コーラル・ブラウン記念切手

 よく晴れた日。しつらえたみたいによくできた晴れやかな青空だった。
 ナナシはわずかに窓を開けた。古びたサッシはカラカラと音を立てた。外から爽やかな風が流れ込んできてカーテンを揺らした。
 ひとつよし。ナナシがまっとうな世界に這い出してきて、学んだこと――人間には、適切な換気が必要であるということ。
「施設長。HANOI教の教祖様からお手紙ですよ?」
「あー……。うん、ありがとう、ナナシ。そこに置いといてくれるかな?」
 コーラル・ブラウンは背中を丸めて、机に向かってせっせと書き物をしている。「仕事」と言えば聞こえはいいが、わざとこちらを、というよりは、ナナシの持っている郵便物を見ないようにしている。
「それか、封筒から中身だけ取り出して置いておいてくれると……」
「ご自分でどうぞ?」
 薄い青色の封筒はひるがえって、施設長の頭でぺしんと良い音をさせる。
 ……。
「あああー、やっぱり!」
 表書きをみたコーラル・ブラウンは机に突っ伏した。
 そこには、目の前の男と同じ顔をした、通常郵便(のんびり)の切手が、バラバラに六つ。ボンヤリした顔で微笑んでいる。
「アダムスならやると思ってたよ……うん……」
 コーラル・ブラウンのHANOIたちのための人権活動が認められ、功績をたたえた記念切手が発売されたのはつい先日のこと。
 特に自分の顔を見るのが好きでもない……どっちかといえばニガテ寄りのコーラルは、自分の顔が切手になるというのをあまり良いこととは思っていなかった。
 「誇らしい」というよりは「恥ずかしい」が先に立つ。
 ナナシはレターナイフで封筒の口を切って、わざとらしくコーラルの横に置いた。
 施設長だって、旧知からの手紙が嫌なわけではない。メガネを持ち上げて、手紙の文面とにらめっこし始める。
「『用件はないんだけどね。いつもはメールだし。でもまあ、せっかくの機会だから……』って、アダムスらしいなあ。『もちろん今、HANOI教本部ではこの切手シートを大量に購入して、余りに余ってるよ!』だって……。ははは……」
「……なんか、想像つきますね。その光景……」
「うーん、なんだかワゴンに山積みにされて売れ残ってるみたいで、心に来るなあ……」
 施設長はメガネを拭いた。
「だいたい……いいトシした男の顔の切手なんか貼ったってさあ、嬉しくないよね……?」
「まあ、嬉しくはないですよね」
「だよね? 自分の顔をしたシールがいくつも並んでるのって、あんまりなあ……」
「おやおや施設長、うちのクレヨンの絵がご不満ですか」
 ナナシが茶々を入れると、コーラルは慌てて首を横に振った。
「いやっ、そういうことじゃなくて、もっとかっこよい絵を使ってくれれば良かったのに……きりっとしたやつをね?」
「ないですね」
「えっ? そうはっきり言う……?」
「ないです。っていうか、今更じゃないですか? 講演会のポスターとか、著書とかで、世間様には散々露出してるじゃないですか」
「ああー……出てるけどねえ、出てるけどいいことばっかじゃないしなあ。ポスター破かれるの、結構へこむんだよなあ……。まあ、TOWERやってたころ、自分で自分の絵を切り裂いたこともあるけど」
「……あれはホントムカつきましたねェ」
 こうやって走り抜けてみると、TOWER事件もずいぶんと昔のような気がする。TOWERのことを思い出したのか、コーラルは少し眉を下げた。あれほどひどい目に遭わされておいて、怒っているというよりは、なつかしいような顔。
 切手のコーラル・ブラウンと同じ顔だ。
「……あれ? ナナシ、あのとき怒ってたっけ? 怒ってたの?」
「……。でもまあ、そう……悪いことばかりじゃないですよ」
「そう?」
「ちょっと考えてみてくださいよ。
ひどい目にあってる、使いっ走りのHANOIなんかが、『これを出してこい』って手紙を持って尻叩かれて、表を見たら、そこにHANOI人権活動家様の絵が載ってるんすよ。おかしいでしょう? 
 新聞配達でもしてさあ、郵便物にその切手が貼ってあれば『HANOIの味方』か、まあそんなの気にしないお気楽な一般市民かってところで」
「……」
「……少なくとも俺たちのことが嫌いだったら使わないでしょうし……ちょっとは受け入れられてる気になるじゃないですか?」
「そうかな?」
「ま、切手の男が誰かなんて考える人も少なそうだけどな……」
「だよねぇー……」
 紙幣の数字よりも、紙幣に描いてある絵の方を気にする人間は少数だろう。それでも、味方がいないかのように無視されるよりは遙かにマシだとナナシは思った。
「……まあ、この世界にはアンタの顔をお守り代わりに大切に忍ばせてるHANOIもいるってことですよ」
「ええー、ええー……? いやそれは、いいのかなあ。まあ、それで気が楽になるならいいんだけどね……?」
「そうすか」
 ナナシが空になったカップを片付けて執務室に戻ってくると、窓に映る自分を見ながら、施設長は真顔をつくっているようだった。どうやっても人の良さの消えない顔だった。
「あきらめてください。アンタどうやっても善人面ですよ」
 ナナシは吹き出しそうになったが、さすがにそれは悪いので、ぐっと腹にちからを込めて、こらえてやることにした。

2021.02.21

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