クロウラーへようこそ?(後)

 下へ下へと降りていくうち、ライオネルは、縄ばしごというものがゆらゆらと揺れて案外降りにくいものだと知った。身体の重心が定まらず、ぐらぐらと身をゆすぶられるような不快感がある。それに、横に渡されたロープの感覚が一定ではない。靴底が何度も縄をとらえそこね、滑り落ちそうになる。そのたびに背筋がひやひやとした。
「帰るときはこれを登るのか?」
「ああ、それはご心配なく」
 ライオネルは、リスジールのその返答を多少奇妙に思ったのであるが、聞き返すのも恐ろしかった。あれだけうるさいリスジールの顔は見えない。
 リスジールは慣れているのか、存外に平気そうである。それどころかランタンを担いで、片手でするすると降りていく。ライオネルがはしごを大きく揺らしても、どこ吹く風で縄をいなす。そのたびに頼りないようなランタンの明かりが、円筒形にくりぬかれた土の壁にところどころ反射して、ゆらゆらとクロウラーへの道を演出してみせた。
 ライオネルは、なるべく下を見ないようにして慎重に降りることに決めた。
(どれだけ深いんだ、この穴は……)
 なかなか下までたどり着かない。なんとかしてはしごにしがみつくが、どうにも手に力が入らない。いっそこのまま滑り落ちた方が早いのでは、などという馬鹿な考えも頭をちらつく。慎重に、と言い聞かせて、ひたすらに下へ下へと縄ばしごを下りる。
 どれほど降りたのだろう。
 リスジールは、はしごを降りてからずっと黙っていた。
 ライオネルはきわめて無心を装う。ほとんど口をきく元気もなかった。落ちたらどうなるかも考えたくはない。残りがあとどれくらいなのか聞いてしまえば、失望した時にそのまま動けなくなりそうな予感がした。
 横に渡された縄が、足を動かすのと同じリズムで目の前を横切っていく。靴が擦れる音が眠気を誘う。規則的なリズムと疲労が、判断を鈍らせる。
 ふっと明かりが遠のいた。
「なん……」
 急に背中を引っ張られるような感覚がした。ぐらりと頭が揺れて、足を踏み外した。腹のみぞおちのあたりがひやりとする。明かりが一周して縁を照らした。井戸の底のようなせまい円筒形の石積みが、急に広がりを見せる。ライオネルを飲み込もうと動いたような気がした。
 咄嗟に伸ばした腕は、思い切り空を切った。
 はしごが大きくたわむ。リスジールがランタンを咄嗟に手放し、ライオネルに片手を伸ばした。ランタンの火の粉が微かにこぼれ、ライオネルの頬をかすめる。
 ランタン明かりはふっと消えた。
 追いすがって掴みかけた手は、するりと抜けてライオネルを突き飛ばした。
「ようこそ、クロウラーへ!」
 リスジールの愉快そうな叫びがわんわんと耳に反響する。ライオネルはまっさかさまにクロウラーの底へと落ちていった。

(死んだのか?)
 ライオネルは、ふかふかとした布団のような感触を覚えた。痛みはない。土っぽい、粘土のようなにおいが鼻を突く。懐かしい記憶。
 いや。今まで、土に埋められたためしはない。
 手を伸ばすと、そこに空間があるのが分かった。そのまま手のひらで自分の胸のあたりを押さえる。心臓はどくどくと脈打っていた。
 なつかしさ。
 急に汗がにじんだ。
 そのなつかしさは、どちらかといえば生物である自分が、根源的に持っている感覚のような気がした。
 どれくらい経ったのだろうか。どっさりとした疲労が急に襲ってきて、心地よい睡眠が後頭部を地面に引き寄せているようだった。無理やりに上半身を起こすと、額が何かにぶつかった。相手は、キイキイいう声をあげると後ずさった。
 子鬼だ。
 子鬼が横にうずくまっている。ライオネルは、あまりに疲れ切っていた。叫び声は息をのむ音に取って代わられた。

