ふつう探偵ウルハム

多少の魔界倫理

 次期魔界王ニュートは、背伸びをし、ちらっと扉を見たのだった。それからまたお仕事に戻るが、気もそぞろである。もう一度見た。
 そろそろおやつの時間だ。
 ニュートは、日に一度のおやつの時間をそれはそれは楽しみにしている。
 魔界には、ニュートの食べ物は少ない。次期魔界王は魔物たちから見れば好き嫌いが多かった。人間界で育ったので、見た目がちょっとでもブキミだと食べたがらないのだ。食料に困れば為すすべなく餓死する領民からみれば甘ったれとしか言いようがないだろうが、ニュートは次期魔界王だから、多少、食べるものを選り好んだところで飢えて死ぬことはない。
……家臣たちの涙ぐましい努力により、知らぬ間に口にしていたりもするが、それはまた別の話だった。
 さっきから報告書を読んではいたが、ちっとも頭には入ってこない。またちらっと扉を見る。そろそろフランコールがやってきて、さ、ニュート様、そろそろ休憩にしましょう、と言ってくれるはずなのだ。
 忙しいのかな……?
 しびれを切らし、自らの足でキッチンにやってきたニュートは、机の上に置きっぱなしになっている大皿を見つけた。布をぺろっとめくってみて、歓声をあげた。
 マカロンだ!
 ニュートはあふれる喜びのまま、さっそく幼なじみを呼びに行ったのだが、あいにくと、いつもの場所にデビイはいなかった。
 なら、一人で食べてしまおうか。それとも包んでもらって、半分は幼なじみに残そうか……。
 あとからなら、やっぱり半分は残しておこう、と殊勝な決意をしていたといくらでもいえる。そういうつもりだったのだ。
 ニュートが戻ってみると、お皿の上には何もなかったのだ。

「ほれでふゅーとさま、ほくをふたかってるんですかあ」
 すがたのない魔界王よりも無だった。
 とりあえずニュートはとりあえずその場にいたウルハムをつかまえ、口を大きく開けさせていた。
 喉の奥は深く、暗い森の中を覗き込むような気持ちになった。ウルハムの気弱さからあまり印象に残ってはいなかったが、牙は鋭い。
 ウルハムがマカロンをつまみ食いしたかは、ニュートには正直わからなかった。しかし、ウルハムは申し開きを終えたと思っているようで、ほっとした様子だった。
「ね、ニュート様。ほくじゃないですよ。ほくがたべていたのは、仔リスの目玉であってですね……むぐ」
 ニュートがぱっと解放すると、ウルハムはごくんと何かを飲み込んだ。それから、気落ちした様子のニュートを見て、慌てて言ったのだ。
「そうがっかりしないでください。僕、ニュート様の捜査に協力しますから……」
 ウルハムが?
「人狼ですから。いちおう、嗅覚はすぐれているんです……。とりあえずニュート様、上着を脱いでこちらによこしていただけますか?」

