レシピは要らない

 ナナシが料理を作るたび、監察官は飽きもせずに褒めそやす。とくにキノコのリゾットはひときわにウケがよかった。どんな料理を作っても美味しいよ、とは言うものの、減りが早いのだ。
 せわしなくスプーンを動かし、大半を平らげ、ようやく皿の底が見えてきたところで、監察官は決まってこういうのだった。
「ねぇ、ナナシ、リゾットってどうやってつくるの?」
 それが、食べている最中ではなく、思い出したように言うものだから、食べてしまったぶんのリゾットを取り戻そうとしているかのようでおかしかった。
 ナナシは決まってそっぽを向いて答える。
「黙秘します」
 幾度となく調整を重ねて編み出したレシピ。
 たぶん、こいつが自分の遺言になるだろうな、と、ナナシは思っている。

***

「どうせ、どうせ、監察官は仕事だから、ノロイたちに親切にしてくれているのだ!」
 監察官の上着にひっついたノロイを、ミラが「こらっ」と言って引きはがす。そのスキにアダムスが監察官のポケットにおもちゃのカエルを放り込んで、「うわあ!」と監察官が情けない悲鳴をあげた。またミラの雷が落ちる。
「いやっ、そんなことはないよ。ホントに……報告書を書かなくちゃならなくって……ずっとみんなといたいんだけど……」
「せめて晩ご飯くらいは一緒に食べるのだ!」
「そうデスよ! 監察官はHANOIどもに構ってるヒマなんてありマセンからね~!」
「貴様!! ふざけるのも大概にしろ!!」
 ゼロイチが煽り、こんどはローランドがキレた。
 てんやわんやだ。
 監察官がログアウトするたびにこの騒ぎではどうしようもない。
「おい、いい加減にしろよ……」
「ナナシが怒った!」
「逃げるのだ!」
 ナナシは監察官が落っことしたフリップボードを拾って手渡してやる。
「ありがとう。ほんとは僕も、ね……」
「大丈夫ですよ。わかってますから。……行ってください」
 今回は無事にログアウトできたようだ。TOWERからログアウトするコーラル・ブラウンを見送り、一息ついた。
 とっ捕まったノロイとアダムスが、ミラに説教されている。
「仕方ないでしょう、監察官は仕事なんだから!」
 やたらと言いなれてるような口ぶりで、目を閉じればやんちゃな子供のいるリビングの情景が浮かぶ。ナナシにはそういった記憶はないけれども、なんとなくの想像だ。
 平和な怒鳴り声を聞きながら、ナナシは思う。……HANOIとの交流は監察官の仕事のうちだ。愛想よく接するのも、ぜんぶ、カネをもらってやっている。
 よく考えてみれば当たり前だが、すっかり忘れていたことだ。
 コーラル・ブラウンの親切は、監察官としての〝役割〟だ。仕事をしているナナシが、口答えをしてはいけないのと同じようなことだ。
 そう考えると、なんだか、ものすごく「は?」という気持ちになった。
 別に仕事だからといって、何が変わるということはない。娯楽施設を見渡せば、ひどい監察官はいくらでもいる。HANOIを無条件に人の言うことを聞く道具だと思っているような連中は。……それがフツウなのかもしれないが……。
 そういえば、結構なカネをもらってるのだ。別に、無償で働けと言いたいわけでもない。でも、自主的に来るべきだ。できれば好き好んで……。
 ほんのちょっぴりログアウトに失敗すれば良いのに、なんて考えが頭をよぎったのは否定しない。思っただけだ。内心だけはいつも自由だ。
 並の監察官だったら、ログアウトに失敗したとなれば血相を抱えて騒ぎ立てることだろうし、職務を放棄したっておかしくもないのに。

「みんな、おはよう!」
 今日も飽きもせずにコーラル・ブラウンがやってくる。ぐだっと気を抜いていたゼロイチが不可解な顔をした。
「……アレ? 監察官サマ。今日はオヤスミじゃないデスか?」
「ええ!? あ、ほんとだ!? どっひゃー、気が付かなかった……」
「いやだなー!」
 なんと、監察官は休日出勤してしまったらしい。
「アンタどんだけ抜けてるんですか」
 それなら時間はあるんでしょう? ……喉まで出かかった言葉を、ぐっとこらえて、ナナシは「帰って寝たら?」と言ってやった。現実世界のことはしらないが、ずいぶんな働き方をしていることは察しが付いていた。
「ええ……でも来ちゃったから……ほら」
「突然来るもんだから、アンタの分の飯ないですよ」
 嘘だった。そんなこともあろうかと、アサリの砂抜きをしていたのだった。

 今日はオフの日のはずの監察官は、HANOIたちに引っ張りだこだった。ノロイとアダムスにはさまれて、慣れないゲームをして(結構上手だ)、シンディと握手会の練習をこなす。
 勉強中のキャシーのクッションとなり、ミラとジョルジュと一緒にハンバーグのためのソースを煮詰めて、メリーティカの焼いたケーキを食べた。
「Monsieur……。激動に揺さぶられるお前には、羽を休めることを望むが……時間というケーキを分けてくれるのならば、語らいの時間を持とう」
 ローランドとチェスをして、クレヨンとダーツ。監察官は、スタンプラリーのようにめまぐるしく休日出勤をこなしていった。
「俺はいいですよ、さいごで」とナナシは言ったが、そうすると、監察官の端数をせしめることができるからだった。
 いつもであれば仕事の大詰めということで、ちゃっかり効率化を極めていてそのぶん過ごす時間は長くなっている。

