
 でも、可哀想だし……。
 ニュートの一言で、ゾービナスの瞳が揺れた。ベーケス2世も同じ気持ちだ。理解できない。ニュートは気弱に過ぎる。
 けれども、その人間の理屈を呑み込んで頷くコトはできる。ゾービナスは自分よりも早く、「ニュートちゃまがそう仰るなら、努力いたしますわ」と言ってのけた。それは……いつまで覚えている約束だろうか。
「おお、ニュート様はなんとお優しい! 流石、人間の心をお持ちですね」
 わざとらしいスケルナイトの追従が、白々しく王座の間に響く。
「それで、他は?」
 なぜだ。
 あの小僧の父親が裏切らなければ、自分は十五年間も棺の中にいなくて済んだ。そうすれば、ずっと一緒にいられたのに。ずっと。ニュートが、婚約者である自分の顔を忘れることもなかったのに――。
 なぜだ。と、暗い炎が心を焦がす。
 言いたいことを呑み込んで、ベーケス2世は頷いた。
「……ニュートが。いえ、次期魔界王のニュート様がそう言うのなら……」
 ベーケス2世なら、分かってくれると思った! と、ニュートが笑って、ベーケス2世は一気にどうしたらいいか分からなくなった。
 喜んでくれている。
 口先でいくら何を言ったとて、いくらでもやりようはあった。気取られぬようにすればいい。どうしたらいいか分からなくなる……。
 その気持ちをなんと呼び現すのか、ベーケス2世は知らなかった。約束ね、と念を押す小さなニュートの声が、頭にずっと残っていた。たぶん、一生、ずっと、残っているのだ。

「家臣を集めて何かと思えば。このようなお話とは。ああ、いや、安心しました。それでは私はこれで……」
「はは……。じゃあ、僕も……」
「あなたたちは残って下さい」
 話は終わり、という空気にそそくさと立ち去ろうとするスケルナイトとウルハムに、フランコールの慈悲のない声が響くのだった。

2021.03.06

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