対価は要らない

改題前「取引しない」

 戦場はうるさい。ニュートの耳は、もう、あちこちで炸裂する大きな音に慣れきってしまっている。黙って立っているだけで、そこかしこから振動が伝わってくる。
 投石が止んだ。城下町への門が勢いよく開け放たれる。ぶわっと空気が動いたのが分かった。張り裂けんばかりの怒気と破壊の音。しばらくの小競り合いが続いた後、しんとした一瞬があった。
「姫様――、いえ、ニュート様」
 スケルナイトが合図を促す。ニュートは頷き、飾りのついた剣を空に突き出した。
 突撃!
 兵士たちが口々に言い、声は輪唱のようにあたりに広がっていって、戦場を揺らした。
 優勢だ。はじめ、魔界に残されていたのはただ一つ、城のみだった。けれども今は、新魔界が追い詰められている側だ。ニュート率いる魔界軍は、新魔界から領土を取り戻し、あとは城下町と新魔界城を残すのみ、となった。
 ここさえ落とせば、魔界再建はすぐ目の前だ。
 ここが最後の砦であるのは、新魔界にとっても同じだった。滅亡を前にして、新魔界も最後の抵抗を見せている。兵士の数はこちらが多い。けれども、城下町ともなれば敵には地の利があった。
「はっ!」
 狭い通路に潜んだ一隊を、……そう、まちがいなく〝一隊〟を、スケルナイトがごく当たり前のように斬って捨てた。ぶん、と、純粋な重力だけを感じさせる音がした。技巧的というよりは単調だったが、その威力は常識外れにすさまじい。隊列を組んで戦う敵兵の、その列を丸ごとなぎ倒す。ウィンチが呪文を唱えて、同じように呪文を唱えていた後列の魔物の喉を魔術で封じる。
「! スケルナイトっ!」
 ウィンチに促されるまでもなく、スケルナイトは咄嗟に細い通路に待避していた。
 ベーケス2世が、崩れた一隊めがけて指揮棒を振るように手を動かした。それから、嵐を叩きつける。魔界の嵐は、敵味方も区別なく兵士たちをなぎ倒す。食らった敵兵は、もがき苦しんで塵となって消える。
「なんだ、別に当たっても良かったのに」
 スケルナイトは、静かにベーケス2世を睨んでいたが、「殺す」と呟いたのはウィンチのほうだった。ベーケス2世は、ニュートが視線をやるとぱっと笑顔になって、手を振った。
「さて、ニュート! ……広場はこれで片付いたな」
 ニュートは頷き、そびえたつ城門を見あげた。
 その時だった。

――ニャアアア。

 それは、くずおれる馬の鳴き声ではない。場違いな甲高い生物の鳴き声だった。どこかで聞いたことがある、と、ニュートはいぶかしみ……思い至る。
 ピクシーだ。
 魔界の建築屋。彼らは、なんだってあっという間に建てるのだ。
 ピクシーの一鳴きで、あっという間に建築物が現れる。 せり上がってきた地面で、ニュートの足がすべる。
「けへへへ、特急料金だど!」
 白黒の新魔界のピクシーは懐から、じゃらじゃらと宝飾品を揺らしていた。
 塔が現れ始めている。
 彼らピクシーは、どちらの臣下でもないというのではなかったか。明らかに協定に反している。文字通りに足をすくわれたニュートは、あわてて飛び降りようとした……が、次々とレンガが積み上がっており、にょきにょきと勢いを増していく。
 すでに地面は遠かった。
 このままだと落下の衝撃で死ぬか、降ってきたがれきで圧死するかだ。
「ニュート!」
 マントをなびかせて吸血鬼が飛んでくる。ベーケス2世が指を振ると、見えない力が、後ろ襟を掴んだ。
 空中にぷらんとつられる。苦しい、などと思っている暇もない。それから、ベーケス2世の指先は地面を指した。ニュートの体感としては、落下するよりも早く、ものすごい勢いで落ちた、……誰かが、いや、スケルナイトがニュートを抱きとめる。舌打ちは無論、ベーケス2世に対してなのだろう。
「ニュート様、今のピクシーの干渉で、部隊が分断されてしまいました。新魔界の連中は自分の居住を滅茶苦茶にしようとも、こちらには渡したくないようですな。あちこちから火の手があがっております。一度、退却のご決断を」
 ……ともかく、スケルナイトの言う通り、撤退の判断を下さざるを得ない。ニュートには、この借りは高くつくぞ、と、塔を睨むくらいの気概はあった。そのくらいの威厳は身についている。
 跳ね橋が上がり、砦が崩れ始める。ベーケス2世は、と空をふりあおぐと、ゆっくり右手を振っている。ほっとしたのもつかの間、空中で何かが光る。弓兵が彼を狙っていた。崩れ落ちそうになる砦から……。
「ニュート、行け!」
 するどく叫んだかと思うと、そのままベーケス2世はがれきに飲まれて見えなくなった。

