施設長、カラスにむしられる

*本編に未登場の保護施設の職員

 真っ赤に焼けている炭のうえで、焼き鳥が白煙を上げている。熱された空気で、空間はちょっとばかり度の入ったレンズを通したように歪み、鶏肉がまだ食べごろではないために、被食者と捕食者はまだ分かたれている。
 が、ひとたび焼き鳥の皮からぽたりとタレが滴ると、均衡が崩れて香ばしい匂いが漂ってくる。
 ナナシさんは、手際よく焼き鳥を皿によそう。何事も抜かりないHANOIである。
「やったあ!」と後輩が嬉しそうな声を上げた。ついでに、店員を呼び止めると「生お願いします」と宣言したが、ナナシさんに肘をぶつけられてオレンジジュースにした。なんたって今は、外回りのついでに遅い昼飯を食べているところで、いちおう、勤務時間ではあったのだ。……ならもうちょっとビールが恋しくならないお店にしてほしかったな、と思わないでもない。けれどもまあ、保護施設の施設長の右腕にして、大先輩の雑務用HANOIに逆らえるわけもないのだった。後輩は、肉ならなんでもいいです、と乗り気だった。
「今何時?」
「1時です。あれ? 今夜、会見でしたっけ」
「……ま、まだ時間あるし。間に合うな」
「たいへんですねぇ」
「他人事みたいに言いやがって。大事な施設の活動報告だぞ。これでどれくらい寄付が集まるか……。まあ……ハンソン家のバックアップがあるから、なんとかなるっちゃあ、なんとかなるんだけどな」
 HANOI保護施設は、基本的には赤字の経営である。とはいえ、利益を出すのが主目的の団体ではないし、チャリティー団体だからそれはいい。
 ただ、ほぼハンソン家に頼っているかたちとなると、どうしても顔色を窺わなければならないことが多い。
「あの人たち、もうねー、なんだかんだいっても、上流階級ですもんねぇ」
 理解がある支援者ではあるが、一方でかなり伝統的というか、古風な面が残っていて、「お屋敷に住み込むHANOIは労働法の適用外にしよう」なんて言い出すのだ。
「この仕事は好きですよ。好きですけど、ねぇ? やっぱり、庶民はお給料もらわないとやってられないですから!」
「そうだよな?」
「……」
 わたしは沈黙を選んだ。
 まさにその提案に「いいんじゃないですか」と言った、HANOIの人権団体で働いているとは思えないHANOIが一名いるのだが……。顧問弁護士に、「いいわネ♡ それじゃあ独立してアタシみたいに業務委託にしましょ~♡ そうしたらいくらでもタダ働きのし放題よ♡」と言われて、賛成をひっこめたような気がする。
 その人物は今まさに、焼き鳥のネギを、結構男らしく食らっている。
「施設長と言えば……」
 ぼそり、ずいぶんと低い声でナナシさんが言った。
「なんで施設長なんだろうな」
「うーん。なんか、ふわふわしてそうだし。飼い葉に似てるんじゃないですか?」
 後輩はそのへん、物おじせずにずかずかと踏み込んでいく。

