ニュート✕3

「よしっ、上手にできたぞ……」
 見なくても分かる。においでわかる。これで成功がわからないヤツがいたら、そいつは鼻が詰まっているにちがいない。ウルハムがオーブンの扉を開けると、香ばしい匂いがあたりに立ちこめる。
 焼き色の付いた首なし牛のミートパイは、文句なしの焼き加減だ。鉄板の上にはポタポタと肉汁が滴って、じゅうっと焼けている。
 ウルハムは少し大きいミトンをつけて、慎重に鉄板を引き出した。
 料理はウルハムの特技のひとつだ。ほかのことではなにかと侮られるけれども、こればかりは一族にもウケがいいのだ。
 小難しい本を読んでいても鼻で笑われるだけだが、鍋をかき混ぜていると鼻をひくつかせ、何を作っているのかとみんな寄ってくる。
(ニュート様、喜んでくれるかなあ?)
 ウルハムが料理をすると言うと、ニュートも食べてみたいなと言ったのだった。
 わざわざパイを選んだのは、ニュートのためだ。
「ニュートは魔物のそのままのかたちをおっかながるからさ、パイで包んでしまえばいいよ。そうしたらわからないしね?」とは彼の幼なじみのアドバイスだ。とはいえ、ウルハムがデビイから直接聞いたわけではなく、デビイがフランコールと話しているのを立ち聞きしたのだった。それからデビイはこっちをみてニコ、と笑った……気がしたけれども、どうだろう。ウルハムはぶるっと身震いした。なぜだかウルハムはデビイが苦手だ。
 デビイは小さいけれど、可愛くはない。いや、見た目は可愛らしいけれど……ぶんぶんと首を振った。
(やめとこ。考えても仕方ないや。ニュート様はちいさいから、ちゃんと切り分けないとなあ~!)
 ウルハムはナイフを片手に、パイを何等分するべきか考えていた。
 それにしても、次期魔界王のニュート様は家臣のみなから慕われているから、誘うのはほんとうに骨が折れるのだ。……ガリアンに興味があるようで、たくさん部屋に遊びに来てくれる。最近はどうだろう。ちょっと仲良くなれた自信はある。
(ニュート様が三人くらいいればなあ……)
 と、ウルハムはホンキで考えている。
 そうしたら、ひとりくらいはじぶんのものにしたっていいだろう。

***

 誰かいる。
 客間の奥にはすでに気配がある。ちょっと違和感があったが、ニュートの気配だ。ウルハムは胸を弾ませ、扉を開ける。
「ニュート様~、もういらしていたんですね……って、ええ!?」
 いた。
 たしかに、ニュートはそこにいた。
 にわかには信じられない光景を見て、ウルハムは持っていた包みをぽろっと落としそうになった(しくじらなかったのは、ひとえに獣の反射神経のなせるわざである)。部屋には、ガリアンの回し車の音だけが響いていた。

***

「ずるいですわずるいですわー!」
「ゾービナス! ごめんって!」
 城の中庭で、ウルハムがゾービナスにべちべち叩かれている。フランコールは慌ててゾービナスを止めた。
「おやめなさい、ゾービナス。そんなに動いたらスカートが……」
「僕じゃなくて、スカートのしんぱいですか、フラン!?」
「どうせウルハムさんったら、またほっぺを舐めでもしたんでしょう。いくらかわいいからといっても……人のことを勝手に舐めるのは良くない習慣ですわ」
「違いますわ! 違いますのよ!」
「あいたっ!」
 ゾービナスは思い切りウルハムを蹴った。
「この駄犬がっ! ニュートちゃまを着服してたんですわ!」
「……。着服? ニュート様を?」
「出せこんにゃろー、ですわ!」
「いたいいたい!」
 ゾービナスが助走をつけて跳び蹴りをかます。フランコールが止める間もないほど素早い動きだった。ウルハムのマントの下が、もぞっと動いた。
「ニュート様? ……あらまあ!」
 なんと、ニュートは『一人ではなかった』。ウルハムのマントからは三人のニュートが這い出してくる。鳥の懐から、信じられないくらいの卵が出てくるかのように、ウルハムのマントからはたしかに三人分現れたのだ。
「ニュート様。ど、……どうされたんです?」
「いやー、分からないんですけど。ニュート様、増えてしまったみたいなので、とりあえず僕が保護って言うか、あはは……」
「それで、なんで隠すんですの!?」
「だ、だって、僕の部屋にきたんだよぉ。僕を頼ってくれたんだし!」
「ニュートちゃまがアンタの部屋に行ったのはお約束があったからですわ! 三人いるなら一人くらいよこせですわ! きーっ!」
「でも、小さいたくさんいてもかさばらないし! ぜんぶニュート様だし! ちょっとずつ違うんだよ、ほら、よくみてごらんよ」
「ふざけんなですわ! この変態! 土下座しなさい!」
「ひーん!」
 三人のニュートがいっせいにとりなしていた。一人はゾービナスの袖を引っ張っていて、一人はオロオロしており、一人はウルハムをかばおうとしているが、かばえていない。
「……たしかに、ちょっとずつ違いますわね」
 あんまり差はないような気はするけれども。

