ムーミン……。
*コンビニ店員がコーラルとナナシにひどいあだ名をつける描写があります。
今日も一日、おしごと、おしごと。
「いらっしゃいませー」
ちょっとくらい疲れていても、自動ドアが開いた音がしたら、反射的に挨拶が出るのが接客用HANOIというものである。店長がおっかけて「いらっしゃいませー!」と言ったが、客はいなかった。
風でぶっ飛んできたごみ箱が、自動ドアのセンサーに反応したらしい。
今日は強風。めっきり客の気配はない。
「このままじゃ商売あがったりだよお、どうしよう……」
店長はガクリと肩を落とした。
たしかにそうかもしれない。俺も身の振り方を考えるべきだ。なので、転職情報誌のラックをちらっと見ると、「そんなぁ」と泣き言みたいな店長の声が聞こえた。
別に、店長は好きだし、今のおしごとが嫌なわけじゃないけど(給料だってちゃんと出るし)、俺はなんだか代わり映えのしない日々、毎日おんなじだなあ、と思っている。冷やし中華のキュウリに季節感を感じるおしごと……まあ、いいんだけど。
「もういっそ、トランプでもする?」
「二人で? っていうか、そのトランプって売り物じゃないですかあ?」
楽しみといったら、よく来る常連さんにあだ名をつけるくらい。
いいの、いいの、と、店長がぺりぺりビニールを剥がしていたとき、自動ドアが開いて、パタパタと二人。人間と、ピンク頭のHANOIが駆け込んできた。
「あっ……」
「あっ……」
ムーミンと野生のトマトだった。
ムーミンは、よく深夜にコンビニ弁当を買いにくる常連客だった。のほほんとしていて、すごくおっとりしている。
HANOIに対して、それもたかだかコンビニの接客用HANOIに対して親切な人間というのは珍しい。ぽけーっとしているし、別にいやな思いもしないし、いや……。わざわざ言わないけれど、実は俺は、ムーミンのひそかなファンだったりする。ファンといっても、見かけたらラッキーというジンクスを勝手に作っているだけだ。
なんかご利益がある気がして、ムーミンが買っていくスナックをせっせと補充していたりもした。
去年あたりからしばらく来なくなったので、店長とバックヤードで「絶滅したかな」「獲られやすそうだもんね……」「捕まえやすそう」「いざ捕まるまで『え?』ってなってそう」とか、かなり失礼な会話をしていたものだ。まあ、きっと、お仕事を辞めたか過労死してしまったんだろう、としょぼくれた結論に達した。
「ほんとにねえ……ムーミン君、土日祝日お構いなしだったからねぇ……」
深夜残業。ムーミンが栄養ドリンクを買っていくたびに現代社会のやるせなさを感じる。
しばらく喪に服していたのだが(当社比)、最近、ムーミンはめちゃくちゃにいかついHANOIを連れて復活した。
なんで?
