男爵の妻は男爵夫人。なら、女男爵の夫は何と呼べばいい?


※このエピソードはフィクションです。

一通のメール

ある日、迷惑メールフォルダに1通のメールが紛れ込んでいることに気が付きました。

件名: 【重要】シーランド公国からの叙勲のお知らせ

頻子様

心よりおめでとうございます!
この度は、栄誉を称えまして、シーランド公国より爵位を贈らせていただきます。
つきましては手数料としまして至急99$を……


……。

爵位か……。
下手に爵位なんか手に入れた日には断罪されたり追放されたり、忙しくなることと思いますが(参考文献:バナー広告)、それでも、高い地位というのは魅力的ではあります。

翼がもらえないのなら、せめて富とか名誉は確保しておきたいものではありませんか。

シーランド公国とは?

シーランド公国は、北海の南端に位置するミクロネーションです。イギリスが海上に放棄した要塞を領土とし、国家を自称しています。領土が全焼したり(狭いのですぐ全焼の判定になる)、傭兵に占拠されてクーデターが起こったりしているようです。
なかなかブッソウではありますが、とりあえず、死人は出ていないようですし、独立も承認もホンキではなさそうなので、ジョークですみそうです。たぶん。

シーランド公国の爵位は、お金で買える爵位として有名です。

男爵/男爵夫人


ん?

男爵夫人? 女男爵?

男爵夫人は「男爵の妻」であって、男爵の爵位を持った女性ではないのではないだろうか?

首をひねりながらクリックすると、購入ページでは「男爵/女男爵」となっていました。
(シーランド公国のホームページは結構、テキトーです)


で、男爵夫人なのか、女男爵なのか?

これは由々しき問題です。
爵位を持っているのが自分なのか、配偶者かどうかで、ジャンルが変わってくるからです。断罪か追放か愛されものか……。

このややこしさは、日本語には正確に爵位の差分に対応する訳がないことと、イギリスの爵位制度の複雑さに起因しているようです。

気になったので少し調べてみました。

詳しい人からするとお叱りを受けるかもしれませんが、たまの調べもの学習であると思ってお付き合いください。
(ご指摘はお待ちしております!)

イギリスの爵位

  • 公爵(Duke)

  • 侯爵(Marquess)

  • 伯爵(Earl)

  • 子爵(Viscount)

  • 男爵(Baron)*一代限りの爵位


イングランドの爵位です。
基本的には爵位は相続によって「長男」に受け継がれていきます。
長男が死亡などで相続しない場合は次男で、その次は血縁の近いところの男性です。

王室の特別オッケーがあれば、女性が爵位を継ぐこともあるようです。たとえば、特例で爵位を継ぐことを許されたヘンリエッタ・チャーチル (第2代マールバラ公)など……。

ほかは、古い家だと取り決めがなくて、女性が継ぐこともできたりするらしいです。
なんか、古いバージョンだと古すぎて修正されてないバグみたいな挙動ですね。

貴族法の改正により、女性も貴族院に入れるようになったのが1963年のこと。

いまだと女性自身も爵位をもらえることがあり、イギリス首相のマーガレット・サッチャーなどが叙勲されています。

イギリス王位継承順位については「2013年王位継承法」により、王位継承は性別によらないものとなりました。

王室の方が先におおっぴらに女性OKになるのは私の感覚では少し不思議です。

シーランド公国の爵位

シーランド公国では、以下の称号(タイトル)が販売されています。


  • 伯爵/伯爵夫人(Count/Countess)

  • 公爵/公爵夫人(Duke/Duchess)

  • ロード/レディ(Lord/Lady)

  •  注:これはイギリスだと儀礼上の呼称。
     「卿」という訳語があることが多い。

  • 男爵/男爵夫人(Baron/Baroness)

  • 騎士(Sir/Dame)

  •  注:Knighthood(騎士)と表記されている。これはイギリスだと貴族ではない。

シーランド公国には、女性の称号(title)についての説明ページがあります。

女性の爵位は、イングランドではかつては二の次に(second)されてきたと前置きしつつ、今はほとんど平等になっているとして、段落の最後にこう述べています。

At Sealand, we’re proud to offer our own official female titles.
(シーランドでは、公式な女性向けの爵位を提供できることを誇りに思っています)

口ぶりからは、たんなる「差分」であり、とくに優劣をもうけているわけではなさそうです。

なお、シーランド公国の爵位は世襲制ではありません。
受け継ぐことができないので、都度購入してください。

世襲制への問題意識とか絶対嘘だ。事務手続きがめんどくさいのと、爵位たくさん買ってほしいだけだ。

日本語の訳について

「伯爵夫人」「公爵夫人」「男爵夫人」については、訳の問題です。
「女伯爵」、「女公爵」、「女男爵」という言い回しのほうは自分自身が爵位を持っているといえそうですが、あまり一般的ではないものですね。

日本語には自身が爵位を持っているのか、区別する言葉がありません。英語だとはっきりと違う言葉の「女性ver」が存在しており……。
とはいえ男性に受け継がれていくものでしたから、ほぼ「夫が爵位を持っている」という状況で、そうなると、訳は「夫人」で間違いないわけですが、前述のように、例外的に継承してたり、今となっては自身の功績で貴族になることもできるようになったわけです。