「わー! すっごくおいしい!」
 時給が発生しないタイプの誉め言葉に、ナナシはとても満足する。
「なかなかのもんでしょう、俺の料理の腕も?」
「うん。ナナシは本当に料理が上手だね!」
「褒めても何も出ませんよ? でも、リクエストはききます」
 練習したんすよ、と、ナナシは思った。少しずつ努力して、手伝いもこなせるようになって、そうすると隣に置いてくれる理由ができる。ここから出てしまえば、無価値になるものだが、少なくとも今は役に立つ。
「うーん、ボンゴレも好きなんだけど、またアレが食べたいなあ……」
「リゾットですか?」
 そう、と監察官は善良な笑みを浮かべる。
「一度ね、家で作ったけど、……いや、作ろうとしたんだけど。全然おいしくなかったよ。芯が残ってて、ちょっと水っぽくてさ」
 それでまた、いつものお決まりの質問が来る。
「ねぇ、ナナシ、リゾットってどうやってつくるの?」
「教えてあげません。作ってはあげますけど」
 そうすれば監察官は自分のところにやってくる用事が出来るはずだった。
「ナナシ、いつもありがとう」
「……っていうか、帰らなくていいんですか? ホントに」
「帰っても一人だし、あんまり楽しくないんだよ」
「……それ、かなり問題発言だと思いますけど……」
 とはいえ、ナナシはずいぶん満足していた。それじゃあ、今は楽しいんですね。
「リゾットの話してたら、あれが食べたくなってきちゃったよ。……あーあ、今日はご飯ものを買って帰ろうかなあ」
「……腹いっぱいになってすぐ飯の心配ですか?」
 急に現実に引き戻された。
……しょせん、ここはバーチャルの世界だ。
 ナナシがどれほどここで腕を振るったって、真実、監察官の腹を満たすことはできないのだった。
「まあ、悪いことばっかりじゃないよね。お腹いっぱいにはならないけど、ケーキでも何でも食べ放題だし……」
「お皿洗いくらいは僕がやるよ!」とうるさい監察官を押しのけ、皿をせしめたナナシは、監察官と一緒に働いているところを想像してみた。
 この人は仕事は、多分、できるけれども……人が良すぎて仕事を押し付けられるタイプだろう。HANOIである自分もせいぜいこき使われているに違いない。ゼロイチに似た上司はとっとと帰ってしまっていて、気が付いたら遅くまで残っているのが自分たちだけになって……。
 ナナシが、「アンタもそろそろ帰って寝たら」と言う。そうすると監察官は「やることないし」と言った。嫁さんに悪いな、なんて思うだろうか。いや、この人結婚できるのか?
 自分が連れまわしているせいかもな、などと勝手なことを考えながら、「あ、あれ。あそこ寄らない?」と、適当に夜もやってるファミレスに入ることになって、なし崩しに一緒に飯を食べることになる。たまにはアンタのこと話してくださいよ、なんて言って酒を勧めたら、そうかなあ、いいのかなあ、と言い始めて、酒をあおるから、家まで安全に送っていくのはいつもナナシになるのだ。
 そんなことを考えながら調理に使った白ワインの残りを出したら、コーラルは自然にコップを空っぽにしていた。
「……アンタそんなんでやってけるんですか?」
「うーん、だめかも」
 その答えに、なぜか、ナナシはものすごく満足してしまった。

***

 平穏というのは、ずいぶんあっけなく終わってしまうものだ。
 いや、もうずいぶん前から予兆はあったけれど、終わりを自覚するのがいやだったので、ひび割れにわざと目をつむっていただけなのかもしれない。
 第二の塔を攻略しおえてからというもの、TOWERでの日常は崩壊していった。
「みんな、おはよう」と言って起きてくる監察官は、ちょっと疲れているのを除いたらごくごくいつも通りに見える。
 完璧にログアウトができなくなって、監察官は現実に帰れなくなった。
(そろそろか)
 ナナシは、ここから出たら多分もう二度と作ることはないだろうな、と思いながら終末のつもりでリゾットを煮た。世界が終わるってのに、なにやってんだろうな、と思いながら。いつもの美味しいよ、の声を待ってから、ポケットを探って紙片を取り出した。
「どうしたの?」
「監察官、これ、……リゾットの作り方です。多分、アンタでも大丈夫だと思いますけど。ま、せいぜい暗記してください」
「あ、それはもう大丈夫!」
「……あ?」
 ポカンとしたナナシとメモを置きっぱなしにして、監察官は「よし!」と言って、とっととどこかに行ってしまう。
 受け取られそこねた遺言がぽつんと佇んでいる。

2021.07.04

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