プリン食べちゃった

「た、た、大変申し訳ないことをいたしましたあっ……! この度の私の失態については……まことに……まことに……ニュート様にはお詫びのしようもなく……」
 天界からも冥界からも門戸を閉ざされ、〝鬼神〟と恐れられたはずの男は、平身低頭、平伏していた。
 磨き抜かれた王座の間の床には揺らめくオーの炎と一緒に、近くなった額当てが映っていた。かいた汗がぽたぽた滴っている。
「おっ、なんだなんだ?」
「あ。2世……」
 ベーケス2世が柱から身を乗り出してきたので、ウルハムが形式ばかりよいしょと場所をわずかに譲った。
「すばやいですね。こういうときは……」
「珍しく面白そうだったからな」
 魔界の城である。
 次期魔界王に魔界王の十分の一くらいでも迫力があれば、「次こそは必ずや誰それの首を」みたいな、悪幹部会議の申し開きっぽさのひとつもあったろう。
 ニュートはつーんと顔を背け、まくしたてられる弁明に無視を決め込んでいる……。
「あいつ、何をやらかしたんだ?」
「スケルナイトがなにしたかって? ふ、くく……」
 ウルハムが笑い声を噛み殺そうとしている。
「あのですね。スケルナイトったら、ニュート様のおやつのプリン、勝手に食べちゃったんですって。ふ、ふふ、いひひ」
「おっ!」
 ぱっとベーケス2世の顔に輝いた笑顔はこのときばかりは心からのモノ、と、称してもよかったかもしれない。
「申し訳ない……申し訳ございません! いかようにもお詫び申し上げます……え? プリンは美味しかったのかって? はい、それはもう……はい。ああいや、その、そのぅ……はい……大変おいしく……いただきました……どのように……ですか、はい。ええと、カラメルが大変香ばしく……。舌触りも滑らかで。あの……」
 もういい。
 ニュートはそう宣言すると、唐突にすとっと王座を降り、そのまま歩き去っていった。
「お。お待ちください、ニュート様。どこへ行かれるおつもりですか? 人間界? プリンなら私が買いなおして参ります、ですから……ああっ。お待ちください! ニュート様。おひとりでは危険です!」
 スケルナイトはが後ろを追いかけていった。
「……。あいつを人間界にやるほうが危険、じゃあないのか?」

***

 本当に人間界に来てしまった……。
 扉を抜けたスケルナイトは、なりふり構わずニュートの姿を探した。いくら魔界よりはいくらか安全とはいえ、姫様が、いや、次期魔界王がこんなところをほっつき歩くだなんていうのはとんでもないことである。
(いったい、どこに……)
 あたりを見回すと、ずいぶん離れたところに見慣れたすがたがあった。露天商の前にしゃがみこんで、口上を聞きながら何やら覗き込んでいた。カーペットの上に置かれた品々は、魔界王族からすればガラクタみたいなものだったろうが、何やら面白いらしい。
「ニュート様!」
 ニュートはくるっとスケルナイトを振り返った。
「あっ……」
 ぱ、ふぇ。
 言葉こそ発しないが、唇の形が確かにそう動いた。

***

「パフェですね、はい……」
 どうしたものかと思いながらも、スケルナイトはニュートの前を歩いた。すたすた、すたすた、早足だが、同行者とみなされるかは微妙な距離である。
 ひそひそとなにかささやきかわすような声が聞こえた気がして、スケルナイトは立ち止まった。己を搔きむしりそうになったが、あざ笑う声ではない。顔はちゃんと……少なくとも横顔は完ぺきだ、すべてとはいかないが、十分ではない部分もきちんと髪で隠れている。怪訝そうな顔でニュートがスケルナイトの顔を覗き込んでいる。
「なんでもありません」
 今の自分はかつてのじぶんではない。隣を歩くのにふさわしくあるはずだ……。

