お留守番できるかな?

 メリーティカ:愛玩用としての運用はしません。×大きな声
 クレヨン:喋ることが出来ません。絵本の読み聞かせが好きです。
 ナナシ:我慢強いです。ムリしがちです。
 
 コーラル・ブラウンの家に訪問する前に、育児用HANOIは三体のHANOIの注意事項を頭に入れていた。
 育児のほかにも、ペットの世話とか、ちょっとしたケガのときの身の回りの世話だとか、そういうときに駆り出されることはままあるが、HANOI相手の子守りとは、少し変わった依頼である。
 クライアントからは「急に入院することになったので、保護したHANOIたちの当面の世話をお願いします」、とだけ聞かされている。
 たいてい、HANOIというものは自立して生活できるものである。それも、3体とは。なにやら事情がありそうだが、それはそれとして、仕事なら全力を尽くすまでだ。
 家政婦協会から派遣されてきた育児用HANOIは、コーラル・ブラウンの自宅のチャイムを鳴らす。
 ピンク色の髪のHANOI……たぶん、ナナシというのだろう。彼はチェーンロックを外さず、「どちらさまですか?」と尋ねる。
 三体は相談した。インターフォンの音にぴゅーっと家の奥に引っ込んだクレヨンは、ちょっと悩んでいたが、両手で大きく×をつくった。
 三体は心に傷を負っていて、コーラル以外の世間には依然として用心深かったのであった。
「結構です」
「いや、そういうわけにも……雇い主にも〝エンリョするだろうけれども、助けが必要だろうから〟って……」
「大丈夫です。クレヨンもそう言ってますので」
 ということで、雇われ育児用は、泣きそうになりながら雇い主に電話したが、あいにくコーラル・ブラウン氏は応答しなかった。
「……あの、ブラウンさんは元気だと思いますよ……一応」
「……」
 名前を出した途端、「少々お待ちください」といわれた。まるで合言葉みたいに。ひそひそ話す声がした。ガチャっと鍵が外れる音がして、扉が開いた。
「……茶でも飲んでけば……」
……どっちかといえば、茶を出しに来たのだった。

 たしかに、問題のある家だった。
 クレヨンとティカはそれぞれ、ぶかぶかのシャツとズボンを着ている。体育座りで、服が乾くのを待っていた。ナナシは一応、家主の着替えをまともに着れていたが、それでも少しぶかぶかだった。袖をまくっている。
 もともとの服は、一着しかもっていないという。着の身着のままやってきたようだ。これでは外に行くのもままならない。
『きがえ』と、育児用HANOIは買い出しリストに書き加えた。
 廊下には、几帳面にタオルケットがたたんであって、すかさずクレヨンが図解したところによると、どうやらこれはナナシのお布団らしかった。きのうは、メリーティカとクレヨンがベッドを使っているため、ナナシが廊下で寝たそうである。
「でも、ナナシに悪いよね。だから、ティカたちね、今日から、交代で寝ることにしようと思っているのよ。そうしたら、ベッドは一つでいいし……」
「いいよ。屋根があるだろ」
 メリーティカとクレヨンの二人は、掛け布団が足りなくてシーツをかぶっているらしい。
 育児用HANOIは天を仰いだ。
 ブラウンさん、お宅のHANOI、家の中で遭難してます。
 