 今月に入ってから、施設長が執拗にカラスに襲われている。

 HANOI保護施設には、結構広めの庭が併設されている。傷ついたHANOIたちのケアをするための大切な場所の一つであるのだが、これがなかなかステキな場所になっている。Googleマップで★4.5。HANOI保護施設と言って登録されている画像は花壇の画像だ。
 お花好きの施設長のはからいか、メリーティカさんあたりの細やかさか。花壇にはいつも何かしらの花か野菜が植わっているし、季節によって色彩を変える並木道は、それなりに見ごたえがある名所だった。
 職員たちもまた、休み時間になると、そこでランチボックスを広げたり、それなりに憩いの場になっている。都会のそう悪くはない土地にあることを考えると、ハンソン家には足を向けては寝られまい。
 そこに、この春。カラス一家が住み着いた。
 しばらくは街のカラスたちもこの場所の良さを知らぬと見えた。が、とうとう気が付いてしまったのだ。
 庭のベンチの横にある、どっしりとしたカシの木をテリトリーと定めると、巣を作った。なんどか撤去はしたのだが、また同じ場所に戻ってきて、ついには卵を産んでしまった。いつしかヒナが生まれ、気の立ったカラスは、なぜかHANOIや出入りの人間にはほとんど見向きもせず、執拗に施設長にとびかかっていくと髪の毛をむしる。
 目の付け所からも分かる通り、こいつがなかなか賢いやつのようで、施設長が誰かといるときには襲い掛かってこない。しかしちょっと目を離すと、施設長は即座にカラスに襲われ、「どっひゃ~」などと情けないコーラル・ブラウン色の悲鳴をあげている、……というわけなのだ。
 立て看板を見て、
「行くか、鳥」
 と目の据わったナナシさんが言ったときの緊張といったら、すさまじい迫力があった。あたかも今思い立った、というような感じではあったが、そこには有無を言わせぬ強い意志がこもっていた。後輩はといえば、「肉なら何でもいいです! やったー、わぁい」と喜んでいた。
 これがYAKITORIというやつである。
 口の中でほぐれる焼き鳥は、香ばしさとしょっぱさが混じっていて、かなり美味しい。脂が乗っていて、かみしめるたびにじゅわっと口の奥で広がった。ちょうどいい焦げ跡に、炭の風味がある。
「いやー、でも、ホント、なんで施設長なんでしょうね。まさか施設長に限って、カラスに意地悪して恨みをかうようなこともないでしょうし」
「狙いやすいからってだけだろ。見てんだよ、人を。俺といるときはあの野郎、来やしねぇんだよな。なのに施設長、のこのこと出てって案の定襲われてるし……」
「……美味しそうなのかなあ?」

 これは、HANOI保護施設の職員の中でも、限られた人間しか知らない情報である。
 ベテランの先輩から聞いた話だ。
 カラスに襲われる施設長を、HANOIたちも、ただ黙ってみているわけではなかった。
 メリーティカさんなどは「あのね、怖いから一緒に行ってもらっていい?」と言い、腕を組んで施設長を可憐にエスコートし、クレヨンちゃんなんかはドストレートに「クレヨン 守ったげる!」と、男前に、また、施設長をエスコートしたそうである。
 この流れで当然出るべき人物の話がでず、わたしは身構えた。
「ナナシさんは……?」
 ベテランはきょろきょろと辺りを見回すと、そっと扉と窓が閉まっていることを確認すると、口を開いた。
 ナナシさんは、……うっかり「施設長。情けないですね。俺がおもりしてあげましょうか?(笑)」と、(笑)を含めて言ってしまったらしいのである。
 わりといつものことであり。いつもだったら「もうナナシ君ったらひどいなあ、ははは」みたいな感じで終わったのかもしれないが、その一言が、会見の準備やその他でいたくお疲れの施設長の柔らかいハートに食い込んでしまったらしいのだ。ぱっと表情を曇らせると、「いいです、自分で何とかします……」と、ナナシさんの申し出を辞退し、それで、こそこそとひとりで帰ろうとして、気が付けば、「どひゃ~」となっているらしいのだ。
 そんでもって、いちばん遅くなるのはどうしても施設長とナナシさんなものだから、施設長のついばまれ回数はとどまるところを知らない……、というのがベテランの先輩の証言である。ナナシさんも策を打ってはいる。それこそ身を挺して巣を撤去したのはナナシさんだった。それなのに、カラスは何故か施設長を狙う。
 どうにも報告されているインシデントの五倍は、施設長はカラスに搾取されており、そのぶん、奴らは私腹を肥やし、巣は快適になっている。……このままでは、白髪の交じり始めた施設長の頭がさみしくなってしまうのも時間の問題かもしれない。