孫引きで申し訳ありませんが、参考文献には以下のように記述されていました。

『ディブレットの正しいやり方――貴族から大統領まですべてのひとをどう呼ぶか』(一九九九年)というハンドブックによると、現在、女性の世襲貴族は女伯爵(Countess)か女男爵である。英語では、「伯爵夫人」や「男爵夫人」と区別するために、女性の持つ爵位はラテン語でsuo jure(自らの権利で)と呼ばれる。たとえば現在のエリザベス女王もsuo jure Queen of the United Kingdom of Queen Elizabeth)となる。同じQueenでも「王妃」(たとえばエリザベス女王の母、Queen Elizabeth)とは違うわけである。
『ノブレス・オブリージュ イギリスの上流階級』 p81-82


つまり、女性自身が爵位を持っている場合も、「Duchess」で問題ありません。特に、爵位を持った女性自身をはっきりとあらわすときは、「suo jure Duchess」。

おわかりいただけたかと思いますが、シーランド公国で爵位を買い求める場合、女性であれば、夫に爵位を与える必要はありません。
女性用の爵位を買えばOK。「Baroness」は必ずしも「男爵の妻」を意味しません。
女性である、というニュアンスが要らんのであれば、訳語的に「男爵」でも悪くはないと思うんですが(女性の社長を、必ずしも女社長と呼ぶ必要はないように)、ハッキリ単語が分かれてしまっている分、夫人とか女とかくっつけてるのでしょうね。

商魂たくましいシーランド公国は、バレンタインデーにはカップル向けの爵位を割引で販売しています。
一見して男女の爵位かと思ったのですが、シス・ヘテロ、すべての組み合わせがありました。
(まあ、二人分の紙を発行する手間もかからず、コスパが良いとも言えます)。

よく考えたら、夫に公爵の爵位を買ったら、妻は「公爵夫人」でいいじゃないか?
何しれっと二人分買わせようとしてるんだ、シーランド公国!

まあ、シーランドは独自の制度を儲けていて、「ご本人がお買い求めてくださいね」、という方針のようです。

逆に、じゃあ、待てよ、公爵位を自らの権利で持っている女性の夫は何と呼ばれるのか?

もし一般人のジョーンズ氏が有爵婦人と結婚したとしても、彼は一般人のジョーンズ氏のままである。
『<図説>紋章学事典』p145


み、未定義かよ……。

(おまけ)ロード、レディ?

ロードとかレディとかってなんなんだ、というのは更に混迷を極めたものであるようです。

一.イングランドだと爵位は上書きされない。一番上の称号が正式な(substantive)爵位、残りは副次的な(subsidiary)爵位となる。

つまり、えーっと、役職でいうと、「部長、課長、係長ぜんぶだけど、部長で呼ばれる」みたいな感じでしょうか。

二.長男は父親の副次的爵位を使って呼ばれる。これは正式な爵位ではないため、「儀礼上の爵位」(courtesy title)という。

長男はいずれパパの爵位をもらえるけど、パパの余ってる爵位を使って、「課長」とか呼ばれるわけですね。

で、ロードとかレイディ(レデイー)は……。

まず、レイディ・アンとレイディ・キャサリンだが、二人に「レイディ」という称号がついているのは、彼女が伯爵の娘だからである。これは前に書いた「儀礼上の称号」であり、男性の場合は「ロード」、女性は「レイディ」である。しかしこれがなかなか複雑で、爵位によっても違う。たとえば娘の場合、公爵、侯爵と伯爵の娘は「レイディ」という称号が名前の前につけられるが、子爵と男爵の娘は「ジ・オノラブル」(The Honourable)という称号になる。息子の場合、公爵、侯爵と伯爵の長男(爵位継承者)とその息子、そして公爵と侯爵の次男以下の息子には「ロード」の称号が与えられるが、伯爵の次男以下、そして子爵と男爵の息子はすべて「ジ・オノラブル」である。 『ノブレス・オブリージュ イギリスの上流階級』p23


公爵、侯爵と伯爵のお嬢さんは偉すぎるんで「レイディ」、子爵と男爵の娘は「ジ・オノラブル」。
公爵と侯爵の家の息子さんはやっぱり偉いんで「ロード」、伯爵の次男以下、そして子爵と男爵の息子はすべて「ジ・オノラブル」。
嫁に行くとレイディがつくので、騎士(ナイト)の家に嫁ぐと「レイディ」ですが、もともと公爵家のお嬢様だった場合は未亡人になってももともと持ってるのでレイディ。
ははははは。

……。
あれ、レイディって……。

お偉いさんちのご家族に付属する称号じゃないか!?
何しれっと売りに出してるんだ、シーランド公国~!

2024/02/18

『<図説>紋章学事典』スティーヴン・スレイター (著), 朝治 啓三 (監修, 翻訳)/創元社
『ノブレス・オブリージュ イギリスの上流階級』新井潤美/白水社
シーランド公国 公式ホームページ https://sealandgov.org/en-jp
最終観覧 2024/02/18