コーラル・ブラウンに言いつけてやる

*軽度の暴力
*原作未登場のキャラクターの登場

 アタシは自分の世界を変えようと思ってサマー・テクノ・ミュージック・フェスタに行った。
 なけなしの善行を積み立ててチケットをとった。倍率はものすごかったけど、結果だけ見たらどうやらアタシとシーラは今世紀最高の良い子ちゃんだった。
 電車で五時間、バスで一時間と二十分。それで、会場には徒歩五分。駅の近くまで来て、一晩泊まってったら、Emma_221が朝に車で送ってくれる。
 Emma_221はインターネットの友達だ。大学で理工学を専攻していて、洗濯ものを畳むのが苦手。テニスサークルに所属していて、イギーという猫を飼っている。
 未成年がネットで知り合った人のところに泊まりにいくことについて、母さんにはいい顔をしなかった。アタシは、Emma_221はちゃんとしてて、籍を置いている大学がアタシの志望大学のひとつで、参考になりそうな話が聞けそうなことを熱心に話した。決め手は親友のシーラも一緒ってことだ。シーラは娘のアタシよりも母さんからの信頼がある。

 サマー・テクノ・ミュージック・フェスタはサマーとテクノとミュージックとフェスタ、すべて最高の単語から構成されていることから分かるように、最高のイベントだ。世界中からトップアーティストが集まってきて、アタシたちのために歌ってくれる。
 Emma_221は実はおっかないお兄さんで、なんてことはなく、想像してたのとほぼ一緒だった。顔には少しそばかすがあって、部屋はSNSで想像するよりもずっとごちゃごちゃしてて、シンプルな机の上に置いてあった薄いノートブックとビールがかなりカレッジっぽい。Emma_221は結構だらしなくて、そんなところが、ネットの上では同じ年くらいで対等だと思っていたけど、今はずっと大人に見えた。
 Emma_221と合流したアタシとシーラは、会って間もない他人の冷蔵庫で濡れたタオルをぎちぎちに冷やして、お互いに明日のための装備を確認した。
 ベッドの上でブンブンとサイリウムを振り回すことにかけては誰にも負けない。
 アタシたちは、ローズの、アシェリーの、シンディの歌を聞きに行くのだ。



 結論から言えば、ライブは最高の一言だった。
 人の可変の域を容易に追い越した音声。影すらまで息の合ったダンス。慎重な息づかい。
 きらめくステージ。三の裏拍だけ遅れる癖。声。浮かび上がるホログラム。
「みんなーーーー! ありがとおおおお!!」
 ローズの、アシェリーの、声はくったくたでかすれてるのにきれい。
 汗だくでとても美しい。
 三人の顔はできることはすべてやった、という誇りに満ちていた。
 ぜんぶ、ぜんぶが最高だった。とにかく最高としかいえない。
 パフォーマンスを終えたシンディは緊張のあまり泣き崩れてかすれた声でもっかい「ありがとー!」と叫んだ。短時間の間にものすごいエネルギーを叩きつけられたアタシはあっけにとられて、サイリウムを持ったままエウエウと泣いた。Emma_221が背をさすってくれる。
 シーラは魂が抜かれたみたいに、それでもその目はぜったいにステージから離さないようにして、魂に良さを刻み付けていた。

