雪中行路

付き合ってはいないけどほぼ付き合ってると同義ということでひとつ……。
*脱衣(ウルハム)
*軽度の負傷(ウルハム)

 ウルハムの一撃で首を切り裂かれたマモンが、くぐもった断末魔をあげた。割れた笛を無理やりに鳴らしたような、不気味な音だった。
 胴体から首がもげ落ちようとしているのに、マモンの手が武器を追いかけるように空をさまよう。最後の抵抗を行うつもりだったのか、それとも、とっさの反応なのか……。いずれにせよ、キイン、と、ベーケス2世の念力で弾かれた斧はくるくると回転し、崖の下へと落ちていった。
 どさりとマモンの巨体が倒れて、地面が揺れた。
 ところで、マモンはもう一体いる。
 正確には、「いた」のだ。
 ベーケス2世の念力で吊り下げられたマモンが、空中でじたばたともがいている。ぱっと手を離され、鋭い岩山に向かって落っこちていく。
「ニュート、終わったぞ!」
 最期を見届けぬままに、ベーケス2世が振り返った。隣ではぴょんぴょんとゾービナスが跳ねている。
……やっぱり、自分の家臣がいちばん強い!
 ニュートはにっこりと笑う。
 遠くには、新魔界の砦がそびえ立っていた。

 ニュートも、家臣たちも、戦いにはずいぶん慣れてきた。マモンは、真面目に相手をするような相手でもない……そのくらいの存在だ。
 けれども、転がっている死体は、ニュートよりもずっとずっと大きい。それでも、ニュートはおそろしいよりも先に「心強い」と思うのだった。
 一応、道はないわけではないが、とぎれとぎれの道だった。敵を倒しながら雪をのけて歩くだけでも、なかなかたいへんな行軍だ。
「ニュートちゃま~、おケガはありませんでした? わたしの活躍ー、見てましたわよね?」
「ううん、ゾービナス。どっちかっていうと、僕の活躍……」
「黙れ、ですわ! ケガを治療してやったのは誰だとお思い!」
「わぉん……」
 ニュートは、よくやった、と声をかけた。すごいや、ありがとう! ……なんてことを言う代わりに、次期魔界王らしく、こういう所作をするというのもちょっと慣れてきた。ベーケス2世が、嬉しそうに頷いた。
「それにしてもぉー。ニュートちゃま! ニュートちゃままで、前線にでなくてもいいではありませんの? もうちょっと安全なところにいらしたら?」
「……それには、俺も同意見だが、魔界は存外、阿保ばかりだからな。ニュートが魔界王の器だと知らしめてやらねばならん。そんなクズどもでも、まあ……新魔界に味方するよかマシ、ではあるな」
 ベーケス2世は道に転がっている骨を見てニヤリと笑う。

