かさをゆずりたい

 ぽっち、ぽっち、と、ひとしずくかふたしずくほどの合図をしてから、雨はざあざあとバケツをひっくり返したようになりました。みなさまもご存知の通り、雨というものは、さまざまな用途があって、ひとつには親切のきっかけでもあります。

 赤い長靴の男の子が一人、くるくると丸めた画用紙をリュックサックにさしていて、八百屋さんの軒先から、じっと空を見上げていました。
 そこに近づいてきたのが、一見は気難しそうな大人と、一見は軽薄そうに見えるお兄さんでした。ふたりは、このご時世、誘拐なんかを疑われないように細心の注意を払って、そっぽを向きながら男の子に近づき、すれ違いざまに男の子に傘を差しだしました。それで、お互いにかさをつきだすような格好になったものですから、ふたりはぎょっと身を引いて、どうぞどうぞと親切を譲り始めました。
「自分で使おうと思っていたんですよ」
「いえ、どうぞどうぞ」
 どちらも、親切な男の人です。雨に濡れた男の子にかさを差し出すというのは、非常に道徳にかなった行為ですから、内心は、二人ともかさをやりたくて仕方がありませんでした。けれどお互いにそんなきもちをわかっていたので、いかにも親切に興味がないというふうを装わなくてはなりませんでした。
「実はぼくはもう一本あるんですよ」
 青年がうそに心を痛めながら言いますと、いかつい丸メガネの大人の方はぎょっと身を引いて、負けじと言いました。
「ええ、私もなんです」
「そのうえもう一本あって、合計するとたくさんあるんです。重くって仕方がなくて」
 青年はムキになって、またうそをかさねました。
 そのやりとりはとても目線の高いところで行われていましたから、男の子は寒さで鼻をすすりながら、じっと議論の行く末を見守っていました。
「それじゃあ、かさを三本もお持ちだっていうんですか?」
「ええ、まあ。合計でね」
 どうしてかさを三本も持ち歩いているのか、聞かれたら答えられなかったでしょう。けれど、年のこうというのはなかなか侮れないもので、気難しそうな紳士ははたとハンカチを取り広げて言いました。
「今は持っていませんが、実はね、うちにはかさなんてありふれているんです」
 それで、気難しそうな男の人はハンカチを使おうとして、はっとして、そのまま男の子にハンカチをやったので、青年は心配りの細やかさというものに感じ入り、慌てて男の子にニットの帽子をかぶせてやりました。
 そんなことをやっている間に、お天気雨はとっくに晴れていました。男の子はやってきたバスに乗って、あっという間にいなくなってしまいました。
 やり場を失った親切を抱えた二人の紳士は、困り果ててお互いのかさを交換すると、互いに顔を赤らめて、その場から足早で去って行きました。

 ところで、男の子が持って行ったぼうしとハンカチは、きちんとおやごさんに乾かされてから、ちょうどよいつぼみのついた枝にひっかけてあったということです。


『かさをゆずりたい』
お題 ぐちゃぐちゃのお天気雨