 はじめはかなりお怒りのニュート様に戦々恐々(恐怖!)、だったのだが……。
 しかし、しかし、なんだか、ニュートは怒っているというよりは……。
 足音が、ちょっと弾んでいる。
 最初は全てに焦っていたスケルナイトも、次第に落ち着きを取り戻しつつあった。
(ニュート様、実は大して怒ってはいらっしゃらない……?)
 実のところ、ニュートは、人間界に来たかったのだ。外出の機会をうかがっていたが、ぜんぜんお許しが出なかった。それでも隙を見つけて帰ってやろうとしても、目ざとく見つかって閉め出されていた。
 別に逃げ出そうというわけでもないのに……。ちょっと遊びに行きたいだけなのに……。
 そこで、スケルナイトである。
 魔界最強騎士様の許しがあれば、堂々と出歩けるというわけである。……転んでもただでは起きないときめていた。

 思いがけず、ニュートとのお出かけとなった。
 それは望外の喜びではあったが、あまりに突然のことだったので、スケルナイトはなんのプランも考えていなかった。洒落た店の一つ知っていたらよかったのに……。悩みながら歩いていると、ニュートを見失いそうになる。
「ニュート様……ニュート様?」
「はい、毎度あり」
「あっ、ニュート様。ここは私が……」
 ニュートはいつの間にか食べ歩きの構えで、次のお店に歩いて行ってしまうのだった。慌てて追いかけて支払いを済ませる。そうしているとまたニュートがフラフラどっかに行っていて、追いかけることになる。
 途中でバン! と見慣れぬ位置に、さっきまでなかったはずの扉が出現して、何やら向こうから「帰ってこい」のオーラがひしひしとするが、ニュートはすっ……と道路の反対側に行く。まだ気が済まないらしい。
 ジャンタンが城下町でお祭りに行ってた、と、ニュートはぽそぽそ話し始めた。どうやら食べ歩きがうらやましかったらしい。
 あれもこれもと手を出して、それからようやく、目当てのパフェを売ってる喫茶店にたどり着いた。
「……美味しいですか、ニュート様」
 返事の代わりに、シャクシャクとニュートのほっぺから音がする。梨だ。だいぶ嬉しそうにしている。……機嫌を直してくださったならよかった。スケルナイトも自分の分を食べ始めた。ニュートは、パフェを上3分の1ほど平らげ、一番美味しいところを占領してから、スケルナイトの頼んだ方のパフェをじっと見ていた。
「ニュート様、気になりますか? このサクランボ、砂糖漬けのようです。なかなかおいしいですね。同じものを持ってきてもらいましょうか。あ、でも、二つはさすがに食べきれないでしょうから。そうですね、プリンにもついているよう、で、すので???」
 最後のほうの声は上ずった。
 ニュートの手が伸びてきて、食べかけのサクランボを取られてしまった。食べかけの……片方食べかけの……。
 頭が真っ白になった。
 ニュートが種を吐き出し、皿の上でカランと音がした。やけに現実離れして聞こえた。

 それから、ニュートはあれもこれもとお土産を買いこみ、スケルナイトは荷物持ちをし、それはいい。もうだいぶ何をしたのか覚えていないのだった……。
 もはや怪しさを隠す気もないらしく、バンバンバンっと三方に赤い扉が出てきた。
 びくっとしたニュートがすたすた引き返すと後ろにも出てきたのである。
「そろそろ、みな心配していることでしょうから、帰りましょう、ニュート様。またお供しますから……」
 機会があれば、下見をして、調べつくして、完ぺきなデートをするはずだった……醜態を……いや、スケルナイトもそれどころではなかった。ほんとうに……。

***

「ニュートちゃまーっ!」
 魔界へと帰るや否や、ゾービナスがぴょんっとニュートに飛びついた。疲れた様子のベーケス2世と気まずそうなウルハムがいた。
「大丈夫でした~? 人間界でいじめられませんでした? スケルナイトがいるから、きっと大丈夫♪ だったと、思いますけどぉ……。え、お土産? わぁ、ゾービナス、嬉しいです!」
「あっ、僕にも。どうも……ニュート様。……」
「おっ、ニュート。俺にもくれるのか? ……あ、招き猫? ああうん、何でも嬉しいぞ。うん……」
「それでは俺は……いえ私はこれで」
 あのスケルナイトが。暴力の化身みたいな男がどこか浮かされたようにふらふらと廊下の向こうに消えていった。廊下の壁にガンっとぶつかっている。
「……。何かあったんですかね?」
「……」
 ニュートはぷいっと顔を背けた。

2023.03.09

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