婚活詐欺

*原作未登場のキャラクターの登場
*茶番

 部屋の奥に位置どるホワイトボードには、MSゴシックと同じくらい几帳面な字で、『施設長の将来を考えるプロジェクト』と書かれている。

「んで、結局……残ったの一人かよ……」
「一人ですね?」
 定時後のHANOI保護施設――TOWER of HANOIの会議室B。
 几帳面に等間隔に並んだ机の一番前に、僕は座っている。普段ならそこそこの人数が入れる会議室だが、今はホワイトボードの前に陣取ったナナシさんと一対一(マンツーマン)だ。
「……まあ、いいか。人数が多けりゃいいってことでもねェしな」
『施設長の将来を考えるプロジェクト』とは、ナナシさんが立ち上げたプロジェクトだ。もういい年なのに、結婚相手の一人も見つからない施設長に、なんとかして相手を見つけてあげようという(かなりお節介な)取り組みである。
 趣旨を聞くなり「施設長結婚しちゃうんですか!! いやです」と言って直帰した施設長フリークのHANOIと、もう最初っから来なかった高度計算用HANOI。そして、「あー、ちょっと、トイレに行ってきます」と言ったきり30分戻ってこないベテランの職員。
 僕は逃げ遅れて……もとい、流れでナナシさんとふたりきりになってしまったのだった。
「……時間だ。作戦会議でもするか」

