白球を追いかけろ

野球パロ(野球はしません)。

 カキン、と気持ちの良い音がする。
 白い打球が、どこまでも広い空に吸い込まれていった。
 青空を映し出す空が揺れる。
 バックスクリーンの文字が、本来であれば飛んでいったであろうはずの打球の距離を示す。42.195km。ケチのつけようもない、文句なしのホームランだ。
「よしっ!」
 ローランドはガッツポーズを決めると、バットを放り出し、律儀にグラウンドを一周する。
 ナナシは無言でピッチングマシンのハンドルを回し、送球のスピードを調整した。
 走りながら、ローランドが何かわめいている。うるせぇ、とナナシは思った。
 もう長い付き合いなので、聞かずとも分かる。
 次は、もう少し下。ゆるめにボールを飛ばせ、だ。
 ハイハイ。
 ハンドルを回して、調整を終えると、ナナシは耳を塞いで退避する。ピッチングマシンから放たれる球……ではなく、軍事野球用の打球を避けるためである。
 ズドン。
 ピッチングマシンの音の発射音に遅れて、それよりも遙かにデカい打球音が響き渡った。
……kmって、そりゃあ、ないだろ。マラソンでもするつもりなのか……。

 ここパワーオブハノイ大学は、誰もが知る巨大企業TOWERを経営母体とした大学である。AI国際野球連盟からの多額の寄付を得て、野球用HANOIの育成に力を入れている。
 中でも特筆すべきなのは、「塔」と呼ばれる野球用HANOIたちの施設だ。
 スランプにより力の発揮できなくなったHANOIたちを呼び集め、再び世の中に送り出す――それが「塔」の役割だった。
 まるで本物のようなバーチャル空間がウリなのだ。
 今、本当の球場のように見えるこの場所も、実際のところ、それよりも狭いグラウンドである。バーチャルの魔法が解けると、ローランドの打った鋭い球が『便利、安心、服従』と書かれたパワハノ大学のスローガンを、中央から粉々にぶち壊しているのが分かった。いい気味だと思った。ナナシは気がつかないフリをした。

「雑務用、久しぶりにキャッチボールでもどうだ!?」
「はあ。キャッチボールですか。いやです、俺まだ生きてやることがあるんで」
「まあ、そう言うな! グラウンドに行くぞ!」
 片や某国陸軍士官学校ウェストポイントの軍事野球用HANOI、片や勝つためなら手段を選ばないラフプレー精神にあふれるトーロ大学の雑務用HANOIである。
 二体は、ありとあらゆる意味で相容れない出自だった。
 けれども同じBUSSOの流れを汲み、ローランドとナナシはわりと仲が良い。
 それこそ、バッテリーを組むくらいには。
 主に、ローランドがナナシに構っているのだが、ナナシだってなんのかんのとローランドに付き合っているのだから、良いコンビと言えるだろう。
 TARGETと書かれた人型の的が、ローランドの打球によって突き破られていた。ローランドは目を見開き、空いた穴とターゲットの脳天との距離を指先で測った。
「ふーむ、もう少し上だな……だが、コントロールは戻ってきたぞ。よし、ナナシ、次はキャッチボールだ!」
「…………」
 ばしゅん、というその名の通りの大砲じみた投球を受け止めながら、ナナシは考える。
 野球ってこんなんだっけ?
 いや、ナナシとて、ろくに野球を知っているわけではない。
 ナナシにとって、野球のバットとは、後部座席に積んでおいても検問を通れる便利な道具である。
 ここに来るまで、ナナシはバットを握ったことはあっても、バットでボールを打ったことはなかった。
「まあ……勝つためにはなりふり構ってはいられねぇよな」
 ここに来るHANOIたちは、表向き、野球界への復帰を望まれていることになっているが……パワハノ大学には黒いウワサがある。
 HANOIたちが再起不能になれば、連盟からたんまりと保険金が出るのだというものだ。
 もとより、スランプに陥ったHANOIだ。
 なんの代償も支払わずに、新品のHANOIを手に入れられるとしたら、その方が、一部のHANOIの持ち主たちにとっては都合が良い……。
 そんなウワサでも本当のことに思えるほどに、TOWERの評判は悪かった。
 ……良い成績を残さなければ、生き残れない。
 次の試合相手である『零と一融解大学』は手ごわい相手だ。前の試合で、ローランドがぶっ飛ばしたはずの、ツナギを着た男が平気な顔でマウントボックスに立っていた。それも、途中から二人に増えた。
 トーロ大学とはまた別の意味で「どんな手も使う」と噂の零と一融解大学。前の対戦相手は、差し入れのコーヒーで崩れ落ちて不戦勝となったらしい。そして、融解大学はこの練習場にも魔の手を伸ばしている。今やグラウンドの隅には、0と1の砂が浸食しつつあるのだった。

