知らないキーがそこにある:キーボードを分解しよう


「愛が破壊……?」
「そうです。相手をそのままの姿にしておけないんです。どうにかして、自分を愛してくれるよう望みます。その人なりの楽しみ、その人なりの喜びをすてさせ、自分といっしょにいることによって楽しみ、自分といっしょにいることによって喜ぶことを望むんです。相手の気持ちを理解してやらずに。この点では、愛と憎悪はほとんど一緒です。いずれも、相手を変化させようと必死になることだから」

ドラゴンラージャ 第十巻 p188より

愛は破壊。この言葉は深く刻みついていてことあるごとに思い出します。愛は破壊。だからといって破壊は愛ではない。愛は破壊。だからといって破壊は愛ではない……。 デスクトップパソコンのキーボードは、分解することができます。 私は、キーボードのプルトップを引き抜くための器具を購入しました。そして注文したことを忘れていました。封筒から取り出し、じっと見つめ続けています。 パソコンにふるう適切な暴力が苦手です。 すみません、暴力というのはちょっと言い過ぎでした。苦手意識が前に出た結果、被害者面をするために暴力という言葉を用いました。ごめんなさい。 パソコンに適切な物理的な力を加えて、適切な結果を得ることがニガテです。かといって、さいわい、思いっきり、壊したことはないのですが、いやしかし、毎日、粗忽ものなので、「ねぇ、それでさ」と言って振り向いた瞬間、浮ついたカバンがパソコンのモニタを直撃。 「いって」「あ! マジごめん!」 そんな青春の欠片じみたことが、起こったりはしています。パソコンはモノなので、私も謝らず、関係にヒビが入る代わりに、悪ければ、モニタにヒビが入るだけです。もうおしまいだ。終わってしまった。なにもかもが。何も終わっていない。始まってすらいない。人生を始めなくてはいけない。ツケを払うべき時がきている。 深呼吸。 カバーをこじ開け、パソコンに深く干渉したいと思ったならば。利用する者とされる物から、整備する者と整備される物になりたいと思ったならば。 パソコンとそれ以上の関係を築くには、繊細でありながらも、絶妙な力の加減が要求されます。 「しっかりと、奥まで差し込んでください」というのは梱包材に包むがごとく、修辞学にまみれたやさしいことばで、その意味するところは、「なんか ガコッ というまで強く押し続けろ」ということであることがよくあります。バキッ、と、ガコッ、のあいだには「いい感じに」くらいの差しかない。私が上手くやればガコッになるし、失敗したらバキッてことにするだけでしょう。絶対にそうだ。世界はそういう仕組みになっているんだ。順調に被害者意識が高まってきました。プレッシャーです。かなりの。 初めてパソコンのメモリを増設しようとしたとき、すべてがおしまいになるのではないかと思いました。パソコンは起動しましたが青い画面のままで沈黙し続けているのです。ああ、……逆だった……向きが……。 ときに、パソコンは、電子機器は、プラスチックの爪が、形状だけで噛み合い、まるで釘を使わずに継手でかみ合う木材のようにがっちりと押し合い、それが正常だというのです。 頑丈であること、正常であること、可塑性があることに一縷の望みをかけ、ぐいっと押し続けるしかない。変形させるしかない。キーボードよりも私の方が強い。やってはいけないことをしている。やってはいけないことをしている。本能が私に警告します。頭がエラーを吐き続けています。やれ、と命じるのは理性のほうです。私は人間であるから。私には判断力があるから。これが安全だと知っているから。説明書にそう書いてあるから。理性によって私はやれと命じられる。己の本能を抑えつけている。 私はコの字の針金を二つ、キーにひっかけ、回し、逡巡します。これは修理よりもカギのピッキングに近い。やや犯罪的な感じがします。キーを引き抜く器具の使い方が分からずYoutubeを見、さらにいくつか関係がない動画を見ました。やり方は間違っていなかった。なら間違っているのはキーボードの方ということになる。しかしキーボードは間違わない。それじゃあぜんぶ私のせいになる。そんな。やめてほしい。それだけはほんとうに勘弁してほしい。そう思いながら、キーを真上に引っ張っています。しかし、キートップは根が生えたように動きません。ほんとうにこのキーは外れるようにできているのだろうか。このキーボードはそういうタイプではないのではないか。すべて私が間違っているのではないか。 写真を添付するのにはためらわれるほどにはみ出した灰色のホコリがこちらを責めるように見つめています。壊すかもしれない。意を決して力を籠めると、キーは宙を舞い、足元に落っこちました。 できた。 ささやかな達成感が胸に満ちていきます。 愛ゆえに、キーボードと向き合い、変えたいと願う日が来ます。キーボードというよりは、己を変える日。それが今日です。 「Jだけ……」と思って一個とるうちに、一個、また一個、いつのまにかパソコンの電源を落としてぜんぶのキーを抜いていました。まあ、途中から、これは全部やらないと気がすまないな、と思っていたのであきらめていました。外したキーは、プラスチックにすぎないので、バケツの中に入れてじゃぶじゃぶ洗います。端子とかはない。乾かせばよいはずです。本体の方は水をかけてはいけません。 一般的なキーボードのキーの数はおよそ108キーだそうです。これは水滸伝の108に対応するというのはウソです。しかし108あります。煩悩の数だけ。つまり……そう……よく見ると……「1」が二つあるのです! 二つもある! 二つも!? 1が二つもある? 別のキーを別のキーに乗せ、高さが違うキーがいびつにはまったとき、奇妙なおかしさがこみ上げてきました。前歯と奥歯のように、キーボードのキーは実は一つ一つ違う。傾斜がかかっている。この傾斜こそがよいキーボードなのかもしれない。暴力により、キーボードのことを少し理解することになります。 ともあれ、キーボードを掃除するべきです。 ほこりがこそぎ落とされていきます。何かが上手くいっている。汚れていたって別に支障はないけど、それで四年もやっていたけど、物事が順調にすすんでいる。これは、なかなかないことです。エア・ダスターの薬品臭が私の脳みそを刺激し、暖房に満ちた部屋に換気を促しました。 キーボードの基盤には、ゴシゴシとこすっても消えないサビがあり、すべてが元通りになると思っていた私は己の不明を恥じました。いつかの飲み物の水滴がこの事態を招いたのでしょう。おお、キーボードよ。お前を看取るのは私であれ。 世の中の人がどれほどにキーボードを把握しているのかわかりません。私と同程度の認識能力で、私と同じ感じのキーボードであれば、音量を増やすボタンだとか、電卓を出すボタンだとか、わけのわからないボタンがあることを知ることになるでしょう。 ふとバケツの中を見ると、〇と、◎に×を重ねたような奇妙なキーがあります。 なんだこれは。知らん。知らん奴だ。 ああ、キーボードのことを何も知らなかった。ちっとも。無変換ってなんだ。何もしませんって書いてある。ははは……。 かるたのようにキーを並べ、キーボードを完璧に閉じました。 ああ、歯医者さんにならなくて、ほんとうによかった! しかし、私が歯医者さんになったとて、己の歯を引っこ抜くことはありません。だから、隣人が私に思うのでしょう。あなたが私に思うのです。 「この人が私の歯医者さんじゃなくて、ほんとうによかった!」

2024/12/2
*noteに書いた日記を、サイトにも転載したもの。