お留守番できるかな?

 育児用HANOIは、コーラル・ブラウンの自宅を訪れるときは、「ブラウンさんから派遣されてきました」と言うことにしている。そのほうが、なんていうか、名乗るよりも話が早かった。
 それでも2、3日もすれば顔パスくらいにはなった。目つきの悪い雑務用HANOIが、用心深くドアを開け、「どうぞ」と言って、育児用を通した。誰かに追われてませんよね、とでも言うように、後ろを確認すると、扉を閉めてチェーンロックをかけた。
 防犯はばっちりらしいです、ブラウンさん。
 ブラウンさんのところから来ました、といっても、この部屋もブラウンさんの部屋なのだが、いま住んでいるのは3体のHANOIたちだ。持ち主のブラウン氏は、激務で体をぶっ壊したそうで、もっぱら入院中である。
 世の中にはそんな働きアリみたいな人間もいるものだなあ、と育児用は思う。
 育児用HANOIは、飽きるほどそんなご家庭を見てきたものである。廊下にはお急ぎ便で届いたマットレスがたたんであって、ナナシは、少しばかり人間的な暮らしを取り戻したようだった。
(それで、えーと、着替えとカミソリと……)
 頼まれた品物を探すためにリストをなぞっていると、クレヨンがぴょこんと荷物に体当たりした。
『!』
「あっ」
 とりたてて痛くはないけれども、預かってきた洗濯物がフローリングに散らばってしまった。そのまま、クレヨンがずざあと洗濯物を壁に押しやってしまった。
「あれ? これ、コーラルの服ね……」
「……会ったんですか……。監察官と」
 洗濯物を拾った雑務用HANOIが地獄の底みたいな声を出した。
「いや、仕事なので……」
 やましいことはないがなんだか、ものすごい罪悪感があった。

 3人はぬけがらを囲んでジッと黙っている。洗濯物の中には下着もあるのでいたたまれない。どうやら、彼らを差し置いてコーラル・ブラウンの見舞いに行ったのがまずかったようだ。
 クレヨンがあっという間に陣地を構築し、メリーティカが分厚い本を床に広げていた。唯一止めてくれそうなナナシですら、実質容認の構えだった。
「あのね、それ、洗濯して持っていかないとならないんだけど……」
「大丈夫」
『だいじょうぶ』
「……これは俺たちが処理するんで」
「気にしないで?」
「いや、そういうわけにも……」
「タオルと着替えですね」
 ナナシにおつかいメモを取り上げられ、勝手にお見舞いセットをつくられている。
 ナナシは、もうすでにこの空間を掌握しつつあるらしく、器用にクローゼットや引き出しを往復して、必要なものを見繕っていた。というか、「あれもいるならこれもいるだろ」と、ハンガーだとか、必要そうなものを勝手に足しつつ、与えられた仕事以上に頑張っているようである。……雑務用HANOIというのは優秀だ。
「つーか、これ、今から洗濯するってことは返しに行くんですよね?」
「どうしよう、このお洋服じゃ会えないわ……」
 育児用は、荷物を届けるのは次に行くときでいいか、と思っていたのだが、3人の中では、もうすっかり今日会うことは決まってるようだった。

 外出の目的ができたことで、3人は服を買うことに前向きになったようだった。
 ナナシが真っ先にコンビニに立ち寄りたがり、ニット帽とサングラスを買った。赤い目を隠すと、ピンク色の髪の毛をすっぽり覆いつくす。
 そのほうが怪しくないだろうか?
 ショッピングモールにやってくると、メリーティカとクレヨンはわかりやすく感嘆した。
 息をのみ、人ごみに圧倒されて動かなくなったので、とりあえず壁の方に押しやった。
 目的のフロアにたどり着くまでも苦労を要した。クレヨンが気がつくと逆向きのエスカレーターで降りそうになっていた。衣料品売り場までの階段を数えて、たどり着いたときはようやく一仕事したような気持ちになった。
 クレヨンが放り出してしまった服を棚に戻していると、ナナシはもうすでに服を選び終えていた。
「これとこれは却下ですね」
「は?」
「少なくとも極端に安いのはやめろってブラウンさんが言ってました。選び直してください」
 その安いやつはしわになるのでお勧めしません、と理由を付け加えると、「変わらねえだろ」と、ぶつぶつと文句を言いながらもナナシは素直に選びなおしに行った。
 ……ついでに、ブラウンさんの分の服も補充する気らしく、オーバーサイズのシャツを買ってきた。曰く、「あのシャツはもう死んでる」とのことである。それについては育児用も同意見だった。
 けれども、自分の分の服は明らかに量が足りなかったので、あと3着は上下をそろえるように言うと、やる気なく同じような形のシャツを持ってきた。……実用一辺倒。ファッションはあまり好きではないようだ。
 一方で、クレヨンとメリーティカは時間こそかかっているものの、それなりに順調そうだった。
 クレヨンはオレンジ色のオーバーオールで、メリーティカは空色のワンピースにしたらしい。それから普段着が三着、パジャマが一着。ちゃっかり、お揃いの髪飾りを買っている。若干予算オーバーな気もするが、育児用はまあ、自分のお金じゃないしな、と思っておくことにした。
 ただ、ゼロからの生活にしては下着類が足りなかったので2度ほどリテイクを出す。合間を見て経過報告を書いた。

***

「大分荷物が増えたな……」
 家に帰ってきて、ちょきちょきとタグを切っていく。
 ナナシとクレヨンの古い服は、もうボロボロだった。ナナシはためらいなくハサミを入れた。クレヨンは、ちょっと迷ったようだったが、それを見て同じようにした。
 なんだかきょうだいみたいだった。
「クレヨン、言ってなかったけどさ」
『?』
「監察官、病院にいるんだよ。入院してて……」
 クレヨンの筆記の手が止まる。けれども顔をあげると笑顔だった。むりするな、と言うとぽろぽろ泣き出す。育児用はそっとタグの細かい文字列に興味があるふりをした。

 バスと電車を乗り継いで数時間。結構遠いのだが、と言ったが、「大丈夫です」と返されて諦めた。
 時刻はすでに夕暮れ時、病室の窓の下で手を振ると、読書をしていたブラウンさんが身を乗り出す。
 すると、おそろしいほどのすばしっこさで、クレヨンが木に駆け上っていって、枝に乗ると豪快にジャンプした。「うわーっ!」という悲鳴をあげて、窓の向こう側に消えていく。ナナシとメリーティカは、もうその場にはいなくて、病室へと向かっていた。
 顔を見れた時間は10分くらいなものだったが、それでも3人とも嬉しそうだった。
「また明日きます」
「え、また明日!?」
 ……ベッドの下にしがみついて隠れようとしたクレヨンを引っ張り出すのにずいぶん苦労した。

2021.06.27

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