Yeah!もういっそ海とか行くか
*緩い方の魔界
ベーケス2世は激怒した。
必ずあの邪知暴虐な……ではないが、次期魔界王というか、とんでもない無種族を除かなければならぬと決意した。
……ニュートの裏切者っ!
とにかく、ベーケス2世は怒っていた。
ベーケス1世は、魔界王に呼び出されて、城に行くと言っていた。珍しく燕尾服を着込んで、胸元には蝶タイをひらめかせ……。
自分との、結婚の話をまとめるのだろう。
ベーケス2世は、もちろんその相手が自分だと疑うことはなかった。
ニュートから愛を告げられ、指輪をもらったのは自分なのだ……。
自分には何も知らされないまま、……弟が屋敷を発ったと聞くまでは。
ニュートは俺と結婚すると言ったのに。
確かに言ったのに……。
指輪をくれて……、選ばれたと思っていたのに……。
というわけで、ベーケス2世は怒っていた。
うそつき、うそつきだ。
最後の最後で、ニュートは自分を捨てる気なのだ。
見た目がよくて、優秀で、歌がじょうずな吸血鬼を選ぶつもりなのだ。
……ニュートに親切にしていたのは自分なのに。十五年ものあいだ、ずっとニュートのことを考えていたのは自分なのに。
ようやく思い出してもらえたのに。結婚すると言ってくれたのに。吸血鬼になると言ったのに……。
こうやって、あっさりと取り換えるつもりなのだ。
(俺を捨てたらどうなるか、思い知らせてやる……っ)
ベーケス2世は、父親の言いつけを破って魔界の城までやってきた。
どうせ替えられてしまうなら、もう忍耐に意味はない。
父親を恐れ、望んでも出られなかったのに、こういう決意をしたとたんに飛んでこれるなんて皮肉なものだ。
……ニュートは俺に、あいしているといったのに。
じりじりと灼けるような殺意を確かめて短剣を握りしめる。思い知らせてやるには、実体じゃないとならないと思った。あいつの血の温度を知らないと。知らしめてやらないと……。
虚像とはいえ、長いこと城にはいたから、道を誤ることはない。廊下を曲がって、足早に階段を登りかけたところで、ベーケス2世は何かにゴーンとぶつかった。気合だけはあった。しかし、十五年間ロクに運動もしていなかったベーケス2世である。それなりに吹っ飛んだ。自分よりもやや小さめの相手のほうも同じで、ずべっと転んでいた。
「……。ニュート!」
名前を呼ばれたニュートは一瞬だけ目を丸くし、ベーケス2世を見た。
動きにくいからとめったに着たがらないドレスを着ていて、ニュートはおめかししていたが、それでも、髪を振り乱し、ちょっとぼろぼろになっている。
「……」
そもそもニュートに会いに来たのだが、いざニュートがいて、予想外のところで会うと出くわすとどうしたらいいかわからなかった。殺してやりたい。同時に泣いてすがりたくもあった。嬉しくもある。
ニュートは驚いた様子で、さらに「ぶつかった」ことに驚いていて、おそるおそるベーケス2世を触った。そっと、とても大切なものを扱うかのようだった。どういう感情か知らないが、なんだか涙が出そうだった。
ニュートはきっと眉を上げると、不意にベーケス2世の手を取って走り出した。
「おお、ニュート。待ちなさい。悪かったから! 私が悪かったから! 戻ってきなさい!」
後ろから、焦った魔界王の声が追いかけてくる。転んだ拍子に破けたドレスを、もう片方の手でたくし上げて、ニュートは走った。
……。わけのわからないまま、つんのめるように、それから自分が念力で飛べることを思い出して浮いた。
そーっと、そっと、念力で揺れるドレスが乱れるのをを押さえてやりながら……。
「……俺が来ると思ってたのに、別のやつが来た、って?」
自室に逃げ込んでカギをかけたニュートは、憮然として頷いたのだった。
今日は、結婚の話をするはずだった。ようやくベーケス2世に会えると思っていたのに、ベーケス1世に連れてこられた吸血鬼は、全然別の吸血鬼だった……。かっこよかったけど、ベーケス2世より背は低かったし、なによりもベーケス2世ではなかった。それでも、ニュートは、きっとこれからお世話になるような親戚を紹介してくれているだけで、すぐにベーケス2世が来てくれると思っていた。なんだかわからないまま話が進んで、しばらくお話ししていたら、魔界王とベーケス1世から、「これを機にこっちに乗り換えてはどうか」と言われたらしい。
「そっ、かあ~」
ベーケス2世は抱いていた殺意をコロッと忘れた。
はじめから、ニュートにもその気はなかったのだ。俺を裏切ってなんかいなかった。もっとニュートを信じるべきだった。いや待て、なんか「かっこよかったけど」とか聞こえたけど、まあ、これは見逃してやるとしよう……。うん。
