ナナシ、なんか面白いことやってよ!

*ナナシが不真面目です。

「じゃあ、ナナシ、なんか面白いことやってよ!」
「は?」
 ナナシは困惑した。HANOI教の教祖・アダムスが椅子にふんぞり返っていた。ずり落ちそうになりながらも、器用にその姿勢を保っている。片方のひじ掛けに体重を預けて、どうぞ、とナナシを見ているのだった。
 張り付いたような笑みは、スポンジでこすれば落ちそうな気さえする。
「だから、面白いことをやったらサインなんていくらでもあげるよ!」

 ナナシがコーラル・ブラウンに申し込んだ、『相対死』。つまり、コーラル・ブラウンが死んだ後には、ナナシも廃棄してもらうという約束。ちょっと嬉しい、と言いながらも、コーラル・ブラウンは頷かなかった。
 ごく常識的で良識的で、HANOIに対して慈悲深い施設長の出した条件は、『TOWER時代を共に過ごしたHANOIたち、9体のうちの半数以上の承認』だった。
「もしかすると、僕よりも世界がおかしいのかもしれないし……」
 いつもの困った笑顔で施設長は言った。……一向にウンとは言わない施設長の、事実上の容認にナナシは舞い上がった。
「ああ? そんな条件でいいんですか? なんなら全員からもらってやりますよ?」
 ナナシの夢。ナナシは、この夢を叶えるためなら、どんな手も使うと誓った。堅実な雑務用HANOIはコツコツとした努力をつみかさねた。歌姫の「うわっ……」というシンプルなドン引きなどを受けながら、ナナシは必死にサインを集めた。ジョルジュ、シンディ、ノロイ、ローランドときて、……アダムスは五体目のHANOIだった。
 これで、ちょうど半数を満たす。
 実のところ、アダムスの性格からいって、了承を得るのはそう難しいことではないだろうと踏んでいた。けれども、ふたを開けてみれば、アダムスはウンとは言わなかった。アダムスが、雑務用HANOIをからかうチャンスを見逃すはずがない。
「それとも何かな? コーラルと過ごした君の人生、面白いこと一つもなかったっていうのかい?」
「どういう理屈だよ?」
「いやあ。そんなんだったら、僕としても認めるわけにはいかないよね~!」
「……」
 面白いこと。
――コーラル・ブラウンと過ごす毎日は、ナナシにとって、心底、愉快なものだった。たぶん、これから先もそうだろう。
 けれども、人を笑わせるためのもんではない。
『ナナシ、みんなに会っておいで、それからよく考えてみて』
 コーラル・ブラウンはナナシに言っていた。
 ふうっと息をつくと、ナナシは椅子に腰かけた。審判はすうっと目を細めた。人ならざる布教用HANOIの瞳孔は、少しばかり時計の針に似ている。
「この前……この前さ、施設長が泊まったホテルの風呂の……」
「おお?」
「ジェットバスが……」
 ナナシは深刻に沈黙した。
「いや、やめとこ。人に話しても面白くねぇわこれ」
「おやおや!」
「面白いことな……面白いこと……あー……」
 椅子からずり落ちてすっと構え、土下座の構えを見せた雑務用HANOIを、アダムスが手のひらで制止した。
「いや、君が土下座したって僕は全然面白くないから。三回回ってワンとかもなしだよ? あるイミ面白いけど、ぜんぜん面白くないよ! 悲しくなってくるじゃないか。笑顔だよ、笑顔。みんなに笑顔になってほしいんだ!」
「じゃあ、俺にどうしろっていうんだよ」
「面白いことだってば」
「面白ぇことねぇ……」
 ナナシは困り果てた。
 困った末に、親指を消す手品をやった。コイントスをした。あんまり笑えないタイプの、ブラックジョークを一席ぶった。
 アダムスはひとしきり笑うと、ナナシを遊びに誘った。ボードゲームだった。あいにくと運が要素の多くを占めるタイプのゲームで、ナナシは敗北を喫した。けれどもこのゲームの勝敗はサインには関係ないらしく、じゃらじゃらと盤をひっくり返してコマをのけて、「じゃあもう一回ね」と言った。それからは勝ったり負けたり、……一息つくと、アダムスはまた別のゲームを持ってくるのだ。
 ずいぶん日が暮れていた。
 思ったよりも長くかかりそうなことを、ナナシは施設長に連絡する。施設長のモノマネはかなりウケた。いつのまにか、布団を並べて寝ることになった。一緒に風呂に入り、バカみたいにタオルを沈めて笑った。上等なワインを、なぜか台所でこそこそと飲んだ。
「あのさ」とナナシはいよいよ口を開いた。「これ、面白いのか?」
「僕ね、明日定期メンテなんだよね~」
 HANOI教の教祖は、困り果てたナナシを見て、ひとしきり笑ったあと、あっさりとサインをよこした。ナナシは3度それを確かめた。
「……で、どれが面白かった?」
「いやいや!」
 袖口でワインを拭った教祖は、けらけらと笑って言った。
「僕はただ、君をちょっと長く引き止めたかっただけだからさ!」

2021.07.02

back