 ◆◆◆

「ねぇ、泣かないで、ニュートったらぁ……」
 ウィンチが、ニュートを慰めてくれている。
 ニュートはふるふると首を横に振る。泣いていない。次期魔界王として、泣くわけにはいかない。
 ……城には、ベーケス2世の姿はなかった。自分をかばって彼が逃げ遅れてしまったことに、ニュートは強いショックを受けていた。
「ふふふ、きっと大丈夫よぉ、彼なら。あれだって、簡単に殺されたりはしないわ……。でも、どうかしら? ねぇ、腕の一本や二本ですむかしら? ニュートはどう思う? ああ、でも、吸血鬼は完璧な一族だものね。そうなれば『死んだ』も同然かもしれないけど……」
「所詮は魔物。ニュート様の期待に添えるものではなかったのでしょう」
 白いハンカチを差し出すスケルナイトもまた、薄らとした笑みしか浮かべていなかった。
「ニュート様」
 涙をこらえているニュートの背に、フランコールは優しく手を添える。
 フランコールは、彼が虚像であることを知っている。しかし、魔界において秘密とはトランプの手札のひとつ。ひとがむやみに教えるものではない。たとえ相手がニュートであってもだ。ベーケス2世が望まないだろう。
 だから、「きっと、すぐ帰ってきますわ」というほかはないのである。
 ……新魔界に捕まって、ヒドイ目にあっていたらどうしよう。殺されてしまったかもしれない。
 そうこぼすニュートに、幼なじみが話しかける。
「だいじょうぶ。次のベーケス2世はきっと、もーっとうまくやってくれるよ……」
 ベーケス2世じゃないといやだ!
 ニュートはぱっと立ち上がり、駆けだしていた。
 デビイの言動は、窓の外のベーケス2世を見上げたのまで込みなのだろう。よかったね? と、首をかしげる。ベーケス2世はどういう顔をすればいいか分からなかった。

 ◆◆◆

 ベーケス2世の部屋にやってきてから、ニュートははじめてぽろっと涙をこぼした。 
 連れて行かなければよかったのだ……。
 ベーケス2世に棺に無理やり閉じ込められてからというもの、なんとなく気まずくなって、ちっとも話していなかった。必要なことを、最低限話すだけだった。それでもベーケス2世はこちらを気にしていて、何度も謝っていて……。それでも口をきかないでいると、部屋にはそっと花が置いてあったりした。
 今日だって、連れていくつもりはなかった。ただ、勝手に俺も行くと言ってきかないので、なら、と、ニュートは止めなかった。
 最後に交わした会話はなんだっただろう……。
 ともかく、……ちゃんと仲直りすればよかった。

