この結婚に異議のあるものは

コーラルとローランド。
*器物損壊、および、式場に乗り込んだローランドが花婿(コーラル)をかっさらう概念が含まれます。

 空港の喫茶店。行き交う人びとは、また、HANOIたちは、いろいろな言語で話している。
「ごめん、もう会えなくなるんだ」
 まるで外国語で言われたかのように、ローランドは、コーラルの言葉が飲み込めなくなった。
 コーラルの言葉は、ローランドにとってはあまりにも唐突なものだった。
 ローランドは言葉を失い、テーブルに手をついて立ち上がる。
「それは。それは……どうしてですか? 何か俺に落ち度でも……? 言ってくだされば、俺は直します!! 貴方のためなら、なんだって!」
「ごめん」
 すんでのところでテーブルはこらえる。イスはだめだった。イスは殉職し、人知れず二階級特進を果たした。
「ううん。上司の勧めでさ、……お見合いをすることになったんだけど。……なんだか相手が乗り気で、たぶん、そういうことになると思うんだよねぇ」
「……」
 ローランドはわなわなと拳を握りしめ、ぐっと息をのんだ。
 上からの命令で断れないという状況は、ローランドの価値基準に従って理解しやすいものだっただろう。
 けれども、理屈ではない感情が軋みをあげる。絞り出すように、ただ「そうですか」と言うだけで精いっぱいだった。テーブルもだめだった。べきべきに折れた。
「それじゃあ、元気でね」
 コーラルは飛行機に乗るために、搭乗ゲートをくぐっていった。
 いつものように「またね」ではなかった。
 たったそれだけのことが心を揺さぶる。
「……っ!!」
 ローランドはあらんかぎりの速度で追いかけたが、金属探知機がそれを許してはくれなかった。ものすごい音が響き渡り、警備員が雪崩のようにやってきた。
 そんな喧騒も、軍事用HANOIにとっては蚊の鳴くようなものである。
「コーラル……! 待て、コーラル! 逃げるつもりか!」
 全ての飛行機は二時間遅れた。
 そんなことよりも、コーラルのことがショックだった。

***

 恋人とは言えなかったのかもしれない。とくに関係性を定めて付き合っているわけではなかった。けれども、コーラルといる時間は、ローランドにとって穏やかなものだったのだ。
 半年に一回の「またね」は、本当に、カレンダーを破り捨てたくなるほどに長かった。
 ローランドは今日こそ伝えようと思っていた。
「俺のために、毎朝パンケーキを焼いてください。俺は、貴方のために毎晩肉を焼きます」 ……。鏡の前で何度も練習した言葉は、ついに出番がないままだった。コーラルは機上の人となってしまった。
(……結婚なんて)
 ローランドは、意気消沈しながら、やる気の無いピザトーストをかじっている。
 司令官殿が決めたことならば従うしかないのだろう……。
 シリアルがあふれてばらばらと床にこぼれる。
(俺は……まるで生焼けのベーコンだ)
 やはり、毎晩、肉は重すぎるだろうか。パンケーキにベーコンを乗せるのは罪だろうか? あれだって、結構美味しいのだと……。
 コーラルから衝撃的な告白を受けるまでは、そんなことばかり考えていたのに。

 ほどなくして、ローランドのもとに、コーラルから結婚式への招待状が届いた。
 行きたくない、と反射的に思った。
 しかし、会いたい、という気持ちがあった。
 コーラルの一生に一度の晴れ舞台でもある。これから家庭を持って、忙しくなって……もしかすると、コーラルと会えるのはこれが最後になるかもしれない。
 何を女々しいことを、とローランドは反省する。
 もっと前向きにとらえるべきだ。一度くらい、相手の野郎の顔を拝んでおいても損はないだろう。せめて、一発ぐらい祝うふりをして思いっきり肩パンをいれてやりたい。頭の中では、顔も知らない男への肩パンは肩パンを通り越してタックルになっていたが。そして軍事用のタックルは相手をもれなく粉砕していたが、それはそれとして、だ……。
 ローランドはぐしゃりと招待状を握りしめる。
(喜ぶべきなんだろうな……)
 ふと、コーラルの寂しそうな顔が浮かんだ。
 あのとき、引き留めていれば何か違ったんだろうか。
――嫌だ。
 それは、単なるわがままだった。ごく個人的な理由で、ローランドはコーラルが誰かのものになるのはいやなのだ。

