お留守番できるかな?

「ナナシ、これ、お守りね」
 お守りを開けるのはとっても罰当たりなのだぞ。
 TOWERにいたころ、ノロイが言っていた。
 ちっぽけな袋の中には、なんでも、神様がいらっしゃるそうだ。
……へえ。
 あいにくナナシは、神というのを信じていなかった。監察官から渡されたお守りをこっそり開けて、入ってるちっぽけな紙片を見て、なんだ、つまらないなと思ったものだ。
 布教用が抜かすように、やっぱり、どこにも神なんていない。

『ブラウンさん、トラブル続きです』
 育児用HANOIからの〝れんらくちょう〟に記されている文字列を、コーラルは入院着のまま、ベッドの上で追っていた。
『1件目。
買い出しの時に、メリーティカちゃんが声をかけられました。
ナンパっぽかったです。
何事もなかったんですけれど、防犯ブザーを買いました』
「うーん……そっか、心配だな」
 愛玩用という立場は、やはり重い。所有者をちらつかせれば大それたことにはならないことが多いが、……それだけで絡んでくる人間もいるのだ。
 聡い子だから、ホイホイ誰かについて行ったりだとか、そうそうなにかあることはないだろうけれども、やっぱり心配だ。
『2件目。
遊びに行ったクレヨンちゃんが、大金を持って帰ってきました』
「はえ……」
 コーラルは思わずメガネをかけ直した。
『大道芸をして貰ったそうです。
悪いことはしていないとは思うんですが、
たぶん、許可がないと、怒られると思いますから。
とりあえず、お金を受け取るのはダメだと言っておきました』
 うっかりものを壊してしまったりだとか、そういう覚悟はしていたのだが、まさか、収支をプラスにしてくるとは思わなかった。
(クレヨンったら、すごいなあ……)
『3件目。
ナナシ君がロクなご飯を食べません』
「うーーーー……ん」
……これは心当たりがある。
「ブラウンさん」と看護師さんに呼ばれて、コーラルはスマートフォンをしまった。文字を読むかわりに、深く物思いに沈んだ。

***

「はい」
 今日は、育児用HANOIのインターフォンに応えて玄関に出たのはメリーティカだった。一人になるなとの言いつけを守って、クレヨンと手をつないでいる。
 ナナシくんは部屋から出てこない……と言いたいところなのだが、あいにく、ブラウンさんの自宅には、ひきこもるためのスペースがない。ありとあらゆる存在を無視しながら、家中をピカピカに磨き上げていた。
 きのうのお見舞いの帰り際、監察官から渡された封筒。
 しっかり糊付けされていたのだが、ナナシは信心深くなかったので、帰ってからぺろりと『お守り』の中身を見てしまった。
 それで、ナナシは大荒れに荒れた。
 封筒の中身は、いざというときの遺言状だったものだから。
 コーラル・ブラウンが死亡した場合、3人に定期的な援助をすること、という条件のついたものだった。コーラル亡きあと、3人は名前も知らない誰かに譲り渡されることになっていた。
「何が納得いかないの?」
「……別に」
 シンクの掃除はすでに終えてしまって、あとはひたすら床掃除をしている。ティカに見下ろされながら、どうせいつかは狭すぎて引っ越す床のために、ナナシは熱心にぞうきんを絞っていた。
 答えながらも、ナナシは、どうして自分が怒っているのか、肝心の理由もよく分かってなかった。
 少なくともコーラル・ブラウンがいてくれれば、こんな風には思わなかった。
「ねぇナナシ。コーラルがいなくなったとしたらね。……そんなこと、考えたくないけど、……でも、わたし、もう元の場所には戻りたくないよ……」
「じゃあティカに全部やるよ」
「……」
「……わかってるよ。俺の意思なんて全然関係ないんだろ? いいよ、それで」
 しょせん、HANOIはモノだった。書類のどこにもナナシの許可を得るところはない。あったのは一方的な宣言ばかりで、サインはコーラル・ブラウンのものだけ。それを受け入れるしかないということだ。
「だから、開けない方が良かったのに」

***

 明日もぜったいコーラルのお見舞いに行こうね、なんて約束をしていたはずだったが、今日に限ってはナナシが出かけるそぶりをみせなかった。クレヨンがうろうろしていたが、時間ばかりが過ぎていって、なんとなくその計画はなくなったんだな、という空気になった。そうなると二人も無理に行こうとは言い出さないようである。
 でもまあ、毎日行く距離でもないし、と、育児用HANOIは内心ほっとしていた。毎日行く用事もない。
 ナナシは、監察官の電話にも出なかったので、メリーティカとクレヨンは二人でコーラルの声を半分こした。
 コーラルは呆れて曰く、「まあ、ナナシが悪いんじゃない……?」だそうである。