「え? スケルナイトじゃないかって?」
 ウルハムはすんすんとニュートの上着を嗅いでいる。嗅ぐばかりで、ずっとそうしているので、ニュートはだんだん不安になってきた。それで、スケルナイトの匂いはするかと尋ねたのだ。
「スケルナイトですか?」
 ウルハムはうーんと気乗りしない様子だった。違うのか。
 ニュートはスケルナイトを疑っていた。なんたって、彼には前科があった。焼き菓子をつまみ食いしたとの報告があがっている。というかウルハムから聞いたのである。
「いや、うーん、正直怪しいとは思いますけれど。仮にスケルナイトだったとしますよ。だったとして、別に、どうもできないじゃないですか? だったら、その可能性を追っても仕方ないんじゃないかなあ……」
 そもそもとっちめることができないというのである。ずいぶん後ろ向きな探偵である。
「まあ、さすがにニュート様には弱いのかもしれないですけど……。うん、別にスケルナイトのにおいはしないですよ」
 アテにならないウルハムをなだめ、ニュートはスケルナイトを探した。いつもの見張り塔にはいない。門のあたりにいると聞いたので、ようやく彼を見つけることができた。
 なにやらいつもよりも騒々しかったが、ニュートもウルハムもとくにとがめられることはなかった。全てが終わった後だったからだ。スケルナイトは、どうやら城への侵入者を始末したところのようだった。死体が転がっていたが、まるでうるさい昆虫でもどこかにやるのを見るように、微かに眉をあげただけだった。スケルナイトは相変わらず憎たらしいくらい涼し気な横顔で、ニュートを横目でみやったのだった。
「おや、ニュート様。騒がしくてすみません。今、新魔界の手先を始末したところでして。もう安全ですよ。お散歩とは優雅ですね。ウルハムの?」
「まあはい」
 ウルハムの、というところに含みを感じないでもなかったが、ウルハムはおもねって黙っていた。
 自分のおやつを食べたか。ニュートは尋ねた。ウルハムはこんな真面目そうな空気でよく聞けるものだと思った。
「え? ニュート様のおやつを? 菓子ですか? ……いえ、私じゃありません。ニュート様に誓って……」
 本当だろうか?
 ニュートはウルハムをけしかけたが、ウルハムはスケルナイトを嗅ぐようなことはしなかった。のろのろとポケットから小さな機械を取り出したのだ。
「あー、えっと。スケルナイト、手、いいですか?」
「手? 斬り落とすおつもりですか?」
 いつの時代に生きているんだ。
 ジェネレーションギャップに怯えるニュートを無視してウルハムは機械をぽちぽち操作している。
 小型のカメラ。たしか、デジタルカメラというやつだ。大きな手が小さなボタンを狭そうに操作すると、画面には写真が映し出された。
「見てください、これ、ニュート様のおやつがあったところなんですが、ちょうど、小麦粉がこぼれていました。袋が破けてて、……えーと、ほら。これ、きっとおやつに触った人のものだと思います」
 じっと見ると、確かに手の跡がついている。
「ほら。スケルナイトの手とは、大きさが全然違いますよね」
 見比べてみて、ニュートは納得する。たしかに手の大きさは全く違うようであった。
 無罪を言い渡すと「はあ」と、スケルナイトはそっけない返事をする。そしてニュートも解せなかった。
 なら、どうしてにおいをかぐ必要があったんだろう?
「この手の跡は、うーん、比べてみると、ニュート様とおんなじくらいだから……ゾービナスとかに話を聞いてみたらいいかもしれないですね。あと、念のためジャンタンとか……そのくらいですかね。あとは、マーメルンにお話を聞いてもいいかも」
 水路しか動けないからマーメルンが犯人ではないだろうが、何か見ているかもしれない。でも、ジャンタンだと小さすぎやしないだろうか。
「まあ、ほら、念のために……」
 あとは? ほかの人たちは?
「あきらめましょう」
 ウルハムはきっぱり言ったのだった。
 ……。
 まあ、ゾービナスとか、ジャンタンとか、かわいい子が食べているなら菓子も浮かばれようというものだ。ニュートも諦めがつくというものである。
「おっ、ニュート。何たくらんでるんだ? ……。おい、俺はいいってなんだ!」
 ベーケス2世は、血とチョコレートしか食べないからには犯人になりえない。ベーケス2世はウルハムを無視して、ニュートはベーケス2世を無視した。
「大丈夫ですよ。地道にあたっていったら、うん……まあ……解決してもしなくても別に……いいんじゃないでしょうか。努力賞ってところで……。お茶でもどうですか? ニュート様の気にいるお菓子もあるかも……」
 しかしニュートは、ふと思ったのである。
 自分と同じくらいの大きさの手となると、もう一人いるじゃないか。

「うん? お菓子を食べたかって? いいや、ぼくではないよ?」
 お城を一周して、結局元の場所に戻ってきたのだが……。
 犯人は現場に戻ってくるというが、どうやら今回はそうではないし、ニュートは名探偵ではないようだ。幼なじみはにっこり笑って犯行を否認した。
「あら、おかしいですわね……」
 フランコールが困った風に首をかしげる。
「わたくし、魔界王様にお叱りを受けていて。今日、おやつの用意はできなかったのですわ」
 それじゃあ、あのお菓子はなんだったんだろう。幻だったとでもいうのだろうか。ニュートは首をかしげる。そもそも、あのおやつはニュートのものではなかったのかもしれない……。
「元気出して、ニュート。マカロンはまたもらえるし、僕もニュートのだいすきなジュースを作ってあげるから。ね?」
 デビイの一言で、ニュートは即座に機嫌を取り戻した。
「あ、じゃあ、これで一件落着ってことで……あっ」
 ウルハムはカメラを取り落とし、拾おうとしてかがんだのだった。

 身を低くしたウルハムは、台所の隅に転がっているカラフルな菓子の欠片と、ネズミの死体を見て息をのんだ。
――マカロンの欠片。倒れているネズミは、泡を吹いている。たぶん、毒で死んでいる。もしかすると、ニュートのおやつとすり替えたりする予定だったのかもしれない。
 いや、もう、すり替えてはいたのかもしれない。城への侵入者がいた。スケルナイトが始末していた。
「どうしたの?」
 気が付くと、デビイがじっとこちらを見ている。
 ウルハムは凍り付いた。それからしばらくその姿勢を保ち、ゆっくりと起き上がり、マントのほこりを払ったのである。
 いいや、侵入者はスケルナイトが倒したし……。
 そういえば、ニュートは菓子がマカロンだったなんて一言も言ってないのだけれども、デビイはなぜか知っている。もしかすると危険を察知して、マカロンを始末したのかもしれない。
……あるいは?
 ウルハムはぶるぶると首を振って思考を振り払うことにした。
 やばそうなことには首を突っ込みすぎないこと。これは、魔界で生きるための処世術だ。
 好奇心では犬は死なない。

2023.11.14

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