ぽんぽんぽんぽんニュートの背中を叩いていると「しつこい」とニュートに怒られた。
「で、どうする、ニュート?」
雑に扱われたことは腹に据えかねるが、この調子なら、ニュートに取りなしてもらえばなんとかなりそうだ。ニュートは間違いなく自分と結婚する気だ。だから問題はない。魔界王はニュートには甘い。父上だって魔界王には逆らわない……。
ところがニュートは、ベーケス2世の予想を裏切り、「人間界に行く」と言った。
「……。それは、つまり、結局、……結局は、俺を捨てるつもりなのか?」
自分でも冷ややかな声が出た。
ニュートは何を言っているんだこいつ、という目でベーケス2世を見た。
ベーケス2世は自分の婚約者なのだから、当然、ベーケス2世も行くに決まっている。
人間界で結婚するのだ。
「……ニュート。それしたら、俺は次期吸血鬼の長じゃなくなっちゃうぞ……」
当然、じぶんも人間界に戻るので、魔界王にはならない。
ベーケス2世は唖然とした。
ニュートが魔界王にならない選択肢はない。
「……吸血鬼と人間は、結婚できないから……俺は……」
する。
ニュートははっきり言った。
するといったらする。
そして、パフェとかパン屋さんになる。ベーケス2世も、なんか、好きなお花とか、あとは、野菜とかをたくさん育てればいい。
「いや、いくらなんでも、そんな簡単じゃないと思うんだが。なりたいものとやりたいこととしてほしいことの区別ついてるのか。お前、……お前なあ。ニュート。……同じもんばっかり食ってたら、たぶん飽きるぞ」
ベーケス2世は、吸血鬼にするつもりの相手に妙なことを言ったと思った。吸血鬼が食べるのは、血とチョコレートだけだ……。
飽きない。
ニュートはどこにどういう自信があるのか、まっすぐに言った。
……なんだか、威厳だけある。
じぶんは、人間界のことはよく知ってるから、ベーケス2世に教えてあげる。贅沢な暮らしはできないかもしれないけれど、ベーケス2世がいたら十分だ。
さあ、扉を出してくれ。
魔界王の立場を捨てるつもりのくせに、引き続き偉そうな無種族は言った。
無茶だ。
ニュートは、すっかりベーケス2世なら、なんでもかんでもお願いを聞くと思っているのだ……。
「なあ、ニュート。ニュートは次期魔界王だろう。新魔界もいない。魔界の石炭を出せるのは、もうニュートしかいないんだぞ。ニュートが人間界に行ったら、魔界の石炭がなくなっちゃって、……。大勢の魔物が路頭に迷ってしまうぞ! 連中、魔界に帰ってきたかったのに……」
ベーケス2世は、ちょっと自分の立場が嫌になった。
どうして俺が思ってもみないような、こんな正論を吐かなきゃいけないんだ? ああそうだ、ニュートの世話ばっかりしてたからだ。
「な? 魔界の再建だってたいへんだったろ? ニュートは立場があるんだからな。俺を選んでくれたのはうれしいけど……。ニュート。ニュートは魔界王になるだろ? 俺の父上とは、なにか、行き違いがあったんだと思う。ニュートが頼んだら、魔界王も、父上も、俺との結婚を快く許してくれるはずだ。だから……」
ニュートはやだ、と言って聞かなかった。こうなると本当にもう気が済むまで動かない。思うとおりにならないと泣くし……と、勝手に思っていたが、ニュートは、ベーケス2世が思っていたよりも大きくなっていた。
泣いていなかった。
きゅっとベーケス2世の手を握ると、ニュートは言ったのだ。
愛している。もう絶対に離さない。
「ニュート……」
殺意を持っていたときは、とてもはっきりした望みがあったのに、こうなると何を言えばいいかわからなくなる。どうしたらいいのか分からなくなる。強いて言えば、この手を離したくはない。
……なんだか良い雰囲気にひたっていると、部屋の外から、ドンドンと扉を叩く音がした。
「おお、かわいいニュート、ここにいるんだろう? 父様の話を聞いておくれ! まあ聞け。結婚相手は勢いだけで選ぶもんじゃないぞ」
「……」
「そっちとはまだなんもないんだろう? ずっと虚像だし! だったらいいじゃないか、こっちから試せば。どう考えてもスペックいいほうがいいだろ! な? とりあえず、そっちの2世はキープってことにして、まずこっちにしなさい。一晩でいいから。気に入らなかったら、そのときはそっちのにしなさい。大丈夫。吸血鬼の長にOKはもらったから! 出ておいで!」
「……。…………。よし! ニュート!」
ベーケス2世は両手でニュートの手を持って、立った。ニュートもしっかり頷いた。
「行くか、人間界!」
ベーケス2世は大きな赤い扉を出した。
「そんでもって、海とか行こう! 海海!」
~END~
2023.03.02
back