 泣き虫。泣き虫ニュート。
 人前では泣かなくなったが中身は変わってないものだ、と、ベーケス2世はふわふわと窓の外を漂いながら思っていた。
 虚像をこしらえるのは、それなりに手間がかかる。完全に消されれば、再生するまでにも時間を要する。タダじゃない。ひどく疲れる。けれども、致命的ではない……。そのことをニュートは知らない。
 それを知らないで、自分のことを思って泣いている姿は……まあ、そう悪くもないなあ、と、ベーケス2世は悪趣味なことを考えている。ああ、これで許してくれるだろうか、とも。
 それから、もっとひどい考え事もしていた。
 もしもニュートがいなくなったら、自分は同じように泣けるだろうか。どうだろう。たぶん、声を上げて泣いたりしないから……。薄情なものだ。
 あんな風に泣いたりしない。
 シーツを引っ張って、抱き寄せて、縋り付くように泣いている。ごめんなさい、と、ニュートは謝っている。
 ニュートは悪くない。無事で良かった……と、言ってやるべきだろう。
 適当な小石を念力で引っ張り上げて、窓にぶつける。それでも、ニュートはぜんぜん気がつかない。二度三度、やっていたが本当に気がつかなかった。
「……ニュート!」
 大きな声で呼ぶと、ようやくニュートは反応した。すすり泣きが止んで、しばらくじっとしていたが、また始まる。もう一度呼んでやると、かすかな声だが届いたらしい。にせい、とニュートがきょろきょろとする。ベーケス2世は窓の外でひらひらと手を振った。
……2世にとって、予想外だったのはこんな高さでもあるにも関わらず、窓を開けたとたん、ばーっとニュートが飛びついてきたことだった。虚像である自分にはニュートを支えることはできない。
「ニュート、お前……懲りないな!? ケガするぞ……!」
 慌ててニュートの服を引っ張って押し戻し、窓を閉めた。
「それから、カーテンは閉めろと言わなかったか? まあ、ここは俺の部屋なんだが……」
 ニュートはおそるおそる、震える手でベーケス2世に手を触れた。感触はない。ニュートはまだ、彼が虚像であることを知らないのだ。
 死んでしまったのか……、と、ニュートは尋ねる。
「いや?」
 否定したのに、またニュートの目からは涙があふれだす。
「いや、だから、生きてるぞ、俺は……」
 わああ、と泣きついて抱きしめられて、押し倒される形になる。本当ならきっと、息を必死に吸い込むような感覚がしたのではなかろうか。きっと、必死の鼓動が聞こえたのではないだろうか。せめて、頭を撫でてやりたかったな、背をさすってやりたい、と、ベーケス2世が思っていると、真剣な顔つきでベーケス2世を見下ろすニュートと目が合った。
――ベーケス2世が、ちゃんと戻ってきてくれるなら、何でも言うことを聞く。何でも。
「……何でも?」
 王座を。目的だけに生きている自分が耳元で囁いている。絶好の機会じゃないか。身体を張って命を救ってやったのだし、十分にその権利がある。これは取引だ。自分の望むままに、双方の思うままに、進めれば幸せになるじゃないかと。
「なら、なら……」
 ぽたっと落ちてきた涙が、雨粒のように頬をすり抜けていった。
 もしも自分が実体だったら、落っこちてくる涙の味もわかったのではないだろうか。指先で拭ってやるかわりに、「ほら」とベーケス2世はハンカチを引き寄せた。
「お前が泣き止んでくれたらいい。……そうしたら俺も、ちゃあんと戻ってくるから」
 本当なのか。絶対に戻ってくるのか。ニュートはじっとベーケス2世を睨んで言う。警戒するのはそこじゃない、と、ベーケス2世は思った。この魔界でそんな風にしてたら、すぐに首筋を噛まれるぞ、と。
「ああ。……お前が望むなら。俺は戻ってくるよ、何度だって。ほら、今日はもう寝ろ、ニュートだって疲れたのだろうから」
 ニュートは頷いて、大人しく布団にもぐった。あまりにも当たり前の仕草だったから、咎めるのが遅れた。
「…………。いや、ここは俺の部屋なんだが――いちおう! な!」
 実質、使っていないので、シーツにはしわ一つないわけだが。
 ないわけだが……。うん。
 恐るべき寝入りの良さ。枕まで抱き込んで寝ている。
 ニュートを棺桶に押し込んだ時のことを思い出す。返事が途切れ、不意にすこしだけ申し訳なくなった時のことを思い出す。そろそろと棺を開けてみたら、あのときもニュートはぐっすり寝ていたっけな、と。
 横に寝っ転がりながら、ほっぺを引っ張るふりをする。
 残念ながら、起こす力はない。

2022.04.26

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