ポーカーフェイス

結婚後だけどベーケス2世呼び(なんて書けばいいかわからないから)

「ニュート、もういいのか? それだと腹がすかないか?」
 食卓の向かいに座ったニュートはにっこりと笑って、血のスープの残った皿を横に押しやった。まだ半分以上は残っている。
「口に合わなかったのか? 魔界の石炭を作るのだって体力がいるだろ? せめてもう少し……」
 ニュートはナプキンで口もとを拭うと、じぶんはベーケス2世が食べているところを見ているから、と、どこかで聞いたようなことを言った。
「……そうか」
 ベーケス2世はじぶんのスープを喉に流し込んだ。ぬるい血の味がする。
 さして食欲はわかない。けれども、ニュートが見ている手前、食事の手本を見せてやらないとならない。ちゃんとした吸血鬼はこうであると示してやらねばならないのだ。
 吸血鬼になったニュートはあまり食事をとらない。
 無種族であったときはあれだけ元気だったのに……。からかえばぽっと炎が散るように赤くなっていた頬は、今は静けさをたたえている。最近は声をあげて笑うこともなく、唇は、あいまいに弧を描くだけだ。
 もう、あちらからくっついてくることもなかった。
 いや、もしかしたら、もともとそんなものだったのかもしれない。人間だったニュートとベーケス2世は、実体でふれあう機会はほぼなかった。魔物になったら、そういうことも必要なくなるんだろうか。
 いずれにせよ、確かめる機会はもうない。永久に失われてしまったのだ……。スープを食べ終えると、ニュートは人の気も知らず、美味しかったかと尋ねるのだった。

 ◆◆◆

「ニュート、ただいま!」
 寝室に帰ってくると、ニュートがむくっと起き上がった。別に、寝ててもよかったのに。でも、おかえりと言われるのはたまらなくうれしかった。
 ベーケス2世が手を伸ばすと、ニュートは身を守るようにきゅっと目を閉じた。怖がられている。今日こそ思いっきりニュートと触れ合うぞ、というきもちが、急速にしぼんでいった。
 ……嫌われたくない。でも触りたい。
 怖がらせたくない。そろそろと頭に手のひらを差し入れてやって撫でてやった。だいぶ緊張しているようで、ちょっとぎこちなかった。……これ以上拒否されると、どうしたらいいかわからない。そっと手を離す。
 不意に、「うそつき」、とつぶやかれ、その声はぐさっと胸を刺した。
 ニュートは、吸血鬼になったことを後悔しているのか。
 いや、それとも自分との結婚を――。
 真意を問いただすことはできない。ニュートはもう毛布をかぶって寝てしまっていて、自分も明かりを消して隣に寝そべった。オヤスミのキス一つ、贈ることができない……。

 ◆◆◆

「魔界王ご夫婦はラブラブでうらやましいですわねぇ」
 フランコールの言葉を飲み込むまで、ベーケス2世は若干の時間を要した。
 誰と誰がなんだって?
「……。他からはそう見えるのか?」
「あらー! とぼけちゃって!」
 フランコールはニコニコ笑っている。
「朝、髪を梳かして差し上げるときに、ニュート様が毎日お話ししてくださるんですのよ。毎日実体のあなた一緒にいれてとってもウレシイ……ですって!」
(……)
「こんな夢みたいな日々がずっと続くといいな、と……あら、どうされましたの?」
 自分の感想とはずいぶんちがった。
 慎重なベーケス2世のことである。フランコールでなければ、気を遣って、お世辞でも言ってるんじゃないか、とでも思うところだった。しかし彼女は信頼できるニュートの家臣で、ウソをつくような人物ではない。
「ニュートは……俺のことなんて言ってるんだ?」
「ええ。それはもう、実体があるあなたといられて、毎日たくさんウレシイって言ってますわ。できたらもっと触りたいけれど、なかなかオヤスミのキスをしてくれないらしいから、ニュート様はあなたが寝た後にこっそりしてるんですって! もうっ! ニュート様ったら」
 ベーケス2世は思わず頬を押さえた。オヤスミのキスをしているとは思わなかった。
「ニュート様はねえ、一緒にお風呂に入ったあと、あなたが『風邪を引くぞ』って言って、自分の方から拭いてくれるのがことさらウレシイって言ってましたわ。じぶんも前髪から水がぽたぽたしてるのにって。もう、……耳に毒ですわね!」
「そりゃあ、……別に自慢になることじゃあないだろ? 昔だってやってたし……」
「あら、無自覚でして?」
 フランコールにそんな話をさせてしまうことに少々の罪悪感を抱きはじめたが、ちょっと気分が上向いてきた。
「いや、でも、さいきんあいつ、笑ってないような気がするんだが……」
「そうですか? お元気そうですけれど。ニュート様は吸血鬼の流儀にのっとって、厳粛に、おしとやかになろうと努力しているそうですのよ。ふふふ」
「元気がないような気がする。若干、……リアクションが薄いような」
「そうですか? 吸血鬼になってから、血色が分かりづらくなりましたものね。よおく見るとお耳の先が赤くって、ニュート様ったら、かわいらしいですわー!」
 そうだったのか。
 顔を見るとそっと目をそらされるのがつらくて、こちらもなかなか見れずにいたのだ。こんどはちゃんと凝視しよう。あと、オヤスミのキスも自分からしてやろう。
「さいきん、飯をろくに食べてないみたいに見えるんだが……」
「それは……そうですわねえ」
 これについてはフランコールは分からないようだった。
「さあ、なんでかしら?」