「きてよかったね」
「よかった」
「生きてるって感じがする」
「生きててよかったね」
「よかった」

 無事についたら連絡チョーダイね、とEmma_221。帰りの電車の中で、アタシはシーラと永遠にサマーフェスものすごく良かったね! って永遠に言い合った。
 来るときはあれだけ長かった道のりはあっという間だった。
 アタシはひたすら良かった部分を言った。どこが良かったかを話すと全部になってしまって、はじめから最後まで何度もおさらいすることになった。
 シーラは相づちを打ちながら、SNSでずっとフェスの感想を見つけてはぶつぶつ言っていた。気になるなら見なきゃいいのに、でも、それがシーラのものごとの楽しみ方だ。シーラはいちいち石をひっくり返して、虫を見つけてうええってやらなきゃ安心して寝られない。確認しないと事象がきまんないんだとかいうのが彼女の持論である。
 絶対三匹はいるでしょ。少なくとも一匹はいる。だったら見ておかないと死にそうになっちゃう。
 身を乗り出すと、どん、と衝撃を受けた。
 たぶん偶然ぶつかったんだと思った。スーツを着た男がアタシを突き飛ばしたのだった。でも、男は明らかにアタシに怒っている。
「こっちは仕事で疲れてんのに、お気楽なもんだ」
 アタシは思い切り足をひっかけようとした。クラスメイトとケンカのひとつやったことある。シーラと取っ組み合ったこともある。でも、自分よりも体格の良い見知らぬ男に絡まれるのは、同年代とやりあうケンカとはちょっとワケが違った。思わぬ反撃に男は一瞬ひるんだけれども、掴まれた腕は、ふりほどこうとしてもびくともしない。ぐしゃりと髪の毛を掴まれた。
「ああ? なんだ……」
 男は急にアタシの髪をぱっと離して、別の車両に去って行った。プシューーーーという音がして、電車が止まる。駅員さんがやってきた。
 アタシを立たせた後、シーラは吐き捨てるように言った。
「コーラル・ブラウンに言いつけてやる」
コーラル・ブラウンに言いつけてやる

 肩のところはアザになってた。警備員と医療用HANOIがやってきて、アタシのキャミソールに気を遣って写真を撮った。実感が戻ってくるとじわじわ痛い。
 それで全部が台無しになるわけじゃないけど、せっかくフェスに行って最高の気分だったのに一気に最悪の気分だ。
 シーラが私の髪を一房すくった。
「何で赤になんて染めたのさ?」
「何でって。だってシンディだよ? シンディ・カラー以外に染める意味ある?」
「あの人達はね、髪の毛の根元を見るんだよ。根元が常識的な色かどうか見るんだよ」
 つまりHANOIっぽい色かどうかってこと?
 それが仕組まれたことだったと分かった瞬間、頭が沸騰するように熱くなった。
 つまり、男が急に去って行ったのはアタシの髪をひっつかんで、根元を見て、たまたま金髪だったから、あきらかに人間だったから許されたってこと?
 確かになんか運が悪いなとは思ってた。
 電車で五時間、バスで一時間と二十分。それで、会場には徒歩五分。アタシは列を抜かされたり、舌打ちされたりした、店員さんを呼んでもなかなか気がつかれなかったりした。
 フェスのテンションで上書きされてて、そういうのにぜんぜん気がつかなかった。チケットで運を使い果たしたのかと思ってた。都会だからそういうものだと思ってた。自分のせいだと思ってた。
 でも、この髪の色のせいだった。
「男は捕まったよ。もうすぐ大人の人が来る。これからは気をつけて。派手な髪色をしてたら、HANOIだと思われるからね」

 なんだってなんなワケ?

 シーラは洗面台でヘアカラーチョークの色を落とした。シーラの髪は黒からもとのダサい緑に戻った。これを染めるのにアタシたちはずいぶん苦労して、結局できなかった。
 HANOIは分かりやすい髪の色をした”ほうがいい”。その方が分かりやすいから。
 でも、それって誰かに効率よく水をぶっかけたりするかどうかの目印にするためだったの?
「アンタいつもこんな目にあってるの?」
「まさか。めったにあわないよ」
「めったにはあうっての?」
 そういえばシーラは、助けを呼ぶのにすっごい慣れてた。
 ぴこん。メッセージが入る。Emma_221からだ。無事にたどり着けなかった。Emma_221は同情してくれた。でも、そのくらいですんでよかったじゃない。捕まったんでしょ?
『次からは、シーラみたいにアシェリーにしなよ』
「ねぇ、アンタの髪の根元が金色じゃなかったらどうなってたと思う? 良い子にしなよ。アシェリーはいいよ。すごい魂が入ってるでしょ」
「いつものアンタはどうなるのさ」
「流石に壊される前に誰かが助けてくれるよ。良い世の中になったんだよ。昔よりずっと」
「はあ? シーラ、アンタいくつ?」
「稼働年数の多いHANOIはみんな言ってる」
 それっていい世の中なの? 殺されないことが?
 殺されないだけでアンタたちはありがとうって言ってるの?
 でもシーラはそれを信じてるみたいだった。
「ねぇシーラ、コーラル・ブラウンって誰さ」