 勝てる、だろうか。
 監督の一存で、選手生命が決まる。HANOIたちは、厳しい環境に身を置いていた。
 幸い、彼らを担当するコーラル・ブラウン監督は、実に親切な人物だ。TOWERの監督の中にはどうやらひどい監督もいるようだったが、監督に限ってはそうではない。そのことを、ナナシは身をもって知っている。
 せっせと部員を構い、励まし、世話を焼き、心を砕いて視線を合わせ、どんなささやかなことでも、親身に相談に乗ってくれる。
 ……あの草の味のする〝ビョウシン茶〟だけはなんとも言えなかったが。
 最初は別に、という顔をしていたナナシだったが、ローランドは素直になんとも言えないコメントを残し、「あ、苦手だった? ゴメン」と言われていた。それを見て馬鹿らしくなって文句を言った。
 ……自分のケガを心配して怒鳴る監督の声がまだ耳の奥に残っている。
 たかだか復帰しても球拾いくらいの雑務用を捕まえてきて、本気でケガの心配するのだから……まあ、できた人物である。
 ナナシのすれすれを、ローランドの剛速球がかすめていった。
「おい、ぼーっとするな、ナナシ! ここが球場ならお前は蜂の巣だぞ!?」
 蜂の巣になってたまるか。
 しかし、あながち冗談でもない威力だ。
 組に戻ればまともな野球なんぞ望むべくもないナナシは、今、このボールに当たってケガでもしたら、監督に少し心配してもらえるかな、だとか、目の前の故障したら監督の永遠のトラウマになるだろうな、とか、物騒なことを思っている。
 今のところは、思うだけだ。
 ローランドの球に、前のような迷いはなかった。
 ぱさりと、ローランドの帽子が地面に落ちる。バーチャルの空はノイズが混じり、スプリンクラーが回り始めていた。

「少し休憩にするか。ナナシ!」
「うるっせぇな……そんな大声出さなくても聞こえますよ……」
 ナナシが投げたペットボトルを、ローランドは片手で受け取った。2Lである。天下の軍事野球用にかかれば、普通のペットボトルもべきべきだった。
「うん。美味い! ……ところでな! お前、メディカルパークには行ったか!!」
「メディカルパーク?」
「新しくできたアミューズメントパークだそうだ!!」
 話の流れが見えない。ナナシは「は?」の形を浮かべてローランドの顔を見た。ローランドは、わざとらしい笑みを浮かべた。
「メディカルパークは、なんでも、病院のおどろおどろしさとアミューズメントパークのワクワクをいっぺんに味わえるというコンセプトでな……」
 台詞は、やけにそらぞらしい。
「行きませんね」
「行ったらどうだ、監督と!」
「……監督と? ローランド、お前さ……」
「……やめたよ!」
「……」
「所詮は俺は『殺人兵器』だ……俺は、あの人の友にはなれん!」

『僕と君に、上下関係はないはずだよ。だから……友達になってくれる?』
 そうローランドに申し込んだのは、監督の方からだったらしい。
「俺は、どうすればいい」と、珍しく弱みを見せた軍事野球用を肘で小突きながら「どうすんですか。なんて返事したの?」からかってやると、「努力します、と……」消え入りそうな声で答えたのがまだ記憶に残っていた。
 ところが、だ。
 無事に監督とユウジョウを築いてめでたしめでたし、とはいかなかった。
 なんたって、相手は監督である。
 ローランドの出身大学では、ユウジョウは御法度だった。軍隊のような……というよりはモロに軍隊の……上下が厳格に決められていて、上の言うことには絶対服従。指揮命令系統は絶対で、厳格に定められている。
 ローランドは、監督のユウジョウに応えようとして、ここのところ不調をきたしている。
「監督に誘われたんすか」
「ああ!」
「で、断ったと?」
「ああ!!」
 今日、迷いがなかったのはそのせいか。
 なんだかすがすがしい表情が、やけにまぶしい。これでいいのだ、とじぶんに言い聞かせるよりも、どこか無責任に思える。
「監督のことだ。ほかの部員たちにも声をかけるだろう。だから、ナナシ、俺の代わりに……」
「……」
「お前は監督が好きだろう? 今、言えば必ず色よい返事をもらえるはずだ、ナナシ! 実のところ、お前なら監督とユウジョウができるのではないかと思っていてな」
 ナナシは少し考えた。
 ナナシだって、監督が好きだ。
 ローランドの感じるユウジョウがうらやましいかといえば、うらやましくはあった。
 けれども、欲しい立場を思い描くと、友達とはなんとなく違うような気がする。
 強いて言えば、――ただ普通に野球がやりたい。
 いや、別に野球がやりたいわけではないが……。
 どうにもこの異様な空間のせいで判断に不調をきたしている。
 マトモに生きたい。
 もう人に振り下ろすためのバットを磨くのは御免だ。徹夜で釘バットを作るのもいやだ。常識にのっとってマトモに生きたい。
 もっと強いて言えば、あの人の元で野球がしたいというところに行き着いた。
 もしかしたら、野球はしたくないのかもしれない。
 グラウンドの整備を手伝って、Excelに打率をまとめてやって……守備がどうとか、グラウンドはどうとか、相手チームのデータを調べて、監督が「そうだねぇと」受け取ってくれたら……どんなに幸せなことだろうか。
 最近になって、そういえば自分は雑務用だったなと遠い記憶で思い出すようになったのだ。
「うーむ、なんだ、誘わんのか? 最近はあれだけ監督にべたべたしているくせに」
「いいよ。やめとく」
 たしかに、監督とメディカルパークに行くのは悪くはない。趣味の悪いアトラクションで「どっひゃー」と叫ぶ監督をみたら、ちょっとはスランプ値が下がる気がする。
 けれども、今は、もっと別のものが欲しかった。
「そんなことよりさ、……融解大学に勝とうぜ。まずは」
「そうか……そうだな! 我らが監督に勝利を……! そうしたら……」
 何かを飲み込んで、「ちょっとは顔向けが出来るだろう」、とローランドが言った。また友達になれって言えよ、とは言わずに、ナナシは頷いた。

2021.04.26

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