 雑務用HANOIである僕は、ナナシさんには並々ならぬ恩がある。
 なんたって、ナナシさんは仕事が出来るもので、ミスをカバーして貰ったことも二度や三度ではきかないのだ。
 趣味が仕事というか、仕事が人生みたいな生活を送っている……割には他人への配慮があるナナシさんは、割と良いお店に連れて行ってくれた。小さなバーで、どっちかというと施設長が来るよりもたまに一人で来てるのかな、という雰囲気の店だ。
「もう人数がちょっと多かったら飯でもおごったんだけど。施設長様の小遣いで」
「ナナシさん、給料もらってないってほんとなんですか?」
「ふーん。俺がタダ働きするとでも?」
「あ、貰ってるんですね……」
 流石にそれはないと思っていたので、僕はちょっとほっとした。趣味を仕事にするべきではない。HANOIだってきちんとお給料を貰える世の中なのだ。
「……。にしても。……人望ないのか、俺……。まじめにやってきたと思ってたんだけど……」
「いや……、みんな、上司のプライベートに口出したくないだけだと思いますよ」
「そうかよ」
 ナナシさんは、普段からあまり感情を表に出さないタイプだ。仏頂面のせいで誤解されがちだけれども、理不尽に怒るようなHANOIじゃない。けれども、多少は落ち込んだみたいだ……と、顔色が読めてくるようになると、ちょっと面白いのだ。
「プロジェクトリーダーが成功を望んでないプロジェクトって悲惨じゃないですか?」と高度計算用HANOIが言っていたのが頭の片隅をよぎる。いやいや、ナナシさんだってホンキで施設長の幸せを望んでいるはずだ。
「そもそも、施設長の恋愛対象ってどのへんなんですかね? 年上? 年下?」
「……どっちかね。たぶん、年上だと思うけど……」
「あ、そうなんですか?」
「推測かねェ。どっちかと言うと消去法でそう思ってるというか……鈍いから、あの人。基本的にさあ、年下っていうか、力関係があると、からかわれてるってことで好意がさっぴかれるみたいで……」
「あー……まあ、そうですよね。仕事じゃあちょっと……それじゃあ、あれですかね。記者さんとか、なんか講演会の準備してくれる人とか……? いっそ同じような活動家の人。うーん……」
 施設長はどのHANOIにも親切だけれど、誰かに深入りすることはない。いちど、HANOIがぐいぐい迫ってるのを見たことがあるけど、ごまかし笑いをしながらのらりくらりとかわすのだった。
 施設長には見えないバリアがあって、ものすごく頑丈だ。施設長大好き用HANOI(営業用)も、ぜったいにふりむいてくれないとは分かってるけど、素敵な学校の先生に言い寄るような気持ちなのかもしれないよねー、と思っていい話で処理しようと思ったら、困惑した笑みを返された。何だろう、掘りたくない。ここを掘ってもぜったいに飲み水とか、役に立つものは出てこない気配がする。
「はあ……」
 ナナシさんは重いため息を吐いた。
「その前に、施設長ってまずHANOI好きになるんですか? 仕事抜きにして」
「初恋の相手がHANOIだって聞いた」
「え。そうなんですか?」
「だいぶ昔だと思うけど……」
 意外な施設長情報だった。
「じゃあHANOIもアリなんですかね? あれ? HANOIって年上判定になるんですかね……」
「その辺は雰囲気なんじゃねぇの」
「ええー」
「俺たち子供時代ってコトないからなァ……」
 人間というのはなんともテキトーだ。
 うーん。僕も人間と付き合ってみたいかと言われると、ちょっとわからない。
 ちゃんと友達になってみたいなあとは思うのだけれど、一緒に暮らしたいかと言われると、やっぱりどうしても力関係があるし、あんまり落ち着かなさそうだ。
 まあ、その辺は、好きになってしまえばおんなじなんだろうか?
 どうだろう。
「人とHANOI、どっちのほうが可能性高そうに見える?」
「……うーん。どっちでしょうね。ナナシさんはどっちがいいと思ってます?」
「悩むところだな……」
「悩むんですね」
 好きとか嫌いとか、そういうところよりも、ナナシさんは頭の中でメリットとデメリットを打算的に比べているようだった。
「HANOIとの結婚もまだ一般的じゃないしなァ……。立場を考えると……まあアリと言えばアリか……? HANOIとだったら、子供は持たないことになるのか。面倒ごとは増えるけど……いや、減るのか……?
まあ、いいんじゃないの? 幸せなら」
 さんざんぐだぐだ言ったくせに、肝心なところでぽいっと投げた。
「幸せなら」
「そう、幸せなら」
 果たして、施設長の幸せって何なんだろうか?
 これはもう、施設長哲学の域に突入している。
「相手は別に人間様でもいいけど。……一番は、やっぱり仕事に理解がないと駄目ってところだな……」
「激務ですもんね……」
「まったく」
 基本的に、ひたすらにHANOIを優先する生活である。
「急にそんなこと言い出すなんて、何かあったんですか?」
「あー……まあ、そうだな。いろいろと」
「いろいろと」
「そこはまあ、いろいろだよ」
 ナナシさんは答えなかったが、本当に何かはあったらしい。
「……ナナシさん、施設長のためじゃないことってあるんですか? 他に趣味持ってます? 施設長以外で」
「施設長に構うのは仕事だろ。……仕事が俺の人生だよ」
「うん?」
 ナナシさんはすでに何杯目かのウィスキーを煽っていた。
「……俺は、あの人には幸せになって貰いたい……。報われる人生を送って欲しい。胸はって幸せだったって思って欲しい。ずっと仕事して、普通に年取って。俺は人間のことはわかんねぇけど、孫とか……? とにかく大切な人に囲まれてさ、にこにこして……。それで、落ち着いた頃に俺を手招きして呼んで『ありがとう、ナナシ。あっちでも引き続きよろしくね』って言ってくれれば俺は」
「『あっちでも引き続きよろしくね』……?」
 だん、と結構な勢いでグラスを置かれて中身が飛び散った。
「ナナシさん?」
「もとはと言えば! あの人が俺に言ったんじゃないですか……。側に居てほしいって」
「うわっ……」
「俺は、別に来世とか信じてるわけじゃないけど。あの人も無宗教だし。でも俺は、あの人のおかげで、世の中努力すればするだけマシになるし、なんとかなる……ってことを信じられるんだよ。だから、あの人には幸せになって欲しい。あの人が報われないならこんな世界は間違ってるよな?」
「……」
 うっかり施設長が結婚に失敗でもして不幸になったらどうするつもりなんだろうか。どう責任をとるつもりなんだろうか。



