クロウラーへようこそ?(前)

 ライオネルは、今日ほど自分がライオネルであることを心底後悔したことはなかった。

『ようこそ、ライオネルさん』と書かれた派手な横断幕が、村の入り口にかかっている。悪夢のような黄色とピンクのアーチのふもとで、小汚いコケ色ローブの青年が、ひらひらとお手製の三角旗を振って、通行人にひっきりなしに声をかけている。
「ひょっとして、あなたはライオネルさんですか? もしかすると? すみません、ライオネルさん?」
 その光景を見て、ライオネルは、己がいかにしてライオネルたるのか、自分の人生を回想すらしていた。名門の家に生まれ、社会にもまれ、苦労は多かったが、それなりの出世を果たし、今、そこそこの地位にいる。
「ライオネルさん! ライオネルさんですか?」
 青年は目ざとくライオネルを見つけると、否定しないのをいいことに、これでもかといわんばかりに旗を振った。ぼんやりとそれを眺めていると、それをもって、こちらをライオネルと断定したようである。
「よかった、迷っていたかと思ったんです」
 国家直属魔術部評定審査官。
 偉く仰々しい名前のそれは、たとえ魔術師連中がいけすかないにしても、ライオネルにとっては、最大限望ましいと思われる出世だった。
 ライオネルは握手を跳ねのけ、代わりに威圧するように自分の襟を弾いた。しわひとつない礼服が太陽の光を吸収して、ぐいと視線を吸い寄せる。
「国家の名の下に使わされた、魔術部評定審査官のライオネルだ。言っておくが、私は魔術師のようなインチキの類が大嫌いでね。ふざけた魔術師の巣窟などとりつぶしてやるつもりでここへやって来た。私が来た以上は、貴様らをのさばらせておくつもりはない。覚悟しておくんだな」
 青年はしげしげとライオネルを眺め、頭をひっかく。
「ライオネルさん、今までにクロウラーに訪れたことは?」
「これが初めてだが」
「じゃあ、見もしないでそんなことを言うんですか?」
「そんなもの、前評判だけで十分だ。死者多数、行方不明者もっと多数、度重なる崩落。管理の甘さ! どうせ見たところで私の考えはかわらんね」
「いーえ」
 青年はにっこり笑った。
「見たらもっとぶっ壊したくなりますよ、ライオネルさん。さあさあ。どうせなら、ぜひその決意を固めていってくださいよ。僕だってあんなじめじめした場所、まあ、なくなれとは思っておりませんが……ちょっとは風通しがよくなってもいいかなー、とは、ははは!」
 あまりの陽気さに、ライオネルは呆気にとられて何も言えなかった。
「それではクロウラーに向けて、一名様、ごあんなあい」
 青年は旗を放り投げると、酔っぱらいのようなふらふらとした足取りでやぶの中を分け進んで行った。