 ◆◆◆

 ベーケス2世は、ちょっと浮かれはじめていた。
 もしかしたらニュートに嫌われているのかも、というのは自分の勘違いで、途方もなく愛されているんだったり……。
 それと、ニュートはわりと積極的らしい。
 いったい、寝ている間に何をされているんだろうか……。
 右の頬なのか左の頬なのか。それとも、……唇だったりするのか。というか、自分は悩んでいた割にぐっすり寝過ぎだったんじゃないか? 全く気が付かなかった。
 しかし、ご飯を食べないのはなぜなのだろう。こればかりは気になる。少しばかりの罪悪感を覚えつつも、ベーケス2世は政務の合間にこっそりとニュートの後を付けてみることにしたのだった。
 休憩時間になると、ニュートはぐいーっと伸びをして、散歩に向かう。たまに立ち止まって、ちら、ちらっと振り返る。
 普段なら自分がいるほうを見上げている……ような気がする。やはり愛されているのではないだろうか……。手を振ってやりたい。
 ちょっと希望が見えてきたからなのか、やたら浮かれた思考になってきた。ベーケス2世ももニュートは、いまごろ石炭を増やしているのかなと思ったりしていた。なんとかしてもっと一緒にいる時間を過ごしたい。俺は魔界王の伴侶だぞ……という気持ちになってきた。
 と、ニュートに向かって、弾丸のように飛び出していく影がある。
「ニュート様、僕またごはんとってきたんですけどーっ!」
「お前かー!!」
「ぎゃん!」
 ベーケス2世はウルハムを念力で押さえつけた。持っていた獲物がごろごろ落っこちた。
「お前! お前がニュートに差し入れしてたのか……! それでニュートがロクに飯を食わなかったんだな……」
「2世、気が付いてなかったんですか? いや、だって。ちょうどいいですし! 僕が肉を食べてニュート様が血を抜いてくれたら下処理の手間が……」
「お前……、普段は栄養満点だって言ってそのままかぶりついてるだろ!」
「だって、ニュート様にご飯……ご飯食べさせたくて……新鮮なお肉……可愛いんですもん」
「俺がちゃんと飯を食わせてないようなコトいいやがって……コイツ!」
「にゅ、ニュート様! 助けてください!」
 顔を上げると、ニュートがじっとこっちを見ている。
「ニュート、すまん! 今、たてこんでてな。俺はちょっとウルハムと話してるから……今日は一緒にご飯食べような!」
 ニュートは頷いて行ってしまった。……相変わらず表情が乏しいのだが、良く見ると「なんだ、今日はおやつが貰えないのか……」という、ちょっとがっかりした顔だったような気もする。
「あーーーーっ、ニュート様、いかないでぇ……」
「ええい、せめてコップに移せ。あと俺の許可を得ろ! お前がニュートに食事をやるせいで、俺はニュートが飯を食っている姿がロクに見られないんだぞ!」
「僕のせいっですか? いやあ、でも、僕だけじゃないですよ……」
「……うん?」
 ちょっといやな予感がした。

 ◆◆◆

「ニュートー! はいこれ! ニュートが大好きなジュースだよ。お疲れ様ー!」
「ニュートちゃま~! 一緒にお茶会はいかがですか♪ わたしー、新しいカップを用意したんですの!」
「ニュート様、こちらをどうぞ」
 なんてことだ。
 ニュートは城の行く先々で魔物たちから、血だの臓物だのを押しつけられていた。あれではお腹がいっぱいになるのも道理である。
 ぜんぜん食べていないわけではなかった。むしろよく食べているというか、飲んでいる、飲みすぎってくらいだった。
「ニュート、めっ! ……そんな顔してもめっ、だめ!」
 ベーケス2世が割り込むと、ニュートは悲しそうな顔をした。血色が乏しくはかなげだった。……「朝から罰を受けて、何も口にしていません」、というくらいの表情に見えなくもない。
 揺らすと、たぽたぽ音がした。
「お前~っ、どんだけ食ったんだ……? ……しばらく間食は禁止! 俺だってニュートと飯が食いたいんだ……ニュートの顔を見ながら飯を食いたい! ニュートと長いことふたりっきりがいい!」
 けち。
 ベーケス2世は、ぷいと顔をそらしたニュートの、耳先がちょっぴり赤くなっているのに気がついた。これはあとで絶対に追求しよう……。

2022.06.18

back