 ライオネルは、ぽっかり空いた穴の底にいた。ドームのような丸い空間。煙突のような穴が天井に空いている。しめった匂い。こけのにおい。そこからロープが垂れ下がっていて、自分はそこから落ちてきたのだと知れた。縄ばしごというよりは、結び目のある縄といった感じだ。
 上を見上げると、微妙にずれた蓋が三日月のように地面を照らしている。思わずめまいがして、額を押さえた。

「許可証」
 ライオネルは思わず飛びのいたが、男は顔をしかめただけだった。
 子鬼に伴われて、年老いた男がそこに立っていた。朗々としていたが、しわがれたような声だったので、そこそこに年のいった人物だとわかった。
「許可証」
 男が顎で促すと、子鬼がゆっくりとライオネルに近づき、手を伸ばしてきた。長い爪がライオネルの顎すれすれをかすめる。
「……ひっ……」
 ライオネルは思わず後ずさり、石壁に背中をぶつけた。
「許可証、と言っておるのが聞こえんのか、間抜けめ」
 男は大杖を持ち、地面にゆったりとついていた。しわの奥に刻まれた目は鷲のように鋭く、ライオネル以上に気難しそうな男だった。
「ルディ・ミットリスフェン……」
 ライオネルが名を呼ぶと、老人は目を細める。
「責任者の名前くらいは知っているようだな。次はないぞ、許可証を」
 ルディ・ミットリスフェン。現在のクロウラーの長であり、グロリアス・クロウラーその人だ。ライオネルは懐を探ると、なんとか身に着けていた書類が入ったファイルを渡した。
 ルディは、書類を改め、ペンライトをかざす。書類を二重にも三重にも見合わせると、鼻を鳴らした。
「足りんな。巣窟侵入許可証は、国とここのふもとの町の長のと両方要るはずだ」
「足りない? 私はきちんと用意したはずだが、よく調べて……足りないとどうなる?」
「どうもならん。お帰り願おうか」
 ライオネルの顔はこわばった。みるみるうちに心臓の鼓動が早くなり、耳鳴りがした。
「ここまで来たのに?」
「ああ」
 両者の間に沈黙が落ちた。
「……それがおまえら魔法使いのやり口なんだな。そうやって、手続きがどうとか言って、今まで干渉をはねのけてきたわけだ。ふざけるなよ……そんな手が通用すると思っているのか」
「立場が分かっとらんようだな」
 ルディは、ゆっくりと杖を振った。
(……!)
 リスジールはルディに向かって構えた。ルディはそれを意にも介さず、呪文を唱え、杖を持たない左手で妙な動きをさせた。瞬間、後ろからツタが伸びてきて、ライオネルの首を締め上げた。
「太古のクロウラーは契約書をもたん。妙なルールを持ち込んだのは地上の人間じゃあるまいかね」
 ライオネルはほとんど身動きが取れなかった。この男の目はどこまでも冷たく、隙というか、付け入るような人情味が薄いのだ。
(殺される?)
 気に入らなければ、今にも絞め殺される、そんな心地がした。
 しばらくの沈黙ののち、不意にルディは手を下ろす。
 拘束が緩んだ。
 ライオネルが膝をついて短く息を吐いていると、ルディもまた、大きくため息をついたのだった。
「別に、お前がここを嫌おうが嫌うまいが関係がない。むしろ、妙な世話を焼かれない方がマシ、といった考えもあるがな」
 ライオネルが何か言おうとしたのを、ルディは先回りしてぴしゃりと言った。
「ここにやってくる役人どもは、居なくなっても困らんものばかり。まあ、お前なら無害そうだ。魔術師の巣に丸腰でやってくるくらいの愚か者ならな。荷物はそちらだ。どうぞ、私が八つ裂きにしないうちにお帰りを」
 ルディが懐から取り出した鈴を鳴らすと、ゴブリンが何かを運んできた。毛布の上に衣服が几帳面に畳まれていた。
 それで、ライオネルは頭のてっぺんからつま先まで、身体がぐっしょりと濡れていることに気が付いた。
 ルディが無造作に杖を一振りすると、ライオネルに熱風が吹き付けた。ライオネルは反射的に目を閉じたが、開けるころには、何もかもすっかり渇いていた。
 ルディは首を横に振った。
「足りんのだよ、思慮深さと分別が足りん。クロウラーとてアカデミーの傘下。あまりに無礼を働くと、怒りを買って、お前はしがみついているちんけな歴史から抹消されることになる」
「……」
「とまあ。アカデミーに頼るのもどんなものかの。なんにせよ、クロウラーに貴様は余計だ。とっとと帰るがいい。しかし……」
 ライオネルは、帰りつけるのかとほっとしたが、代償を要求されるのかとうすら寒くなった。
 ルディが口にしたのは思いがけない言葉だった。
「どうやってここへ来た? カクレインの森を迷っていた、ようには思えないが」
「1人で? 案内の者がいたじゃないか」
 ライオネルは思い至った。あの男がいない。
「そうだ、リスジールはどこだ?」
「リスジール?」
 ルディのしわがますます深くなった。それから、合点したようにふっと笑った。
「そんなものは知らんな」