 ナナシは再び家の中で遭難しはじめていた。掃除のために片付けた寝床を再び広げる気にもならなかった。マットレスにもたれかかって懐を探った。ガムもなにもなかった。
――悪いようにはされないとは思う。人に譲るとかいっても、それは書類上での話だ。書類をよく読んでみれば、細かい条件がつらつら書いてあって、最大限、3人の意思が尊重されるようになっている。
 誰かがぽんぽんと肩を叩いた。クレヨンだった。ナナシが顔を上げるとそこは路地裏ではなく、清潔な廊下だった。
「クレヨン」
『おかねもらえるうれしくないよね』
 クレヨンは何か書いてはひっきりなしに打ち消す。
「ないよな」
『コーラル、むりするしたからぐあいわるくした?』
「……そうだな」
『クレヨン』
「だめだ、戻るなよ」
 クレヨンがぴたりと手を止める。こくんと大きく頷いた。
「わかってるよ、正しくないってことくらい。監察官は正しい。俺が間違ってる。
生きていくためにはカネが必要だろ。カネさえあればなんとかなるのにって思ってたことだってあった。でも、今は全然いらねぇんだよ……」
『ナナシももどるしないで。だめ』
「しない」
『コーラルいないから』
「いないから。そうだな……」
 クレヨンは頷いて手を引っ張った。
『いく』
「は?」
 クレヨンは画用紙の一枚を破るとリビングの机の上に置いた。
『会いにいってきます!』

 外に出て、辺りを確かめる。クレヨンは首からさげた鍵でガチャリと施錠した。メリーティカは、たぶんもう寝ている。
「クレヨン、いいよ」
『?』
「やっぱ、無駄遣いはできねぇよ。あの人の金だし、気持ちだけで……」
 クレヨンはふるふると首を振った。
 ナナシが「どこ行くんだよ……」と呆れてついて行くと、公園の隅。季節外れで何も埋まってない花壇にたどり着いた。
 クレヨンは地面を掘り返すと、布で包まれた塊を出してきた。大道芸で稼いだ金の残りをここに貯金していたらしい。
「え、何? ……監察官おごってくれんの?」
 クレヨンの力は強かった。
 今から行って、すぐに帰ればぎりぎり終電に間に合う、……かもしれない。面会時間に会うのは無理だ。できてせいぜい窓から覗き見、それもカーテンが掛かってるだろうから……。行ったところでなにができるわけでもなさそうだった。
 クレヨンはそんなのおかまいなしらしかった。
 暗いと、クレヨンとの会話は相当に難しくなった。
 たぶん、止めようと思えばあっさり止めるべきだし、それが自分の役割なんじゃないだろうかともナナシは思った。
 わざわざ危険を冒している。
 誘拐されるかもしれないし、車にはねられるかも……。野良犬の餌にだってなりかねない。とにかく馬鹿なことをしている。
「バスはないけど、歩いて帰るか。タクシー拾ってもいいし」
 止めないとならないと思いながらも、ナナシの口からは自然とそんな言葉が出ていた。
 クレヨンがうなずく。
「ティカにばれないようにあの紙は帰って回収する」
 クレヨンがうなずく。
 電車に乗った。何度か帰ろうと思ったが、地点の半分を過ぎると、もう、帰りたくなくなっていた。あーやっちまったな、こっから帰るほうがコストがかかるし、このままいけば……。バスは間に合わなかったので、ここから病院に一直線。クレヨンが反対方向に行こうとしたので首根っこを掴んで180度別の方向に配置し直す。
 警官がいたので、茂みに隠れて避ける。酔っ払いがどこかでわめいている。……本当に治安が悪かった。
「クレヨン、ここで聞いたことは忘れろよ」
 ナナシは、野良犬に追い立てられたとか、ゴミをあさったとか、正しくない思い出をぼろぼろこぼした。クレヨンが頷いたり首を傾げたりして応答する。
「……俺は自由に生きる。することもしないことも全部俺が決める。まあ、監察官が頼めば聞いてやってもいいけど。俺は、監察官が頼ってくれるならどこにでもついて行くし、監察官がいないならどこにも行ってやらない」
 ようやく見慣れた病院が見えてきた。クレヨンがしゃかしゃかと木に登り、ナナシも遅れてそれにならった。
 クレヨンが枝の先に這い寄って行って、枝がぐらっとたわんだ。
――みえない。
「そうだな」
 でも、それでも別に良かったのだった。
 カーテンの向こうで、ボンヤリ動いてる影があった。何かを読んでいて、咳をして、身体を起こして、ちょっと背を伸ばしてぼんやりしている。たぶん息をしていて、伸びて……丸い影がそんな動作を繰り返す。
『監察官、元気かな』
「元気だといいな」
 入院している相手に言うことでもないのだが、なんとなく意味は通じたのでそのままにした。
 そのうち、電気が消えて真っ暗になった。
 早いうちに帰る予定だったけれど、二人は、ほんとうに、心の底から帰りたくなくなってしまった。
 そうしているうちに、終電がなくなり、色々と実現不可能な時間になった。
「まいったな」
 クレヨンがうなずく。
「ティカに殺される」
 クレヨンがうなずく。
 だからもうここでじっとしているのが一番安全で理にかなっている。……しかたがないので、何も無いところをずっと見ていることにした。
 ただ向こうに監察官がいるだけの空間を。

2021.06.27

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