なんだか、主人と使用人という感じもしないし、友達にしては距離感が奇妙だし、同僚……というには気易かった。俺たちは散々ああでもないと仮説を立てた。一番有力な説は、インターネットで知り合ったバンドマンにつけこまれ、ムーミンが弱みを握られて脅されているというものである。ムーミン……。
いや、なんたって……。漏れ聞こえてくる会話が……。
「君が、ちゃんとお給料もらってさえくれればなあ」
「アンタに養ってもらいますから」
……完全にヒモだ。
ムーミンがかごをもって、のそのそとコンビニ内を歩く。ピンク頭の半熟野良トマト野郎の方は、興味深そうにカゴをのぞき込んでいちいちダメ出しをしていた。サラダを勝手に足したり、おやつを戻したりする。
いつも財布を出すのはムーミンの方だ。
せっかくムーミンが夜中まで働いて貯めたお金なのに……。好きなもん買わせてやれよ。ムーミンのために補充したスナックはムーミンをおびき寄せることはできたが、野生のトマトをかわすことはできなかった。
「いらっしゃいませ、フライドチキンお安くしてます」
「ナナシ、新発売だって」
「良かったですね。俺達には関係ないですけど」
「……」
働いてないんだろ、野良のくせに口出す権利あるのか。などと言えるわけもなく「こちら5点ですね」と言ってレジの会計を促すしかできない。
「ほら、なにボサっとしてんですか。荷物、持ちますよ」
「あっ」
(あっ)
さっとさりげなく荷物を持つあたりがたぶん、そういう手口なんだろうと思う。ムーミン、だまされるな、と念を送ったが、ムーミンがうれしそうにほっぺを緩ませていて、よくわからん。
「まあ、顔色は良くなったしねぇ……お野菜もちゃんと食べるようになったしね……」
ムーミン君が長持ちするならいいんじゃない、と、ムーミンに保冷剤を足す。
俺は接客用なので、ちゃんと「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」と言えた。
***
「トマトってかスナフキンじゃないの? ムーミンなら」
店長がまた適当なことを言った。俺は適当に返す。
「でも、スナフキンとムーミンの関係ってどうなんですか。スナフキンって放浪してるんじゃないんですか? ムーミンはムーミン谷に定住してるんでしょ? 知らないですけど。実際どうなんですかね」
「でもマグカップだと……そういえばうちのマグカップさあ、食洗機に入れたら柄がはげちゃって」
「はあ」
「でも食洗機いいよお、ホント」
「あ、ググったら親友だって書いてますよ」
「え、だれが?」
「ムーミンとスナフキン」
店長がまたどうでもいいことを言っているなあ、と思いながら俺は返事を返す。それでもって会話はどうでもいいところに転がっていて、最終的に棚の隙間にはさまってとれなくなる。
……ちなみになんでHANOIの方のあだ名がトマトなのかというと、トマトを使った新作商品があるとムーミンが「わぁ、見て見て、トマトだよ!」と、ことあるごとにトマトを見せびらかすからだ。HANOIはだいたいは「戻してきてくださいよ」とうっとおしそうにするが、若干嬉しそうに見え……なくもない。
もしかするとムーミンの側にトマトがあるとみれば人に見せびらかすくせがあるのかもしれないが、それは自分らのあずかり知らぬところである。
「ナナシ、そろそろきちんと給料を受け取って貰わないと、困るよ」
「……はあ? なんで?」
「君だって色々困るでしょ……」
「その話はまた今度にしてください。もっとほかにやるべき事があるでしょ」
ピンクトマトは、タウン情報誌をめくって時給を確認しているわりに、やっぱり働いてないらしい。
「でもね、いい加減、君も自立できるようにね……」
「俺に世話されなくなってから言ってくださいよ。俺無しじゃ生活できないでしょ、アンタ」
「うう……まあ、その通りです」
「……」
俺と店長はこくりとうなずき合った。作戦名『ワシントン条約』でいこう。俺が古典的なはたきを持ってポスターをぺんぺんして注意を引こうとする。店長は咳払いでアシストを入れた。『経済DV、相談しましょう』、というポスターを貼ってあるのだが、ムーミンは気が付いてくれなかった。
なんなら会計時に相談用の窓口のはいったポケットティッシュを入れたが、レシートと一緒に抜き取って捨てられてしまった。
「ホラ。くじ、引いて良いですよ?」
(ムーミンのお財布なのに……)
理想のトマト兼ムーミンの親友は、さり気なくノンアルの方の箱を引き寄せた。
「!? あ、当たった!」
「外れなしって書いてあるでしょう」
「栄養ドリンクだ……! やったあ!」
ムーミンの親友は渋い顔をして栄養ドリンクをじぶんのポケットに入れる。俺たちにはどうすることもできない。連れだった二人は、ムーミン谷に帰っていくのだった。
2021.06.15
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