 道は、踏み固められたものから人気のないところに差し掛かった。ウルハムが斥候として、ずぼずぼと雪に埋まりに行っている。
「あ、ニュート様ぁ。なんか、きれいなネックレス。埋まってた~! あげます!」
「おい。何でも拾ってくるな。犬」
「そうですわ。っていうか、行軍中に徴収したものはニュートちゃまのですわ! もともと!」
 こんなに雪が積もっているのに、ウルハムの格好は、普段とはあまり変わらない。戦闘の興奮か、身体からはほかほかと湯気が上がっていた。
「でもだって、……あ!」
 ウルハムがまた角度を変え、勢いよく走り去っていった。
 何か見つけたのだろうか。
 かつて、この雪原は魔界のものであったらしい。
 ニュートが魔界にいたのは、生まれてから僅かな間だ。なつかしいという感覚はない。けれども、あちこちに旗だったものが立っていたり、鎧の欠片や、ボロ布が落ちていたりする。
 きっとここには生活があって、誰かにはなつかしいものなのだろう……。
「ね。見てください。この樹。爪跡が残ってます! ここで、一族みんなで狩りして……背を比べたっけなあ……」
 追いついてみると、ウルハムは獲物をしとめていた。雌型のヘロウィップを、ほいっとお付きの兵士に放り投げる。
 それにしても、ほとんどが白い雪に覆われているのに、よくもまあいろいろと見つけてくるものだった。
 ゾービナスも、ここに来たことがあったりするだろうか。あれこれと思い出す様子はなく、なんでも珍しそうだった。軽やかに駆け抜けていって、新しい雪に靴跡をつけていく。
 ベーケス2世はどうなんだろう。なつかしいと思うんだろうか……。心底めんどくさそうに砦をにらんでいたベーケス2世は、ハッとして、ニュートを振り返った。
「あいつらはどうにもうるさくてかなわん。まあ、マシではあるんだが。……そういや、お前、鎧を着ているが。寒くないのか、ニュート?」
「2世!」
「ベーケス!」
 ウルハムとゾービナスが、ほぼ同時に声を張り上げる。
「!」
 ベーケス2世はマントを広げて、ニュートを庇うように前に出た。
 崖の上。ずいぶんと遠くの敵が、呪文を唱えている。
 アジャだった。
 何かが光った。……単純なファイア。
 それだけなら、大した威力じゃない。この距離なら届かない。ふつうは。けれども、そばには火薬樽がいくつも並んでいた。鋭い爆発が巻き起こると、地面が一斉に揺れる。
 新魔界、ばんざい! ニュートに死を!
……あざけった声が聞こえた。
「ニュート!」
 ベーケス2世が、ニュートに手を伸ばす。それはたしかに、重なったはずではあったけれども空を切った。舌打ちしたベーケス2世は指を振り、太い枯れ木を引っこ抜くと、地面に突き刺した。
 それは、僅かに雪の勢いを弱め、時間を稼ぎはしたものの。もたらしたのは、ほんとうに僅かな猶予だけだった。
 ベーケス2世、とニュートは叫ぶ。
 彼自身は雪にのまれ、姿は掻き消えている。
 ニュートも、天から、横から。押し寄せてくる雪に飲まれかける。雪の中は不気味なほど音がしなかった。
 視界が白く染まっていく中。ものすごい勢いでやってきた何かが、ニュートに横から思いっきりぶつかってきた。

***

 死んだかもしれない……。
 ニュートは、じつは本気で「死んじゃったかな」、と思ったことがない。
 今もそうだ。
 それは、今までなんだかんだ大丈夫だったし、という経験則に基づいている。
 それは魔界王族のもちうる傲慢なのかもしれないし、ニュートを取り巻いていた環境による、何らかの作用のせいかもしれない。
 つまるところ、ニュートはわりと図太いのだ。

 ぴちゃ、ぴちゃ、と近くで水の音がした。まだ、身体の感覚があるということは、生きているのかもしれない。
 身体は痛くはない。痛くないといいな……。
 ニュートがこわごわと目を開けると、暗闇に光る何かと目が合うのだった。
 人狼の目だった。
 ニュートは、巨大な人狼にせっせと顔を舐められていた。
「あ! 起きた、良かったぁ……」
 茶色い毛並みをした人狼は、心の底から安堵したような声を発し、おまけといわんばかりに、また、ぺろっとニュートの顔をなめてきた。
 とても大きい。狼の一舐めが顔をぜんぶ覆う。
 自分の前髪から、溶けた雪がぽたりと水滴になって落っこちていく。ニュートがじいっとそれを見ていると、人狼は「あっ!」と声を上げて、大きな体をきゅうっとちぢこませる努力をした。残念ながら、この空間はせまくて、ここには隠れる場所はないようだった。
「……ええとー、その。僕は。通りすがりの人狼というか、たまたま。ええと、ですね。あのー」
 ウルハム!
 ニュートが呼ぶと、わおんと元気な返事が返ってきた。やっぱり変身したウルハムだ。それから、ウルハムは視線をそむける。
「ううう。そうですよね。分かっちゃいますよね。僕、人狼だってバレバレだし。ニュート様には、前に一度、変身したところ、見られてますし……はは」
 ウルハム。
 もう一度名前を呼ぶと、ニュートはウルハムに抱きついた。
「わ、わ」
 無事でよかった。
 すっごく困ったようで、ウルハムは耳をぺたんと寝かせている。けれども尻尾は、疑いようもなくばふばふと揺れている。尻尾は、ふわふわはしているのだけれど、硬い、骨の芯をうかがわせるような重みを伴っていて、地面から小石をいくらでも弾き飛ばしている。