「えっ」
 施設長は「わくわくふれあいホール」という、なんともこの世の終わりみたいな名前の看板で笑顔のまま固まった。
「わくわく……あれ?」
 間違ってないよね? と、こっちを見る。
 僕は神妙な顔で頷いておいた。
「え……ナナシ君? ……パーティーってこれ……あの……」
施設長は『わくわく婚活パーティー会場はこちら! →』の看板の→方向を眺め、そのまま↑でナナシを見る。
「ナナシさん、説明しなかったんですか?」
「説明したら逃げるでしょ、アンタ。フツーにしてたら運命の出会いがあって、結婚できると思ったら大間違いですよ。そういうのは学生時代のカノジョと上手くいってるやつだけが言ってください。ボンヤリしてんだから」
「……」
 施設長がそっと見えない古傷を押さえた。
 さすがに説明もなしにいきなり施設長を婚活パーティーに放り込むのは可哀想である。しかし、今日の施設長は、すでになんかこぎれいだった。
「ああー、それで急に散髪の予約を入れたりしてきてたのかあ……うん……そうだね……」
「何だと思ってたんです?」
「パーティーって言うから……てっきり、いつもの、ほら、偉い人との付き合いの方のやつかなって……でもなんで急に」
「アンタ言ってたじゃないですか、寂しいなって……」
「えっ、僕そんなこと言ったっけ?」
「…………は?」
「ああ~、言ったっけ? 言ったね……」
 ナナシさんはたっぷり三秒は硬直した。
「とにかく、頑張ってくださいよ? 俺がこんだけ身を削って尽くしてるんだからさ……」

「ナナシさん、ナナシさん。だからといって僕たちが参加する必要ありますか?」
「あ? 施設長がヘンな女に引っかかったらどうするんだよ。トップが愛人に狂って経営が傾いたら全員が巻き込まれるんだぞ」
「それは自分でなんとかしてもらいましょうよ。施設長だって良い大人でしょ」
「女周りのトラブル、ホント最悪だからな……」
「……昔なんかありました?」
 というわけで、なぜかうっかり婚活パーティーというものに参加することになってしまったのだった。
 丸い番号札を渡されて、ぺたっと胸にくっつける。
「あ。ぞろ目だ! なんか嬉しいですね」
 割り当てられた番号にはなんかそわそわする。ナナシさんは若干眉間をひくつかせていた。不服らしい。が、人もHANOIも平等に付けてるんだからいいか、みたいな、すこし嫌な笑みを浮かべる。世の中が嫌いなんだろう。
「はいは~い! 最後にマッチングタイムがありますからねっ! この相手がいいな、と思った番号を書いてくださいね! 一致した場合、番号札がぴかーっと同じ色に光りますのでね! 連絡先交換して、あとはお好きにどうぞ、という感じですっ!」
 はきはきとうさんくさい口調で話す司会者を、施設長とナナシさんはなんとなく同じ温度の視線で見ていた。誰か、知り合いに似ていたりするんだろうか?
 いるのは人とHANOIが半分ずつくらい。HANOIのマークは、いつのまにかホントにつけたりつけなかったりしても良いものになったものだけれど、こういう時にはくっつけておくのが誠実なのかもしれない。
 入り口で渡された紙に、簡単な自己紹介を記入するようになっている。
 時間は資源。まったく合理的だった。ラフな雰囲気だけど、どっちかというと就活に似ている。こうやって淡々と検索窓に条件を入れていくように他人をふるいにかけるのは、なんだか不思議な気分だった。逆にフィルターでふるい落とされていて、永遠に交わらない線がいろいろとあるんだろうな……。
「はい、ボールペン」
「あ、ありがとうございます」
 ナナシさんの趣味とはなんだろう?
 ものすごく迷った末にペンが動いて、ちらっとのぞき見てみると「料理」と書いてあった。
 テーブルにつくと、愉快な音楽が流れだして、15分くらいの間隔で司会者の人が合図をする。そのたびに男側が次の席に移っていく。なんだか、椅子取りゲームに似ていた。一生懸命に話してるとすぐ終わってしまうし、ほんとうに目が回る。
 ナナシさんは完全に聞くモードにだった。
 あ、真面目な顔で頷きながらもぜんぜん聞いてない顔だ。
 興味のなさをとりつくろいながら、たまに相づちを打っている。
 ナナシさんの戦略では、相性の良し悪しがあるようで、全く相手にされないか、すごく話しかけてくるかのどっちかになる。会話がなくなると「お前の仕事だろ」と言う顔で完全に球を投げてくる。このために呼ばれたんだな、と悟った。適当にナナシさんをよいしょしているとすねを蹴られた。何しに来たんだ、この人は。
(おっと?)
 完璧に頷きを返していたナナシさんの相づちのタイミングがずれる。
「そうですね。仕事が忙しくて。趣味は読書ですけど、忙しくって最近は……」
 あ、遠くの施設長の声を聞いてる。

