信頼できない騙り手

 吸血鬼はどこまでも油断ならないうそつきだという話である。
「ニュート、……お前、なにしてるんだ?」
 ニュートがつま先立ちを保ったまま、プルプル震えている。それに、ちょっと浮いていた。念力で。
「うん? また吸血鬼の家にお呼ばれしても大丈夫なように訓練してる、って? ……。そうか~!」
 何か言いたげな様子のベーケス2世の顔を見て、ニュートはようやくじぶんがだまされたのを悟ったのであった。ぺちっと叩こうとしたけれども、簡単に避けられてしまう。バランスを崩して倒れそうになったところで、ベーケス2世は腕をつかまえて支えてくれた。ベーケス2世の中ではそれでチャラということになっていて、あとはもう、マントに収納されて全部うやむやにされる。くくくっと、笑いをこらえているような小刻みな振動が伝わってきた。ニュートは、改めてベーケス2世に抗議しておこうとしたが、急な照れに襲われて何もできなくなった。
「ニュートはホントに素直だな……」

 ◆◆◆

「なあ、俺はまだ言ってなかったか? ニュート……じつは、吸血鬼はな、じぶんの屋敷に、侵入者を撃退するため、わなを仕掛けてるんだ」
 それはつい先日、吸血鬼の仲間にお呼ばれした日のことだ。
 ニュートがせっせとお出かけのために身支度をしていると、伴侶が真面目くさって言ったのだった。器用に前髪をくしで後ろに流しながら、神妙な顔でしたりうなずいている。
 そうなんだ、と、ニュートは素直に思った。
 へぇ、世の中、ブッソウだなあ……。
「吸血鬼のよその屋敷は、だなあ。念力を使って、ちょーっと浮いて通らないとならないんだ。さもないと、床がぱかって開いて、落とし穴に落っこちて……敷き詰められた槍で、あっというまにぐさーっ、と。死んでしまうわけだ。おそろしいよなあ。客人が来たときはな? もちろん作動しないようにはしているが。ああ……万が一……万が一ってこともあるやも……」
 ベーケス2世は、固まるニュートの頬をつんつんつっついて、にかーっと笑った。白くて鋭い牙がちらっとのぞいている。
「もちろん、年に何度もあることじゃないぞ! ただ、十年に一度くらいな、仲間を訪ねた吸血鬼がそのまま、帰ってこないことがあるんだなあ。事情を分かっている連中は、ああ、やってしまったのかと思うわけだ。うっかりわなを外し忘れて、落っこちてしまったんだなあと。ああ、大丈夫! めったにあることじゃない。それに、浮ければ大丈夫だからな。自然に見えるようにちょっとだけ浮けば……」
 そこまで聞いて、ニュートは震え上がった。
 吸血鬼社会において、失敗は許されないものである。フランコールが言っていた……。それはこういうことなのか。油断していると玄関から落とし穴に落っこちて、ぐさーっと刺されることになるってことなのか?
 そんなの、予想だにしなかった。心の底から信じ切ったニュートはごくりと唾を飲んだ。
 ……よく考えたらおかしい点があった気がするが、ベーケス2世があまりにすらすら言うものだから、ニュートは疑いもしなかったのだ。
「ははは。なんだ。怖いなら俺にしがみついてていいぞ。そうしたら、落ちたときにはちゃんと、引っ張ってやるから! ああ、でも、傍にいるくらいじゃあ、気が付けぬかも……ちゃんとしっかり腕を持っておくんだぞ!」
 それでもって、いざお屋敷を訪ねたとき、ニュートはずーっと落とし穴のことを考えていた。ぴゅー、ぐさーっ、が頭に残っていた。ちょっと床板の色が違う気がしてびくびくして、カーペットを警戒してつま先立ちになり……。玄関を過ぎてからもずっと伴侶の腕にしがみついていた。
 思い返してみれば、「なんなんだ……?」という目で見られていたような気がしたが、それだって「さすがに怯えすぎだろ」と思われているのだとばかり思っていた。
 ソファーに座ってほっとして、ちょっと恥ずかしくなってきて、さすがに離れるか……と思ったとき……そろそろと腕をほどこうとすると、ベーケス2世は意味ありげに視線を部屋のあちこちにやるのだった。シャンデリアとか……壁のシミとかをじいっと見つめる。
 シャンデリアが降ってくるのか。それとも、なにか飛んでくるのか……。
 ニュートがぴとっとくっつき直すと、ベーケス2世はくっつきなおして、それから、なすがままにさせてくれた。

 ◆◆◆


 居室は結構広いけれども、ソファーは狭いものである。
 ぎちぎちに詰まればなんとか横に二人座れるが、ゆとりを持って座りたければ、膝を借りるしかないくらいだ。このソファーは、吸血鬼の伝統のデザインらしい……。吸血鬼は、わりあい、狭いところを好むらしいとニュートは思っていた。
 ぺったりと薄く見えるわりにはクッションはまあまあふっかふかで、表面はなめらか。座り心地のよいソファーである。ティーカップを持ち上げていたニュートは、ふと一日のことを思い出していた。
 会う吸血鬼吸血鬼、ぜんぜんくっついていないのである……。
 思い返せば、あの屋敷の主人の様子はおかしかった。……玄関口でニュート達を迎えたときに、今まで見たこともないような珍しい虫を見ていた顔をしていた……ような気がする。
 いや、でも、その顔はすぐに引っ込んで、にっこりした笑顔を向けてくれたし……。
 使用人たちも、お帰りのキスをするときはすっ……と遠い目をして遠くを見つめるのが常だ。星の数を数え始めたり遠くのホコリに急に興味を持って、そそくさといなくなるのだった。
 吸血鬼、ほんとはキスとかしないんじゃないか?
 ちょうど、伴侶の膝を借りていたので、ニュートはうしろを振り返って聞いてみることにした。ベーケス2世はにやっと笑った。
「ニュート、実は、俺たち吸血鬼はな……陽気なんだが、同時に、とってもシャイなんだ……」
 そうだったのか……。
 と、またもやニュートは納得するのだった。なんたってベーケス2世の表情は実に真摯で、これでうそをついているとしたらよっぽど世の中が信じられなくなるくらいだった。
「ほかの連中も家では! 実は、こんな感じだ。ははは。吸血鬼なんてなあ、俺以外はみんなうそつきだからなあ。ぜーったい言わないぞ、キスしてるか聞いても……。とても慎み深いんだ。まあ、ニュートはもともと人間界での暮らしが長いだろう。禁止されてるわけでもなし、別に困ることはない……」
 ニュートの後ろからすっと手が伸びてきた。ベーケス2世は、自分の分のティーカップをとって一口飲んだ。
「みな、ほんとはずーっと一緒にいたい。しょっちゅう触れ合いたいと思っているのに、言えないんだなあ。……シャイだからなあ……なあ。魔物って損だろう?」
 そう言うと、ベーケス2世が片目をつむり。ぐぐっと傾いてきた。ニュートは顔を寄せてそろそろと耳に口づける。
 ベーケス2世はふやけた笑いを浮かべながら、ニュートの顎に手を添えた。
「臆病だから、連中はなかなか。愛してほしいとか、……こうやってキスされて嬉しいとか、言えんのだなあ~!」
 愛しているよ!
 と、ニュートが臆面もなく告げると、ベーケス2世はちょっと固まって、ほんとうにまぶしそうに目を細めて、俺もだよと言ったのだった。

2022.03.29

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