 もとから行くつもりだったのはまあ良いとして、なぜか腑に落ちない。
「どうしたんですか、ぼーっとして。具合でも悪いんですか?」
「……」
 青年が持った鉄の釣竿の先に、カラカラとカンテラが触れている。
 村からそれなりに外れたところに、森の入り口と思しき場所があった。『立ち入り禁止』の札を、青年がひょいと跨ぐ。ライオネルもそれに従った。
 眼前に広がっているのは手つかずのカクレインの森だ。話には聞いていたが、飲みこまれそうなほど背の高い木々の隙間。森の奥から微かに縫うようにして獣の声がする。
 先へ歩みを進める前に、ライオネルは断固として立ち止まった。
「少し気になることがある」
「いいですよね、ここ。落ち着くって言うか」
「気に入ったわけじゃない」
「はあ」
「ここに来るまでに、いくつか尋ねたが、村人には、”クロウラーなど知らない”と言われたのだが」
「あー」
 青年は腕を組んだ。交差した鉄の棒が鳴る。
「住民は見て見ぬ振りです。それがならいです。お互いに不干渉を続けています」
「見て見ぬふり? 物資はどうしている?」
「偶然にも置いてある補給品を、偶然にも貰い、搬入作業の途中でうっかり金貨を落っことすって感じでしょうか。あ。忘れていました。これをどうぞ」
「なんだ?」
 青年がライオネルに差し出したのは、趣味の悪いコケ緑色のローブだった。よく見れば、青年も同じものを着ている。肩のところに目玉のような二重丸がついていて、丁度なにかの昆虫の模様みたいだった。
 冗談じゃない。ライオネルの腕に鳥肌が立った。
「誰がそんな趣味の悪い目玉ローブなど着るものか」
「ファッションにうるさい?」
「そういう問題じゃない」
 青年は少し考えるそぶりをして、ぱちんと指を鳴らした。ふりをしただけかもしれない。
「まっ。個人の嗜好にとやかく言わないのがクロウラーの掟です。別に着なくてもいいですけど、フクロウが寄ってきますよ」
「だったらなんだっていうんだ」
「このへんのフクロウは人の味を覚えてますよ」
「……」
 おののいたわけではない。そう自分に言い聞かせながらも、ライオネルはローブに袖を通した。青年は、それをどこか満足そうに眺めると、一足早く森に踏み込んでいく。
「なんでしたっけ、観光じゃなくて……」
「国家直属魔術部評定審査官」
「そうそれ。いやあ、本当に視察にいらっしゃるなんて思いませんでした。もう何年もお役人さまは現地には来ていません。書類の上で、ハンコを押すだけです。なんたってここは西の流刑地ですからね。燃え尽きた燃えカスか、くすぶった野心の行き着くところ……火消しのカクレイン。落とし穴。さわらぬ神にたたりなし、って知ってます? っていうか、ライオネルさんはなにをやらかして……」
「貴殿の名前をお伺いしたい」
「えっ。ぼ、僕の名前ですか」
 青年は妙に照れた。
「お前を見ているとイライラする。訴状に必要かもしれないからな」
「ああ。はい。リスジールです」
 リスジールはぽりぽりと頭を掻く。
 リスジールは不愉快のサインを読み取るほど、ライオネルの表情など見ていないようだった。
 手のひらにはあと息を吐きかけると、リスジールはさくさくと小道を進んでいく。それでも、お喋りは揺るがない。ライオネルは、むっつりとだまってその後ろをついていく。
 道を進むにつれて木々の密度は濃くなり、小道は狭くなってくる。二人が並んで歩くには、ところどころ枝が張り出していたりで道幅が足りない。
「それで、ここの森ではクルミが取れるんですけれども、そのクルミっていうのが、……」
 リスジールはライオネルより歩くのが早く、常に五歩くらい先を歩いていたが、ときどき立ち止まっては歩調を合わせているらしい。
 疲れてくると、腹を立てるのも相槌もいよいよバカらしくなってきた。何もしゃべらなくても、リスジールは勝手にしゃべっているのだ。
 次第に夜が更けてきた。僅かに残った夕暮れの日差しと、リスジールが点けたランタンだけがあたりを照らしている。
 リスジールがライターで火をつけるとき、古いライターがジュポ、と妙な音を鳴らした。魔法使いといえば杖から火を出したり石から火花を散らしたりするものと思っていたので、ライオネルは少々驚いた。そうしているとリスジールが葉巻を取り出したので、ライオネルは、石や大きな杖はそれだけで手がふさがるためにふさわしくないのだろうと推測した。
 揺れるランタンの周りをたびたび大きな蛾がおびき寄せられてまとわりつく。たまに、リスジールは虫を払いのけるようにランタンをぶんと振る。すると蛾の羽が軽く燃え上がり、慌ててばたばたと去っていく。妙に大きい蛾だった。
 夜の森は静かだ。呼吸の音や足音、虫の羽音や獣のかすかな鳴き声などが明瞭に聞こえる。フクロウの話を思い出したのと、寒さでライオネルは身震いした。
 しばらく歩いたところでリスジールの動きが不意に止まったので、ライオネルは、柔らかいローブの背中に鼻先をぶつけた。
「この辺で少し休みましょうか」
「いや、とっとと行こう」
 疲れてはいたが、あまり得体のしれないところで立ち止まりたくはなかった。既に日は暮れていて、あたりは真っ暗だ。リスジールはこちらを振り返ると眉根を寄せた。
「僕が休みたいんです」
 なら聞くな。
 ライオネルは胸中で吐き捨てたが、反論する気力はもうなかった。