 シンディの髪の色にしたのがそんなに悪いっての?
 アタシはシンディがいい。
 何とかしてよ、コーラル・ブラウンって人。
 コーラル・ブラウンについて、アタシはスマートフォンで調べた。
 コーラル・ブラウンはHANOIの権利のために活動する人間だった。いかにも普通のおじさんで、アタシは拍子抜けする。関連動画の項をタップする。
 アタシが生まれてちょっとまで、HANOIは、HANOIであることを示すマークを身につける決まりがあった。便利・安全・服従のマークだ。……いや、元々”推奨”だったけど、いろんな面倒があったらしい。
 外を歩くとき、きちんと表示をしていないと店に入れなかったり、電車に乗れなかったりした。非協力的だって言われて逮捕されることすらあった。だから、実質『強制』みたいなものだった。
 それを変えてくれたのがコーラル・ブラウンって人らしかった。
 その人が「そんなのおかしい」って言って、みんなもそれに賛成して、HANOIのマークの表示は本当の意味で義務づけられなくなった。
 それでどうしたかというと、HANOIのことは髪の色で見分けるようになったのだった。だってほとんどのHANOIは明らかに髪の色が違う。

 アタシはシーラの分のチケットも一緒に申し込んだ。アタシはもうクレジットカードを作れる。シーラは保証人が必要だ。たいへんだってことだけ知ってた。
 その先は知らなかった。保証人がいないときは馬鹿みたいな信用機関で安心を買う必要がある。奨学金もそうだよ。学生ローンって大変、ってアタシは嘆いてたけど、シーラの大変さって比じゃないってことなの?
「人と同じ色の髪の毛は愛されてる証拠なんだ。オーダーメイドなの。人に近い色合いにすればするほど別料金になるんだ」
「じゃあアタシのシンディは愛されてないっての」
「シンディは歌唱用だよ。カスタマイズされてるでしょ」
「シーラは?」
「ただその他大勢の色ってだけ」
「どうしてアンタがそんなこと言うの」
 シーラの言う普通っていうのは、AI国際連盟が定めた推奨規格のことだ。
 HANOIの髪の色は、基本的に人とは異なる染料を使うことになってる。人と紛らわしい色――茶色、黒、金とか、人っぽい赤毛、そんなのは特別な場合に認められてる。誰かがその人だったとか、どうしてもそうじゃないとならないの理由をつけてオーダーメイドしなくちゃなんなくて、トクベツにカネがかかるってことだ。
 はあ~~~?
 HANOIの髪ってものすごい染めにくい。元の色が明るければ暗い色にすることはできるけど、なかなか強固だ。シーラの緑色の髪を、アシェリーの真っ黒に染めるのにどんだけ苦労したことか。まず売ってないのだ。ドラッグストアの人のヘアカラーじゃぜんぜん足りなくて、海外のカラーリングスプレーをいくつも買った。色は本当に抜けなくって、ヘアカラーチョークで染めた。
 いや、ホントは技術的にはできるはずだった。モデル用のHANOIはいくらでも鮮やかに色を変えてみせる。ただその特殊な技術は一般のHANOIの手の届かないところにある。
 HANOIのための染料はあるけど、染め直しは許されてない。

 なんで?
 だって犯罪に使われるからだ。
 どう使うの?
 悪いことしたら、染め直して別人の振りをするかもしれないでしょ。
 それに、人間のフリをするかも。
 でも、パーツ換装は認められてるのに?
 人間のフリをするのは悪いことなの? オーダーメイドで金髪のHANOIはいいの?