 そしてそれから、ライオネルはどうやってふもとの村に帰りついたのか分かって居ない。飛びつくようにしてロープを掴むと、まるでライオネルを引き上げるようにぐるぐるまとわりついて、ぐんぐんと伸びてライオネルを入口へと放り出した。
 違和感を検討する余裕はなかった。三日月の裂け目に身を躍らせると、服が引っかかって裂けるのも厭わず身をねじ込んだ。
 もう二度と、クロウラーには関わるまい――井戸のような入り口から這い出して、ライオネルは思った。それから森を抜けて――森も、来た時よりも何倍も速くライオネルを村に帰した。
「うんざりだ」
 ライオネルは吐き捨てると、来た道を引き返して行った。

「ふむ。ここクロウラーで、きちんと書類がそろったためしはないものだ」
 ルディは、気絶したうちにライオネルから取り上げた一枚の紙切れをゆっくりともてあそぶと、杖でつついてくしゃくしゃに丸めてしまった。
「あれ、ルディ」
 リスジールは昼過ぎに起きてきた。きょろきょろとあたりを見回すと、入り口の尻もちの跡を見聞して残念そうに言った。
「あの人、帰っちゃった?」
「勝手に帰ってった」
「は! っはー!」
 リスジールは面白そうに笑った。
「それにしても、あんたはアンデット使いが荒い」
「人をこき使うのも手間だろうが」
「そりゃそうかもしれないけどさあ、ルディは死人に冷たいよ」
「体温と親切は比例する」
「なにそれ」
 ルディがでっち上げた適当な方程式に、リスジールはけらけら笑った。ルディの冗談を理解するまでにはそれこそ数十年のときを要した。気難しい顔で冗談を飛ばすものだから、笑いの相伴をするにはコツがいるのだ。笑いどころを間違うとタダでは済まないものである。
「お前、学生だったって? ずいぶんと適当なうそをついたもんだな」
「まあ、入学したのは死んでからだったけどねー」
 リスジールは空を見上げた。蓋の半月の明かりが、先ほどよりも大きくなっていた。
「また来ないかなあ、あの人」
「もう来はせんよ。あるいは、生きてるうちはな」
 リスジールは陰険に笑った。
「まあ、数年はクロウラーも安泰かな。でもあの人、何年お役人でいられるかな」
「賭けるかね?」
 ルディはいたずらっぽく笑う。
「じゃあ、みんなにも聞いて来よう」
 リスジールはカンテラを振りかざすと、クロウラーの伝令管に向かってカンテラをがしゃがしゃと鳴らした。数秒おいて、寝ていてたたき起こされた者たちから怒鳴り声がしてきた。うち3割ほどは生きていない。

 別に口実は何でもよろしい。ルディは、リスジールが起きて10年ぶりに外の話をしたかっただけだ。あのライオネルという男のことを、仲間たちにはなんと説明したものか。色々な形容詞が頭の中を行ったり来たりする。
 偏屈という二文字が浮かんだが、下手に口にすると、ルディの気に障りそうだった。


2014/02/03 そういえば、「ライオネル」は昔大好きだったPSOのクエストのNPCからとりました。