***

「軍曹殿!!」
「どうしたクソ虫!!」
 軍曹の声は、ローランドに負けず劣らずデカい。ローランドは負けじと声を張り上げる。
「サー!! 休暇をいただけないでしょうか!!」
「ならん!!」
「そこを何とかお願いします!! サー!!」
「しみったれた顔をしやがって!! ええ!? お前の負け犬っぷりは! 軍で噂になっとるぞ! 恋人を寝取られただと!? 恥知らずの負け犬が!! いったいいくつダミー人形を駄目にすれば気が済む!?」
「言葉もないであります!! サー!! 俺はどうしようもない犬です!!」
「わが軍に負け犬はいらん!! 少し頭を冷やしてきたらどうだ!!」
「しかし、サー!」
 軍曹はタンタンとつま先で床を叩いて、ちらりと壁の地図を見る。
「そうだ、ちょうど我が国の要人がかの国に行くところらしいな……。護衛任務を命ずる!!」
「……!!」
「その後は自由時間だ。ついでに武器でも何でももってけ!! クソ野郎に一泡吹かせてやれ!! 合衆国の意地を食らわせてやれ!!」
「イエッサー! 野郎の住所ごと地図から消してくれます!!」
 ローランドはびしりと敬礼した。
 つまるところは暴れてこいというはからいだった。

***

 式場。
『本日の主役』のたすきを背負って、「なんだか流されてここまで来てしまった気がするなあ」、とコーラル・ブラウンは他人事のように辺りを見回している。
 それにしても、ローランドはそんなに寂しがってはくれなかったなあ、と、ちょっとすねたい気持ちにもなる。この期に及んで浮かぶのが、ローランドの顔だ。
 出欠の返事は、まだ来ていない。
 別に乗り気だったわけではないが、ぜんぶの誘いにイエスと答えているといつのまにかこうなっていたのである。
 困りごとリストを見たらつい手を出さずにはいられないのがコーラル・ブラウンの性分で……。
 あまりごちそうやケーキを食べる暇も無く、気がつけば、神の前での誓約をするフェーズまで話が進んでいた。
(僕、無神論者なんだけどなあ……)
「この結婚に異議のある方はおられますか」
「ここにいるぞ!!!!!!」
 式場に爆音が響き渡る。人びとは何事かとざわめき始めた。いったいなんだ、テロ事件か、と、あたりに大いにざわめいている中、コーラルだけがよく通るその声の持ち主を知っていた。
「ろ、ローランド!?」
 ローランドは、ヘリに乗っていた。パラシュートを背負って降下する。
「貴方が他の誰かと結婚するのは……嫌です!! 俺が嫌なのです!!」
「! ……ローランド!」
「貴方がよくても、俺が個人的に嫌です!!」
「うん、本当は僕も……本当は……」
 コーラルは困ったように眉を下げて笑った。
「――!」
 結婚相手が何か叫んでいるが、ローランドにとっては全てが誤差だった。ローランドは手袋を脱いで、勢いよくたたき付ける。それは決闘の合図だったが、投げ返すとそれだけで相手が吹っ飛んだため一瞬にして勝敗がついた。
「司令官殿のためならば俺は負けません! 無敵です!」
「あはは、どうしよう。だいぶ滅茶苦茶になっちゃった」
 段取り、上司の面子、式場の人たちの努力、……それから、常識。
 いろいろなものが木っ端みじんだ。コーラルはたすきを畳んで、スーツを脱いだ。暑苦しかったので。
「……このまま、俺の国に行きましょう!」
「うん!!」
 コーラルが手を差し伸べる。ローランドがその手を優しく取った。
 そしてそのまま、姿勢を変えて、ローランドはコーラルを横に抱きかかえ、縄梯子を掴む。
 目指すは祖国、自由の国――。

2021.04.26

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