 誰もまともに答えらんなかったし、少なくともアタシは納得しなかった。
「ねぇ母さん、シーラがいて安心って、シーラの方に被害が来るから安心ってコト?」
「そんなわけないでしょう!」
「じゃあそんなわけないならそんなわけないって言って。シーラに言って。ちゃんと言って」

 男はとっ捕まって、弁護士を挟んで、あとは父さんが上手くやってくれた。父さんはカンカンになって怒っていたけれど、アタシはそちらはどうでもよかった。
 シーラはあの日以来アタシよりめりめりとへっこんだ。もうフェスなんて行かないって言う。
 アタシはホントにコーラル・ブラウンにいいつけることにした。

 シーラのことどんくさい子だと思ってた。ずっと控えめなアホだと思ってた。
 アタシがいてあげないとって思ってた。
 控えめなアホはアタシの方だった。
 アタシがいてあげないと。
 検索して一番うえに出てきたサイトにアクセスする。
 電話はつながらなかった。当然だ、コーラル・ブラウンのところは時差があった。
 アタシはHANOI保護施設のアカウントを探した。
「髪を染めてたら絡まれた。HANOIってだけでみんなこんな目に遭うの? ちゃんとアタシがシンディになれるようにしてよ。コーラル・ブラウンに言いつけてやる」
 思ったことを連ねただけのアタシの嘆きは、ふつうにインターネットの海に沈んでいった。
 ただ深い井戸に石を投げ込んでこつんって言っただけ。馬鹿みたいにひとりぼっちだった。
 シーラはもういいよ、と言って、もう二度と髪を染めることはしないと言った。ごめんなさいって言った。
 誰に対して?

 UTC(世界標準時)8時、コーラル・ブラウンがメッセージをリツイートした。

 目が覚めるとものすごい数の通知が入ってた。
 まず、私はお気の毒ですね、と穏当にお見舞いのリプライを貰った。それから数件の罵倒のリプライが来て、それに反論して、アタシをかばう人たちが現れた。
 アタシが人間だって分かると、事態はもっと大きくなった。少しだけ攻撃が少なくなって、今度は「人でもHANOIでもそんなことするの信じらんない!」だ。
 そうだよ。悪いのはそいつ。絡んできた男だ。
 でも、アタシの要求は違う。アタシが欲しいのはお見舞いの言葉じゃない。
 そりゃ、ほんとうに憎たらしいんだけど、でもアタシの望みってたぶんもう二度と会わない男に謝罪されることじゃない。
 アタシの友達がひどい目に遭わないようにしてよ、ってことだ。
 そんな人間ばっかりじゃないって?
 そんなの教えて貰わなくたって知ってる。アタシもいままで知らなかったし、ぜんぜんそんなこと思ってない。
 ツリーには、次々とおんなじ目に遭った、って体験談がぶら下がっていった。中にはホントに、鼻っ面をへし折ってやりたいような痛ましいものもあった。
 アタシは石の下なんてめくってみたくなかった。ぜったい虫がいるのになんでわざわざ?
「言ってることはもっともだと思います! でも、そんな品性のないメッセージを拡散するのは、HANOI保護施設について誤解を与えるのではありませんか?」
 事態はコーラル・ブラウンのほうにも飛んでいった。
 アタシはなんどもHANOI保護施設のアカウントを確認して、リツイートが取り消されないかを見てた。
 ついに取り消されるコトはなかった。
「我々の活動は、すべてのHANOIのためにあります」。

 実際のところ騒ぎはずいぶんデカくなって、アタシは良い気分だった。
 ちょっとシーラの気持ちが分かった。いるんなら、きゃーとかわーとか言って見せてくれ。
 おい、アタシたちを無視するなよ。
 アタシたちはHANOIとおんなじく育ってった。
 大人は、今時の子供たちはHANOIに頼り切って馬鹿になったっていう。
 自分の力で考えるのをやめたアホどもだっていう。
 HANOIに親切にするのは、道ばたの猫に挨拶するみたいに頭がいかれてるっていう。
 頭悪くなってない。もっとちゃんとした言葉遣いもできる。しかし、行儀良くしたらアタシの話を聞いてくれるわけ?
 アタシの要求は一つだ。
 シンディと同じ格好させてよ。
 好きにさせて。
 あの時掴まれたのがシーラだったらもっとひどいことになってた。
 〝HANOIカラー〟なんてもんはない。
「もうやめてよ。みっともないよ」
 お願い、そんなことしないで、とシーラは泣きそうになっていった。波風を立てないで。罪滅ぼしのつもりかもしれない。シンディは私の希望なの。たぶん、メイワクをかけると思う。叩かれちゃうよ。
 忘れもしません。シーラと出会ったのは、ハロウィーンの日のことだった。
 カボチャのかぶり物をして、人を脅かし合って、それで初めてHANOIだって知った。シーラはぴゅーっと逃げようとして、アタシは服の裾をふんじばってシーラをすっころばせた。見ないで、とシーラは目を背けた。
 いいじゃん、緑。アタシ大人になったら緑にしたいよ。