***

 次期魔界王が三人に増えてしまった――(?)。
 ともすれば政争に発展しかねない一大スキャンダルである。口止めされたはずのお知らせは城内を駆け巡っていった。主に、水路を自由自在に移動するマーメルンによって……。
「ってワケなのよ! 私どれを喰えばいいってのよ!? 腹いっぱいになるじゃない! もーーーーっ!」
「ははあ。つまりはニュート様の偽物が現れたと。不届きものですか」
 スケルナイトはちょうど見張りを終えて代わりのものと交代したところで、それだというのに、武具の整備を行っているところだった。ちなみに、ウィンチはといえば「ふーん」の一言。興味がないのだった。
「マーメルン、何でコイツ呼んできたの……」
「え? 面白いじゃん。っていうか、呼んできてないっての! 勝手に来たんだから!」
 ジャンタンは頭を抱えるばかりだった。ニュートといったら、どうしてこうやって面倒事を起こすのだろうか。
「三倍悪い予感がする……」
「ここは一つ、私にお任せください」
 スケルナイトが言った。
「ニュート様の事は、私が一番良く知っております。誰よりも長い間、見守っておりましたからね。偽物のニュート様など、この剣の錆にしてくれましょう」
「だ、ダメですよ! あまったら僕に下さい!」
「ニュートちゃまがあまるわけないですわー! お馬鹿!」
「どれどれ……」
 ずい、と、スケルナイトの前に三人のニュートが並ぶ。
 一人はきょとんとし、一人は普通に「おつかれさま」と言い、一人はぽけーっとスケルナイトに見とれている。
 ……。…………。
「……っ!」
 しばし真剣な表情で見つめていたスケルナイトは、急にその場に崩れ落ち、膝をついた。
「ちょ、スケルナイト?」
「この私としたことが……! 私としたことが! 姫様の見分けが付かないなど……ああっ、この私が、私がぁ!」
 突如として取り乱したスケルナイトに、ニュートが一斉に大丈夫かと駆け寄ってくる。「いっそ殺して下さい!」と剣を差し出され、どれも困惑している。
「や、やくに立たないなあ……」
 ぼそっとウルハムが言った。
「お許し下さい! お許し下さい! 私は……っ私は主君の見分けもつかない愚か者です……っ! ああっ!」
 取り乱したスケルナイトに、ニュートたちがが困っている。
「どいつもこいつも、阿呆ばかりか?」
 不意に、1体のニュートの体が空中につり上がった。ニュートは、きょとんとしたまま手をばたつかせている。
「あ、ちょ」
「ニュートちゃま!」
 ベーケス2世が指を振って、念力でニュートをつっているのだった。
「わ、2世……!」
「ちょっと! ニュートちゃまに意地悪しないでくださいまし!」
 首元あたりをつままれて浮き上がっているニュートは、親猫に運ばれる子猫のごとくだらっと四肢を投げ出している。
「三人いるなら、どれか選ばないと駄目だろう? だって、ニュートは一人しかいないからな!」
 ベーケス2世がもう片手を動かす。
 手入れ鋏がひゅんひゅん飛んで、刃を鳴らす。
「どれかは魔竜一族の手先かもしれないしな! さあ、俺の婚約者はどいつだ?」
 鋏が、ひとりの耳元をかすめる。怯えた表情をした一人に狙いを定めたらしい。ベーケス2世がぐいと持ち上げたが……。
 懐から何かをおっことした瞬間、ベーケス2世は硬直した。同時に、ぱっとニュートの浮力がなくなった。当然、ニュート達は空に投げ出される。
「犬、とってこい!」
「わ、わんっ!」
 ウルハムはゾービナスの号令とともに、しゃかりきに走り出していった。空中で投げ出されるニュートを咄嗟に受け止めた。
「ぐえっ。いたっ、……くはない! んですけどー……あんまり……えへへ……」
 ニュートはあまり自分がピンチだとは分かっていなかったのか、きょとんとしていた。それからじわじわ怖くなったのかきゅっとウルハムに捕まる。そのしぐさがちょっとかわいらしかったのでウルハムはどきっとした。
 我に返ったベーケス2世がわめき出す。
「馬鹿犬! ニュートから離れろ! どけ!」
「どけって、ニュート様が僕をクッションにしてて……。あ、ニュート様、どかなくてもいいですよ……」
「ニュート様!」
 フランコールが慌てて駆け寄ってきて、残りふたりもまあ、……ぽすっとくらいで済んでいる。
 ニュートが落としたのは、どうやら赤いバラだったようだ。下敷きになって潰れている。ベーケス2世が慌てて拾って元通りにしようと試みている。
「三人いてもだいじなニュートちゃまですわ! 忘れっぽいわたしにはニュートちゃまが何人でも必要なんですの! 雑に扱ったら許しませんわ!」
 ゾービナスが、ぎゅうっとニュートを抱きしめた。

「おーい、ニュートー!」
 と、そこへやってきたのは、ニュートの幼なじみのデビイだった。デビイがやってくる前に、ウルハムはやたら素早く後退した。
「もう、ニュートったら。宝物庫で悪魔の三面鏡を見ちゃったんでしょ?」
「三面鏡?」
「そう。あれはね、人のいろいろな側面を映し出す鏡でね。冥界で使うんだけど、合わせ鏡にしたらいけないんだよ。……三つに割れて実体化しちゃったんだね!」
 ニュートたちはいっせいに困った顔をしていた。
「どれもニュートなのにね。ははは」
「……」
 うっかり魔界王の跡継ぎ不在で魔界滅亡の危機である。
「……ニュートが無事なうちに見つかって、よかった。安心して、もう一度鏡を見たら、戻るから。行こう?」
 デビイはニュートに手を差し出し、ニュートは頷いて去って行ってしまった。後には家臣たちが残されるばかりである……。
「ニュート様の三面って、たいして裏がないですわね」
 フランコールはくすりと笑った。
「ニュート様、戻っちゃうんですかぁ」
「この犬! 自分のことしか考えてませんの! 犬!」
「痛いって! ごめんなさい!」

2022.03.14

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