 リスジールはあごで切り株を指すと、ランタンを吊り下げている針金を地面に刺す。マントを取り外し、地面に敷いてじぶんはその上にどかりと座った。ライオネルは切り株に腰かけた。しばらく視線を彷徨わせていたが、気を紛らわせてくれるものもない。
 リスジールは、鼻歌混じりに星を見て数えている。不気味なにやにや笑いが気に障った。
「専攻は? 星占いか」
「え?」
 リスジールの頬にパッと嬉しそうな表情が浮かび、ライオネルは揶揄をほんの少し後悔した。
「専攻ですか?」
「私はさほど詳しくはないが、いろいろあるだろうに。占星術とか」
 ライオネルは自分の言い方が悪くて通じなかったのかと、言葉を戻した。するとリスジールは廻心したようにうなずき、両足を空中に投げ出した。
「ああ、つまり大学で学んだことってことですか?」
「はあ」
「強いて言えば愛ですかねー」
「強いて言わなければなんなんだ?」
「先生と不適切な関係を持ったかどでクロウラーに島流しです」
 ライオネルはことばを失った。
「ふ、ふて、不適切な……ちょっと待て、ルディは学生をよこしたのか?」
「あれ。いえ。卒業してもうずいぶん経ってます。クロウラーに籍はありますが。魔法があんまり上手じゃないので、観光客相手に道案内をして、それで生計を立てています」
 リスジールはにっこりとほほ笑んで、マントを羽織りなおすと、星を見上げた。
「さあ、朝までには着くと思いますよ」
 リスジールの言ったことは冗談ではなく、クロウラーへの道程は朝までかかった。やっと開けたところに出たころには、空は白みかかっていた。
 道は途切れていた。ぐるりと取り囲むような木々の周りは、切り立った崖に囲まれている。綺麗な月が出ていたが、なんのなぐさめにもならない。
 崖を見たライオネルは、血の気の退く心地がした。
「ま、まさかあの崖を登るなどと言うのでは……」
「別に、止めませんが。着きましたよ」
 それを聞いて、ライオネルが心底安堵したのは言うまでもない。
 一方で、リスジールは平気そうな顔をしていた。息もあがっているようには見えない。

 リスジールは空間の中央ほどに歩み寄った。立ち止まったところには一見すると何もないように見えたが、よく見れば、直径が3mほどもある丸い円があった。魔方陣かと思っのだが、違う。リスジールが明かりをくくりつけていた棒からランタンを外して、ライオネルに手渡した。ライオネルはどうするか迷った末、それを休憩のときと同じように地面に差し込んだ。
 リスジールは棒を両手に持ち替えて、棒に円の片側をひっかけると、てこのようにして両手でぐっともち上げた。クロウラーへの道をふさいでいたのは、なんのことはない、ただの金属の蓋のようだった。
 ばきっという音がして棒がひしゃげたが、リスジールはしれっとした態度をしていた。
「ここです」
 ライオネルがしゃがんで覗き込むと、深く、底知れない暗闇が見えた。なんだか、引き摺り込まれてしまいそうな暗さだった。ライオネルは一瞬、ぞっとしたが、漂ってくる生暖かい空気が夜の寒気よりはいくらかマシで、それで気を取り直した。
 縄ばしごが暗闇にわたしてあり、入口の方は少し広く、なんとか二人乗れそうな足場がある。
 恐怖とは裏腹に、ライオネルは、この深く土っぽい暗闇はどこか懐かしいような、そんな気がした。
 未だ味わったことはないが、これから――そうだ。ひょっとすると死後、土の下に身を横たえるような。そしてそれがさして特別なことではないような、しいて言えば、これは……親近感というものだ。

 リスジールはライオネルを先に行かせたが、どうやら、入り口を閉めるだけだった。ぎしぎしと金属がきしむ音がして、蓋が元通りの位置に収まった。
 蓋が閉まった衝撃で舞い上がった土ぼこりがおちつくと、あたりには静寂が戻り、再びリスジールが棒の先にひっかけたランタンと、蓋の穴から染み出すこぼれるような月光が、気休め程度に光度を足していた。

2014/02/03