 なんだかすごく人工的に作られた関係性が素早く過ぎ去っていく。いいなあ、とか、かわいいなあ、とか、ほわほわした感想は抱くのだが、整理して収める前に、目の前の光景が変わっていくのだ。
 関係を深めるのって、とてもたいへんだ。
 ペアになるほど仲良くなるっていうのは、黙っていたら自然に生まれるものじゃないらしい。目指すところがあったら狙いをつけて、折り合いをつけてこれと決めて、ずんずん先に進んでいくのだ。これは、結構エネルギーを使う。世の中ってすごいな、と思うのだった。
「ナナシさんはホンキなんですか?」
「何が?」
「施設長が結婚してもいいんですか?」
「俺はもう覚悟を決めたからな。部屋も探した」
「え? 施設長の新居を既に?」
「いや、何でだよ。そこまで口出すことじゃねぇだろ。新しく俺が住む部屋だろ」
「え? 一緒に住んでるんですか? それ……」
「はーい、次のテーブルに移動してくださーい!」
 とにかく、考える暇がないのは幸いである。

「あれ?」
「あれ?」
 しばらくすると、向かいのテーブルに施設長がやってきた。
「うわ……。ナナシ君だ」
「は? 誰ですかアンタ? 知りませんけど……どちらさま?」
「ええー、ひどいよ! ねぇ?」
 さっきすごい聞き耳立ててたくせに、と僕は思ったが考えるのはやめた。ナナシさんは猫かぶりをやめて、すっかり横柄な通常ポーズになった。
「男の人と席一緒になるんだね……?」
「はあ。野郎の方が多いんですよね。……だからじゃないですか? にしてもまあ……何しに来たんですか?」
「何って……だって。っていうか君達も来てたの? でもちょっと緊張してたから、知った顔見ると落ち着くなあ」
「じゃあとっとと話せよ」
「ええ!?」
「話せば? 趣味は? どんな仕事してるんですか? つーか独り身は寂しいって言っといて、アンタさあ」
「だから、いつもありがとうって意味だったんだけど……」
「はあ~~~~? なんですかそれ、聞いてませんけど?」
 肩をすくめた僕は、この上なく「たいへんですね」という感じに向かいの男性と目があった。人と仲良くなるコツは連帯である。……これたぶん、吊り橋効果ってやつだ。



「はい、お疲れ様でした!」
 洗濯機でがらがら回されたような時間が過ぎた。
 僕もナナシさんも、すっかりくたくたである。
「ハイハイ! ありがとうございます。では、最後に気に入った相手の番号を書いてくださいねっ! マッチングしたら、同じ色に光りますのでねっ!」
「! あっ! 見てください、ナナシさん、僕、」
 さっきの人と、……と言って、振り返った僕は言葉を失った。
 施設長とナナシさんのランプが同じ色に光っていた。
「えっ」
「えっ、はあ!?」
 なんで?
「あー、はいはい。それでは、連絡先の交換先をどうぞっ!」

 完全に予定調和というか、もうどうしようもなく無駄な遠回りをしたような気がする。
「ちょっと、何で俺の番号書いたんですか! 俺がこんだけ準備して手間かけて……どういうことですか」
「ごめん……」
 ナナシさんは一方的に怒っているし、施設長は一方的に謝っている。
 でも、ほんとうに施設長だけが悪いんだろうか? 双方向に悪いんでは?
「なんですか? 今度休みの日にどっか行きます? ま、しばらくは忙しくって時間ないでしょうけどね」
「一緒に住んでるくせに……」
「あはは……」
「はい、これ、連絡先です。一応、決まりなんで」
「あ、じゃあこれ僕のプライベートの番号……でも」
「逆から大声で暗唱してあげましょうか?」
 夕焼け空のせいにして、そっと会場をあとにする。仲良くなった男の人と遊びに行く約束をして、僕はぜんぶ忘れることにした。

2021.07.24

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