 ニュートはあのアジャのファイアで起きた雪崩に巻き込まれてしまったらしいが、とっさに変身したウルハムが庇ってくれたのだろう。身体能力がほぼ人間と同じ無種族のニュートが無事なのは、ウルハムが助けてくれたからに違いなかった。
「助かった、のはいーんですけど。崖の下に落っこちちゃったみたいなんですよね」
 どこかしみじみとウルハムは言った。
「谷の方じゃなくてよかったです。ほんとーに間に合ってよかった……。ああ、ニュート様。2世たちならきっとだいじょうぶですよ。だって2世だし。ちゃんと本流から逃れたの、見えたから……ゾービナスも、うん。大丈夫です」
 ウルハムが言い切ったので、ニュートはようやく笑うことができた。

 そこそこ長いこと気絶していたらしい。
 出発はお昼頃だったのに、もう暗くなっていて、外はいつの間にか激しい雪になっているようだった。
 入り口にはウルハムのマントがかかっている。……ウルハムは服をどうしているんだろうと思ったら、ウルハムの服を自分が着ていたので、ニュートはびっくりした。どうやら、寝ている間に着せてくれていたらしかった。ズボンも膝かけのようにニュートの上にかけられているし、帽子もニュートがかぶっている。
「ううー、あんまり、耳、耳は見ないでください……」
 寒くないのかと驚くと、ウルハムは慌ててそっぽを向いた。
 心配なのは寒さの方なのだが。それと、どうにも、恥ずかしさの基準が違うような気がする……。
「僕、ニュート様をくわえて、みなと合流しようとしたのですが。天気が悪くなっちゃって。しまったなーと思って、いったん、ここに避難してきました」
 ここはずいぶんと薄暗くて、狭い空間だった。大きな人狼を含めて、ちょうど二人入れそうな穴。ちょうど良い場所があってよかった。ニュートが言うと、ウルハムはぶんぶんと尻尾を振った。
「えへ~! 掘りました!」
……なるほど。
 えぐられたような雪の塊は、ウルハムによって削られたようだった。なら、ぴったりなのも道理である。そもそもぴったりになるように掘ったんだから……。
 ふと、ウルハムは後ろ足を不自然にかばう。雪には血がついていた。
 ニュートがじわっと泣きそうになると、慌てて頬をぺろぺろされた。
「だ、だいじょうぶです! 泣かないで……ああ……どうしよ……大丈夫ですよ。ちょっと休んだらすぐ良くなりますから、僕は」

 心配しているニュートとは裏腹、ウルハムはどことなく楽しそうだった。
「あ、そうだ……ニュート様、お腹空きません? お腹空いてると、寒いじゃないですか」
 ウルハムは、ニュートの膝にかかっていた自分のズボンをごそごそとやると、ポケットから何かを取り出した。植物の種だ。
「これはね、そう。ガリアンの! 魔界樹の種ですよ。あんまりひとが食べるもんじゃないですけど。ないよりはマシかなって」
 ウルハムは、と尋ねると、ウルハムはゆっくりと首を横に振る。
「僕、身体がおっきいから、そんなんじゃ足しになんないです。ですから、それはニュート様がどうぞ」
 なんだか気が引けながらも、ニュートは素直に従うことにした。魔界樹の種は、とても固かった。口の中で転がしていると、香ばしい味がする。
 ニュートは、ウルハムの毛皮にすっぽりくるまれて暖を取っていた。枕のように、しなやかな前足が添えられていて、鋭い爪があった。けれども別に怖くはない。どちらかというと、うっかり下敷きになったら窒息して死んでしまうんじゃないか、というのが懸念事項である。
 状況は非常に悪いはずなのに、雰囲気はびっくりするほど穏やかだった。人狼に変身しながらも、ウルハムはいつになくリラックスしているような気がした。
 とくんとくんと心臓の音がする。それはゆっくりだ。なるべく音に近寄りたくて丸くなると、ウルハムもすりすりと寄ってきた。
 もしも、ここにいるのがウルハムではなくてほかの人狼だったら、ニュートはとっくに噛まれてたことだろう。それ以上に、なんだか、食べられてしまっていたような気がする。ウルハムは偉いね、と撫でていると、すごく申し訳なさそうに押しのけられた。人のときでは考えられない行動なので、ちょっとびっくりする。
「あの。とっても嬉しいんですけど。あんまりさわさわしないでください。頑張って変身してないとならないので。僕、ニガテなんで……」
 ごめんね、と謝って、ニュートは手を引っ込める。
 変身が解けたらたいへんだ。
「いやぁ、戻れなくなりますんで……」