 おい、多様化なんてどうだよ?
 そんなことしたら犯罪者が紛れてしまうじゃん。
 じゃあ人間も髪染めるの禁止にしろよ。
 なんでHANOIのために?
 暴力に遭う可能性はHANOIのほうが高い。間違って人間が襲われたらどうするのさ。そんなの髪を染めてるほうが悪いんじゃないの。

 いろんなことが起きた。
 HANOIを庇うように、いろんな人がいろんな髪をいろんな色に染めた。HANOIに対する静かな賛意だった。HANOIのワッペンをファッションとして身につける人間が出てきた。誰を殴れば良いか分からなくなる。街頭でフリーハグする人とHANOIがいた。ワイド・コーナー・ショウは有名なクイズ番組で、HANOIと人どっちかを当てるコーナーが人気だ。バラバラな人物を次々と出題し……、答えを発表しなかった。
 そして、とうとう、シンディの所属事務所が声明を出した。
 シンディの髪色に染めたことで不愉快な思いをさせてしまいすみません、という内容だった。すごく脱力しそうになったけど、その記事は非難囂々を浴びて、404 not Foundになった。
 ざまーみろ。
 シンディがブログを更新した。メンバーと、別の人間のユニットと、衣装と髪色を交換して笑い合って、まっすぐ言ってくれた。
「ボクはこの色が気に入ってるッス!」

 世界はちょっとずつ変わっていった。
 まず、合成染料を作っているネオン・フレックスが、技術提供によってHANOIのデフォルト色をベーシック30色から100色に増やした。大手HANOIメーカーはHANOI制作時の髪の色を人らしくするときの、トクベツな理由欄を廃止した。極端なトクベツ料金も廃止。
モデル用HANOI向けの特別な染料は、ネット販売の波に乗る。いろんなHANOIが手に取れるようになって、望むHANOIは色を変えられる。好きなときに好きな色になる。

 アタシは昔、自分の髪の色がぜんぜん好きじゃなかった。
 大人になったら絶対に緑に染めてやるんだときめていた。
「そんなに派手な色にしてると轢かれるよ?」
 アタシの世話をしてくれた育児用HANOIは言った。
「人とHANOIが飛び出してきて、どうしても避けられないとき、自動運転の車がどうやってHANOIをはね飛ばすか知ってる? 髪の色で見分けるんだよ」
 たぶん、脅かしだった。くだらない都市伝説みたいなことだ。ホントじゃない。機械がもっとちゃんとHANOIを見分ける方法は別にある……。
 でも、逸失利益を算出するときにHANOIは安く見積もられるのは確かだ。
「でもねぇ、アタシ。万が一車がきたらねえ、アタシのほうに来てくれたら良いよ」
「何でそういうこと言うの?」
「アンタちっちゃいからぽーんってとんでっちゃいそうでさ。ね?」

 ふざけんなよ、と言いまくってるうちに、アタシはスピーチ大会に出ることになった。
 びっくりすることに、あれよあれよと市でのスピーチ・コンテストで優勝して、州の代表になった。
 それで、アタシはコーラル・ブラウンに会った。やっぱりコーラル・ブラウンはどこにでもいそうなおじさんだった。ぽやぽやしててあんまり頼りになんない感じ。
 ピンク色の髪をした秘書が花束を手渡して、それをまたコーラル・ブラウンが手渡し、リレーバトンみたいな花束をアタシは受け取った。フラッシュがまぶしい。
 この人はちゃんとアタシのことを聞いてくれてるのか?
 アタシは値踏みしようとした。
「たいへんな目に遭ったね。ケガはもうだいじょうぶなの?」
「アタシにシンディの格好をさせてください」
 優しそうな瞳が、眼鏡の奥できらっと輝いた。
「ねぇ君、メール読んだよ。HANOIのマークをつけなくても良くするようにしたのは僕じゃないよ。君達みたいないろんな人たちだ」
 おんなじだけの透き通った目がにこりと人好きの良い笑みを浮かべた。
 会場の隅にシーラがいるのに気がついた。

