つぶれたペットボトル

原作未登場のHANOI視点

 HANOIのストレス値は定量化されていて、人間のストレス値よりもよほど正確に測ることができるらしい。
 蓄積したエラーの数、レスポンスの速度、気分値。――それにHANOIは、なかなかうそがつけない。正直に言えと言われれば、正直に言わなくてはならないのがHANOIの性分である。一定の手順を踏めば、反応が数字になって現れるというのは、やっぱり人とHANOIの違い、なのかもしれない。
 もちろん、HANOIの人工知能はもはや人には理解し得ないほど複雑で、そんなんじゃ全然足りないんだけど。
 でも、ストレスなんて、見りゃ大体わかるじゃん? というのが清掃用HANOIたる俺の持論である。

 ごみ箱の中身をざっとビニールにあけて、口を縛ってまとめていく。今日中にこのフロア中のごみを集めて、あとは部屋を軽く掃除するのが清掃用HANOIたる俺の仕事だ。
 HANOIの保護活動がそれなりの規模になってきたころから、HANOI保護施設は外部にお掃除や、建物の管理を委託するようになった。だから、正確に言えば俺はHANOI保護施設の職員ではないのだけれども……まあ、細かいことは置いておくとして。
 ちなみに、作業着は上下に分かれた薄いピンク。俺にはちょっと可愛すぎるのだが、ピンクのぞうさんの形をした胸元のワッペンは気に入っている。
 最終的に業務委託先の候補が二つあったそうだが、施設長曰く、ナナシの推薦はこの作業着が決め手らしい。
……ピンク好きなの?
 たばこを吸うスタッフを寄越すなとか、大声を出すなとか、注文はけっこうあるけれども(不安定なHANOIのためだろう)、まあ、ここの仕事は嫌いじゃない。

 モノであり、ゴミ箱を忌避するHANOIたちからはつらい仕事と思われがちだが、俺はこの仕事がきらいではない。むしろ大変そうだねと余分に褒められるので、ちょっと得だとすら思っている。
(あ、今日はご機嫌良さそうだな)
 几帳面にラベルのはがされたペットボトルと完璧な分別。顔を見なくても、ナナシの仕事は見りゃわかる。汚れのつきそうなものは丁寧に紙ナプキンにくるまれてるし、水気が多いものはちゃんとビニール袋が二重になっている。とがったものは必ずテープで保護されていて、気の回るHANOIだなあとよく思う。
 あまりに強面がおっかないもんで、いつも怒っているように見えるらしく、ナナシに声をかけていいかどうか悩む新人HANOIも多いらしい。
 確かに無愛想だ。だが、見分け方はちゃんとあるのだ。
 ナナシは最近はつぶれるタイプのペットボトルの飲料を愛用している。こうやってきちんと上からめりめりとコンパクトにたたまれたときは機嫌が良いし、横からごしゃ、はだめってことだ。
 ね? 分かるでしょ?
 ひとのストレスは行動に出るのだ。
 まあ、だめなときだって、話しかけないとならないことなんてあるだろうし、だめでもあのHANOIは多分、仕事に手は抜かないんじゃないかと思うけどね。
 今日はめりめりと一定の圧力がかかっている。なんだか機嫌が良いな、と思ったのだが、そういえば最近はナナシのごみを見なかったから、外回りで忙しくしてたんだろう。仕事が落ち着いてきて嬉しいな、さてやるぞ、といったところか?
 ふーむ。探偵用HANOIになれるかもしれない。
 さて、あと1時間で、このフロアのすべてをやんなきゃならないものだから、俺は結構急いでいる。
 頭の中で地図を描いた。
 ひと部屋は面談が長引いているようで使用中の札がかかっていた。……使っている最中だったらやらなくていいとは言われているが、あれも、あと回しにすれば掃除ができるかもしれない。……ちょっと余計に頑張ってしまうのは、なにも清掃用HANOIだからじゃない。「いつもありがとう」と言ってくれる施設長のためだ。ごみの出し方は甘いけどね。でも、やっぱり、HANOIだって感謝されたら嬉しいし、仕事を褒められたらがんばろうって気になるのだ。
 ってわけで、施設長の執務室を先にしよう、と思うと、施設長があちらからやってきた。
「あ、いた! いつもありがとう……ごめん、これ、先にお願いできるかな?」
 差し出されたのは、ゴミの詰め込まれたビニール袋だった。
 なるほど?
 保護施設で一番機嫌が読みづらいのはナナシだというのがもっぱらの見解だが、次点は、施設長だと俺は思う。疲れてるときはこんなふうにコーヒーの缶とエナジードリンクのビンが山積みである。でも、どんなに疲れてても、施設長はちょっと呼びかけの反応が遅れるくらいだから、顔色をうかがうのは難しい。いつだって穏やかで声をあららげることはない。
「はいどーもでーす」
 俺はもちろん、了解した。ナナシがいなくて無茶をしていたのを、ナナシにバレたくないんだろう。クライアントの意向は大切だ。施設長が歩き去っていったのを確認してから俺はすかさずゴミ袋を持ったままナナシのもとへ行った。
「ナナシさん、ちょっといいですか?」
「はあ、何?」
 エレベーターの点検っていつでしたっけ? と当たり障りのない話をする。ナナシの視線は俺の持っている袋の、大量のビンを追った。ごしゃ、という音がしてナナシが手に持ったペットボトルがへっこんだ。
 あーあ、せっかく「めりめり」だったのに。
 さて、これで施設長の秘密をバラしてしまったことになるが、だって俺はただの清掃用HANOIで、何も言ってないもんな。
 俺は「仕事、頑張ってるな」というお褒めの言葉をいただいた。ナナシはぴっと自販機に1本分の支払いをあてて去っていった。スマートである。
 なんにせよ、報われる職場っていいもんだよね?

2021.08.21

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