 ……。
 ぴしゃん、ぴしゃんと水が滴る。
 湿った獣の匂いがする。
 ウルハムの毛皮の下に、たぶん人よりは頑丈な皮膚の下に、血管がきっと走っていて、心臓が脈打っているのがわかる。生物の匂いだ。不意に、鉄さびの匂いがする。やはりけがをしたらしい後ろ足が気になって振り返った。
 せっかく立派なのに、べそっと寝た毛がかわいそうだ。そう思っていると、鼻先でつんつんとされて、申し訳なさそうにくるっと前を向かされた。
 やっぱり、あまり見られたくないのかもしれない。
 今も悪くはないのだけれど、もしも、穏当なときだったら、きっともっとふかふかで、良いにおいがするに違いない……。
 人狼形態のウルハムふとんにくるまれてお昼寝したら、さぞ気持ちよいだろうとニュートは思った。ウルハムは変身を嫌がるが、すごく頼んだら、たまに変身してくれないだろうか。
「ニュート様、あんまりこっちを見ないでくださいね。僕、この姿、好きじゃないんです、ほんとに……おくびょうで、なさけなくって……いやになっちゃうんですよ」
 多分、ウルハムは、仲間からは意気地なしとののしられるんだろう。ケガまでしてじぶんを助けに来てくれたのに……、損だなあ、とニュートは思った。
 体温すらもらってばかりだ。
 ウルハムは何が欲しいのだろうか。権力とか、そういうのはいらないだろうし……。じゃあ宝物とかお休みとか、よく頑張ったね、とか……。
 南の島とか行きたい?
 婉曲に聞いてみると、ウルハムから返事が返ってきた。
「はい、ニュート様と一緒なら」
 ニュートはちょっとだけ。ちょっとだけ思った。……ウルハムになら噛まれてもいいかもしれない……。
 しかし、それを言うとほんとにそうなりそうなので、ちょっぴり頭の片隅で思うだけだ。ウルハム、ウルハム、と呼んでいると、はぁい、と返事するが、だんだんと返事が鈍くなっていく……のだが、まさか死にかけているわけでもないだろう。
 怒られないように、隙をうかがいつつぺたぺた触っていると、ウルハムがむにゃむにゃと言っている。
「へへへ。僕が意気地なしでもいいなら、いつかこっちの姿でも、人狼になったニュート様と愛し合いたいなあ!」
 ニュートは、びっくりしすぎて、思わずウルハムをぽかっとやった。全く効かなかった。届く前にこぶしをむぎゅっと掴まれてしまった。お話にもならないくらいに、反射神経が良すぎる。表面が硬い、けれども柔らかい肉球だった。
 それは、寝言だったのかどうなのか。
 ウルハムと愛し合ったことはない……。
 というかキスすらしたこともない。ぺろぺろと顔を舐められる、たぶん無意識のこれを含まないなら……ぜんぜんそういうことはないのだ。
 ニュートはウルハムが好きだけど。
 ウルハム、ウルハム。ニュートは呼んでみたが、返事は返ってこなかった。勢いよく揺れた尻尾が雪と地面を削る。
 後ろからニュートをぎゅっとしているウルハムは、ニュートが身じろぐと上手に姿勢を変える。鍋の番をしながら、中身をかき混ぜるときみたいだった。
 大きな塊の中で横になるしかなく、ニュートは、もしも自分が人狼になって、変身したらどんなかんじになるのか、ということをひたすら考えながら、うとうととしていた。
 ひたすらに、どこまでも抱きしめ方は柔らかいのに、ちょっと姿勢を変えようとすると反射的にぎゅっと抱きしめられて、出れなくなるのだった。
 雪が止んだのか、空が白んできたのか、入り口にかかったマントから朝焼けが漏れている。ぐるる、ぐるる、と、ご機嫌そうではあるが、唸り声が聞こえた。
 ふと、ニュートは思う。
 ウルハムが今、とても落ち着いているのは、もしかしたら、今、ニュートがウルハムの中にすっぽり収まっているからなのかもしれない。

「ニュート~~~!」
 夜が明けたころに二人は無事に家臣たちに発見された。
 変身が解けてしまって、ほぼ全裸のウルハムの姿は大いなる誤解を招き、雪崩に巻き込まれたとき以上に死にかけたのはまた別の話である。

 彼にとっては散々な一日であったはずなのだが、それでも「一晩中ニュート様と一緒で楽しかったです!」と言ってのけるので、ニュートはひたすらにしょうがないな……と、思うのだった。
 繰り返すが、ニュートはウルハムが好きなのだ。

2022.04.19

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