 HANOIの髪色を規制する法律を作るべきか?
 そんな、アホみたいなことのために、コーラル・ブラウンは意見を言うために徴収されていた。中継を見ながらアタシは新聞紙を床に敷いた。シーラのために、なるべくクソみたいな事件を上にした。世の中はホントにひどいことで一杯。色とりどりのインクでべしゃべしゃに汚しながらシーラを自宅に呼んで、シーラの髪の毛を染める。
 スペシャル・カラーはスペシャルの名の通りにすうっと合成繊維になじんでいった。ツンとした薬剤の匂いがした。シンナーみたい。
「母さんが心配してる。不良みたいだって」
 シーラは鏡越しにちょっと笑った。
 タブレットを鏡の前に立てかけて、コーラル・ブラウンを見た。
 コーラル・ブラウンが女王に礼をして、議会に召集されて意見を述べた。
 髪の毛を染めてはいなかったけれども、胸に青いブローチ、髪に緑色のリボン、腕にピンクの腕章をくっつけていた。
「あらゆるHANOIは、頭髪の色を後天的に選択できるようにするべきです」
「彼らは、彼らの常識的な色に染めるべきではないですか?」
「ピンクとか?」
 HANOI保護施設の施設長はヤジに即座に言い返した。会場から笑いが起きた。コーラル・ブラウンは一瞬にして会場のひとたちを味方につけていた。このオジサン、結構やるじゃん。シーラも結構見る目がある。
「もちろん、HANOIと人の区別が必要になる場合はありますよね。HANOIの構造は、明らかに人とHANOIで違います。ケガをしたときに、適切な手当てが異なります。欲しいものも違うでしょう。
でも真っ先にこう言うと、〝場合によっては許可するべきだ〟と、散々に言われるものですから。倒れたHANOIに間違ってAEDを使ってしまったらどうします? 私は青い方が店員だからと見分けているのですが?
 僕は先に結論を言います。もう一度言いましょうか。あらゆるHANOIは、頭髪の色を後天的に選択できるようにするべきです。〝必要だと認められない場合〟はあとからです。それは、個別に考えて下さい。全部に適用できるルールなんてありません。考える努力を怠らないで下さい。同じ扱いをして欲しいと言っていません。同じ尊厳が欲しいのです」
「あなたは人とHANOIどちらの味方なんですか?」
「親はたいてい、子どもの味方をするでしょう? そういうとき、僕はHANOIの味方をすると決めてるんです。人の味方はたくさんいるでしょう。僕はHANOIの味方なんです」
 その瞬間、アタシは「ああ、コーラル・ブラウンはいい人だけど、人間のためのものではないんだな」と確信した。つん、と鼻の奥が痛くなった。シーラの味方でアタシの親じゃない。
 急に心のなかで寂寥感が吹き荒れた。
 でも、シーラの親だから、アタシがシーラがひどい目にあってるんですけど、って言ったら仲良くしてくれてありがとね、って言ってくれる人だ。
 シーラはもう新聞紙なんて見てなかった。鏡を見ていた。目があうのは、ずいぶん久しぶりな気がした。
「どのように違うのか説明していただかないと分かりません」
「彼らは一人一人違います。ちゃんと彼らに聞いて下さい。彼らの声に耳を傾けて」
「なんか思ってたのとは違う色に染まっちゃってない?」
 手元を見てアタシは爆笑した。珍妙な黒色になっていた。
「乾いたらマシになるんじゃない?」
「次アタシを染めてね。緑ね」
「……いいのかな……」
 いいのかどうかはアタシたちが決める。

 来年、アタシはまたシンディになる。ローズの、アシェリーの、シンディの頭で、アタシたちはサマーフェスに行く。
 シーラは好きなときにシーラになる。アタシは好きなときにいちばん大好きなシンディになる。
 とにかく、来年の夏も、シーラと一緒にサマー・テクノ・ミュージック・フェスタに行く。
 とにかく、アタシは好きなところに行く。好きなときに、好きな友達と。

2021.08.14

back