「まぁ、イイ年なんだから、自分で何とかしてもらわないとな」
「そんなあ。冷たくないですか? いや、でも。ううん。でもそうですよね。僕たち、いつも施設長の側にいられるとは限らないし……。いつどこでカラスに襲われてもいいように、自分で対処できる力をつけてもらわなきゃならないですよね。施設長には酷かもですけど」
 後輩が妙な言動をしている。しかし、まあ、「そうだな」と焼き鳥をひっくり返しながら相槌を打つナナシさんの反応も精彩を欠いている。
「……」
「はあ。……だめですかねえ、やっぱ。施設長だと……」
「だーめだろうな……」
 施設長もまた、押しが弱そうに見えて、はっきり言うときははっきり言うタイプではある。だから、まあ、でも、はっきりと「やめて」と言えないわけではないが、カラス相手には「やめて」と言ったところで「カァ」と返されるだけだ。施設長はせいぜいがカバンで顔をガードするくらいで、オフェンスには回れず、上空から有利をとられ「どっひゃ~」となる。
「……害獣の一匹始末できないで何が秘書だよ」
 そもそも、正確には秘書じゃなくない?
 給料もらってないじゃないですか……とはいえない。
「ひえ始末って。そ、そこまでやらなくてもいいんじゃないですか」
 焼き鳥が焦げそうだったので後輩がそーっと奪い取っていき、ナナシさんのところに置いた。コイツは良い性格をしている。
「俺は、常にそういう覚悟で仕事してんだよ。施設長が邪魔者を始末しろっつーなら、いつでも泥被る準備はできてるさ」
「わぁ……すごいですね」
 何か勘違いしたのか、網を替えに来た店員さんの表情がひきつっていた。
「でも。メリーティカさんこわいですよ。気にしてるんですよ、雛のこと」
 そこ、さん付けなんだ、とわたしは思った。
「ティカが怖くて仕事できるか」
「でも施設長優しいから。まあ、そういうの言わないじゃないですか」
 そのとき。
 ナナシさんは、ほんとうに、一瞬だけ嬉しそうな顔をした。

「……」
「……」
「あ。時間かなあ記者会見、成功するといいですね」
「どうだろうな。またいつもの身内会見だろうな。何社取り上げてくれるかねぇ……帰り、買うか、グッズ」
「対策グッズ」
「しこたま買いましょう」
「カラス相手だと、案山子とか……?」
「水の入ったペットボトルとか」
「そりゃ、猫だろ。しかも効かないぜ」
「クラッカーでおどかすとか」
「どこぞの教祖が釣れた」
「DVD吊るしましょうか?」
「DVD? ああ、DVDね……」
「ま、どうせ俺なんかいなくても、施設長はなんとかしますよ」
 どことなくふてくされるナナシさんではあったが、我々は首尾よく昼ご飯をおごってもらえたのだった。ほくほくとした気持ちで「いやー、そんなことないですよ」とか適当に返していると、帰路につく。
 しかしだ。
 敷地内に踏み込んだ僕らの耳に、「どひゃ~」という声が飛び込んできたのである。

 カラスに襲われて負傷した施設長の会見は、なぜか、すさまじい迫力があった。
 おでこにガーゼを貼っていて、髪の毛はどう整えても仕方がないくらいにはねていた。手にはいくつも絆創膏が貼ってあった。見た目ほどは重傷ではないのだが、HANOIたちに心配された結果である。
 記者たちは用意していた質問も吹き飛んでしまったらしく、だいぶしどろもどろになっていた。一方で施設長は、何かが吹っ切れたようにすぱすぱとはっきりした返答を繰り返しており、これがずいぶんと対照的だった。
 コーラル・ブラウンがHANOI反対派に襲撃されたという噂が広がったのは、また、仕方のないことだろう。
「一切にはお答えできません」
 秘書は、施設長のプライドのために沈黙を貫いた。
 しばらくはHANOIたちが交代交代で施設長の警護にあたり、これもまた世間を深読みさせたものである。
 何気ない記者会見の動画はトレンドに上がり、ひっきりなしに旧知から安否を問うような連絡があった。
 この騒動は、なぜか、HANOIたちの労働環境を考える良ききっかけになったようだった。見舞金ともつかない寄付金がわんさと集まった。

 季節の巡りとともにカラスも子育てを終え、またしても平和が戻ってきた。
 施設長は、結構トラウマらしく、そそくさとカラスを避けるが、カラスの方はすっかり忘れたらしく、ふてぶてしく、飛び去らずにぴょんぴょんとはねるだけで道を譲った雰囲気を出している。
「な……なんだか、僕が自意識過剰みたいじゃない?」
 ナナシさんは、施設長に危害を加えたカラスを本気で絞め殺しかねない目で見ている……が、それなりには義理堅いので、小さなバズとそれに伴う寄付に免じて、少なくとも今シーズンは見逃してやることにするようである。
 なんだかんだで義理堅いから。

2021.12.12

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