パスタ茹でちゃった

*原作未登場キャラクターの登場

「パスタが得意です!」
 しまった。やってしまった。「ほかに質問はありますか」と面接官に聞かれた僕は、ついうっかりこんなことを口にしていた。これは全然質問ではないし、パスタが得意だからと言って、だからなんだという話だ。
「パスタが得意なの? いいね。僕もパスタって好きだよ」
 施設長は笑ってくれたけれど、もしかすると苦笑というようなものかもしれない。まともに顔が見られなくて、どういう表情で言われたのか全く分からない。
 はい、と蚊の鳴くような声になった。
 頬にじわじわと熱が集まってきた。どうしてこんなことを言ってしまったんだろうか。僕は雑務用で、ぜんぜん調理用じゃないし、これは事務の面接なのだ。ほんのちょっとパスタをゆでられたからといって、仕事ができるわけじゃない。
「……何の?」
 施設長の隣の、険しい顔のHANOIが、低い声を出した。
「す、すみません」
「ああ。いや、責めてるわけじゃなくてですね。何のパスタが得意ですか?」
「ち、チーズです!」
「チーズ、いいよねぇ」
 施設長がたぶんにこにこしていて、「ほかに」と、HANOIが言った。自分以外のHANOIたちの質問は、実際の仕事内容とか、給与とか、やりがいとか、真面目なものばかりで、こうしていいると、自分がとても場違いで、周りがデキるHANOIばかりに思える。
「お給料ですか? そんなにもらえりゃしないですね。利益あげるところじゃないんで……まあ、まっとうに払ってますけどね」
「たとえば……ナナシさんだと、どうなりますか?」
「もらってないです」
 ちょっぴり泣きそうになりながら、ぼんやり、HANOI保護センターで働きたかったなあ、と思った。

***

 まさか『合格』という通知が来たときは、何かの間違いかと思った。今もまだ、何かの間違いだと思っていた。
 それから、喜び勇んでやってきた僕は……ぐつぐつ煮える鍋を見つめて、給湯室でパスタをゆでている。
「昼飯持ってきた? 食べる当てある?」
 就職して1日目。あの険しいHANOIが、僕に昼飯を持ってきたかどうかを尋ねた。「いいえ」と答えると、それじゃあ、ついてきてと手招きされた。
「ええと?」
「パスタ。作って。得意なんでしょ?」
「ひゃいっ」
 緊張しすぎて言葉がままならない。輪ゴムで留めてある使いかけのパスタを取り出す。HANOIはキッチンタイマーを手に持っていた。
 え、もしかして、ゆで時間を間違ったら怒られるんだろうか? クビだったら、怖い。
「な、何人前ですか……」
「あ、ついでに俺の分も作ってくれる?」
「は、はい!」
「じゃ、とりあえず二人前。なんでもいいよ。冷蔵庫にあるの、使って」
 そろそろと人の家の冷蔵庫を開ける。
 保護施設の休憩室の冷蔵庫の中身を見て、玉ねぎとベーコンとトマトのパスタにすることにする。
 一番得意だ。けれども、あまりに緊張しすぎて、手際は良いとは言えなかった。
 タマネギは不揃いで、パスタは鍋の縁で少しこげてしまった。大口をたたいてこのくらいかと思われているんだろうか。そう思ってHANOIを見上げると、別に面白くもないような顔をしている。
「いや、別にパスタでとったわけじゃないから。いいよ、失敗しても……」
「今、7分」、と、キッチンタイマーは普通にゆで時間を教えてくれるために使われた。

 まあまあの出来のパスタを、ナナシさんは、文句も言わずに食べている。顔色を窺うと、ちらっと顔をあげた。
「美味いよ。いいんじゃない? ごちそうさん」
「あの、ホントはもっとできるんですけど。ちょっと失敗しちゃって……」
「いいよ、トマト入ってるから」
 トマト好きなんですか、と、おっかないHANOIにはじめて親近感を覚えた。相変わらず、目の前のHANOIは生まれてから一度も笑ったことのないような仏頂面をしている。
「もうちょっとほんとはバシャバシャじゃないんですけど。ほんとは……」
「まあ、慣れてないとそんなもんだろ。急に言ったし」
「そうですか……」
 ここでガツンと何か降ってくるのかと思っていたので、正直また騙されたんじゃないかという気持ちがある。
「そういえば、どうしてチーズパスタじゃないの?」
「え?」
「材料あったと思うけど、冷蔵庫に」
「あ、えっと。僕、えっと、おやつが。ここに来た時、チーズ……チーズケーキだったので……施設長が、チーズ好きなんじゃないかなって。だからチーズって」
 はじめてこの場所に来たとき、僕はやっぱりうつむいていた。面接のときじゃなくて、面談の時。言葉がつっかえてつっかえて、それでも施設長は待ってくれた。だから、施設長の顔よりも声と皿の青い模様をよく覚えている。そのとき食べたのはベイクドチーズケーキ。少しふちのこげたケーキは、とても美味しかった。
「当たり」
「お好きなんですか?」
「そう」
「あの、それでとったとかじゃ、ないですよね」
「まさか。ちゃんと見てますよぉ……」
「ナナシ、なんか良いにおいがするんだけど」
 噂をすれば、だった。ひょっこりと施設長が顔を覗かせる。こっちを見て、ぱあっと笑顔になる。
「あっ、パスタの子だ! 美味しそうだね」
 ……ほんとにパスタが好きなのかな?
「アンタのじゃないですよ。アンタ今日外で食べてくるんでしょ。早くいけば?」
「行くけど。もしかして、作ってもらったのかい?」
「得意って言うんで。あと昼なかったし」
「……意地悪だなあ。ねえナナシ、一口くれない?」
「……」
 ナナシさんは引き出しからプラスティックのフォークを取り出して、施設長に渡した。なんだか予測していたみたいでおかしかった。
「うん、とっても美味しい! 緊張しちゃうよね。最初はみんなそうだと思うから、ゆっくり慣れていってね」
「こんど、今度はチーズの作ります」
「ほんと!? 嬉しいなあ。僕、チーズって大好きなんだ」
 知ってますと言おうと思ったが、なんだか圧を感じたので「そうなんですね!」にした。正解だったかはわからないが、おとがめはない。
「ナナシも料理が得意なんだよ。今度食べさせてもらいなよ。それじゃあ、がんばってね! ごちそうさま」
(いい人だなあ……)
 やっぱり、ここに来れてよかった。すっと霧が晴れていくように明るい気持ちになった。僕にもわかってきたのだ。これはぜんぜん罠とかじゃなくて、単に親切で、嬉しいことが起こっているのだと。
 今度は、長く働けるような気がする。
「分かった?」
「ハイ!」
「あれがあの人の手口だから」
「ハイ! ……ハイ? 手口?」
 思わず僕は聞き返した。
「入れ込みすぎないように」
 僕はまじまじとナナシさんの顔を見た。
 さすがにプロだと、びくともしないらしい。ふんっと鼻で笑ってすませている。
「あの、ナナシさんもお料理好きなんですね」
「いや別に」
「えっ」
「ホント、別に俺料理とか……好きじゃなかったし。単に手を動かしてたらできるようになっただけっつーか。はぁ……勘弁してほしい……」
 僕は何も言わずにパスタを食べた。言葉をごくんと飲み込みながら……。

2021.04.16

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