 金はあっても、調達が難しいようなのである。
 ただ、三人は思った以上に家事が上手だった。いちばん危なっかしいとみていたクレヨンでさえ、洗濯の仕方は心得ていた。戸惑っていたのは洗濯機の使い方くらい。とりあえず、必要な物資を補充すると、洗濯・掃除・炊事のサイクルが正しく回り始めた。
 共同生活についても問題ないようだった。
 幼児の世話よりかラクである。目を離してもすぐ死んだりしない……はず。
 手を洗ったクレヨンにコンセントに濡れた手で触らないように言うと、大きく頷いて、『もうしない』と言われた。
 もう?
 いや、でも、まあ、言うことを聞く分、悪ガキよりは何倍も楽だ。
 手が空いたので、育児用HANOIはタブレットで『今日のれんらくちょう』を記入している。『ナナシくんがろうかでホームレス生活をしています』。……じろりとにらまれた気がするが、本当のことなのでしょうがない。
 しばらくすると、ブブブブ、とスマートフォンに着信があった。
「あ、もしもし、ブラ……」
 着信音を聞きつけて、三人が素早く寄ってきていた。台所で食器を洗っていたナナシも、部屋の隅っこで読書をしていたメリーティカも、お昼寝をしていたクレヨンも、それはもう、ものすごい素早さで飛んできた。
『! !!』
 クレヨンがぎゅうぎゅうとほっぺを押し付けてくる。メリーティカは、髪の毛を耳にかけると、隣から可愛らしくのぞきこんでくる。HANOIの群れから、少し離れたところでにらみをきかせているナナシも、着信の「コーラル・ブラウン」を見つめていた。
「はい、はい、そんな感じで……はい、必要そうなものは手配しておきました」
 なんとか事務連絡を終えると、育児用HANOIは圧力に耐えきれなくなって、スマートフォンを明け渡す。
 流れるようにスピーカーフォンにされて机の真ん中に置かれた。三人にとって、ブラウンさんは共有の資産らしい。
「ごめんね。連絡手段がなかったよね。まさか買い物にも行けてないとは思わなかった……パソコン、使っていいから。買い物も、必要だと思ったら自由にしてね。外に行きたくなかったら通販でもよくて、それで、パスワードは、ええと……」
「人のことばっかりですか、アンタは?」
「あ、ナナシだ。みんな、元気?」
「元気よ」
「俺たちはうまくやってます」
「……ほんとに?」と疑わしそうな声が聞こえてきた。「遭難してない?」
「してねぇよ」
 ただの通話だから、画面に変化はないのだが……三人とも、焚き火にあたるように丸まって、コーラル・ブラウンの話を聞いている。
 この場にいない以外は良い持ち主らしい。
「コーラル、いつ帰ってくるの?」
「うーん、うーん、一週間……ぐらい……」
 後ろから「二週間です」、と毅然とした声が聞こえて、コーラル・ブラウンの納期が延びた。
『倍になった! ひどい!』
「ひどい」
「ひどい……」
「あの、それなので、あと二週間、お願いできますか……」
「大丈夫じゃないですよ、俺たちは」
「クレヨンがお仕事ずるいって。早く帰ってきて、って言ってる」
「みんな、ごめんね、急にこんなことになっちゃって。びょう……会社……いやお仕事がほんとに忙しくてね……」
「……大げさなこと言ってるけど、別に、たいしたことないんでしょ?」
「うん。大丈夫だよ。ちょっと先生が厳しくてね」
 二時間はたっぷり話した後、監察官は絵本の読み聞かせまでさせられていた。何度もやっているらしく、暗記しているようである。育児用HANOIがスマートフォンを返して貰うと、クライアントはひそひそと小さな声で言った。
「あの……ナナシに代わってもらえますか?」
 育児用HANOIはナナシを呼んだ。
「ナナシ、ちょっといい? 君だけに話したいことあるんだけど……」
 てっきり、うれしい表情をするかと思ったのだが、ナナシはその場に凍り付いた。張り詰めた表情をしている。
「話って、なんですか、監察官……」
 ナナシはベランダに出ると、ふとんの干してある柵によりかかっている。
「あっちょっと危ない危ない! ナナシ君! 身を乗り出すんじゃない、こらあーーー!」
 家事の手を止め、ぱたぱたと顔を仰いでいた育児用HANOIはうっかり育児用の声を出していた。
 柵によじ登りかけている勢いの雑務用HANOIは、返事を聞いてようやく力を抜いた。
「……あ、そう。はい、わかりました。ブラウザの観覧履歴ですね。はい……消しときます」
 死にそうな顔はすんと無表情に戻る。
「いいですよ。アンタの名誉は守ってあげます。」
「すみません……」
「はい。墓まで持ってきますから。早く帰ってこねェと、アンタのもの全部なくなりますからね」
「そんな!」
 ナナシは脅しを込めてからスマートフォンの通話を切って、長い、長いため息をついた。

***

「ナナシ、ラズベリーパイって何だと思う?」
「は? 何?」
 メリーティカが首をかしげた。
「なんかね、ラズベリーパイ財団? っていうところからの、納品書があったんだけど……」
 メリーティカの持っている書類には、確かにラズベリーパイ財団と書いてあった。後、何か可愛らしいフルーツのロゴがついている。
 ……ぜったいにいかがわしいやつだとナナシは思った。
「まあまて、ティカ。あれだろ。……大学のさ……」
 顔に出さないように努めながら、ナナシはさりげなく箱をとりあげた。
『! おやつ?』
「クレヨン、おやつじゃない。卒業生の後援会的な……」
「……そうなの?」
「いいから触るなって。俺が始末しておくから」
 食べたい食べたいとはねまわるクレヨンをかわし、パソコンでググったナナシは、思わず肩の力を抜いた。
 ラズベリーパイとは、教育目的で開発された安価なコンピュータである。
(紛らわしいもの置いておくなよ……)
 ナナシはよくわからない基板をにらみつけた。

2021.06.27

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