大泥棒ヴェノール

 大泥棒ヴェノールに関する、たった一組みの指輪がある。世界で二つきり。なんの変哲もない鉄の指輪だ。
 ヴェノールは、表向きずっとしがない細工屋のふりをしていた。だがね、俺に言わせれば、ヴェノールが金具を睨むときの目つきをよくよく見ればわかったはずだ。客の貴金属に手を付けるような、そんな野暮なことはしなかったが。ヴェノールのところには、腕が良くて町中のアクセサリなんぞが持ち込まれた。
 ヴェノールは、それで客を品定めしてたんじゃないか。ヴェノールはもちろん最高に腕が良かったが、貧民街で下請けの下請けの下請け。賃金はスズメの涙ほど。

 だからだろうか。ヴェノールは稼ぎをやっていた。特権階級に押し入って大量の財産を奪ったってことになってる。けれど、せしめた金貨の山はは壺に入れて世界各地に埋めていた。おそらくスリルの部分が多かったんだろうってことになってるが、いよいよ、世間に露見することはなかった。だから、ヴェノールはあまり有名でない。
 ヴェノールは残忍だった。使用人も邪魔になるようなら容赦なく屠った。しかし稼いだ金で地元じゃ派手に遊びまわることもなかった。えらく賢かった。多くの場合、浪費から足がつくものだ。ヴェノールはやっぱり残忍だった。ただ一人の女房が病気になっても、ヴェノールは一切、隠し財産には手をつけなかった。
 ヴェノールは落ちぶれるまえはさびれた商家の次男坊で、過ぎた金を持つといったいどういうことになるのかよくよく承知していたのだというやつもいるっけな。だから金を使う事に興味がないのかもしれない。俺が思うに、いくつかは戦利品として加工したろうね。
 ヴェノールの妻は夫の薄給を嘆きながら、薬が買えなくて、それでも愛していると言って死んでいった。

 で、本題はこれだ。世界に二つとない美しい倹約の指輪がここにある。よく見ろ、彫り込まれている。見ろ。ちいさく、愛するヴェノール 俺は俺だけを愛する……素敵な文句だ。奥方は病気で眼がほとんど見えなかったのだ。字が読めるような教養もなかった。ヴェノールは、しばらく世間に姿を表していない。

 とある貴族の屋敷に押し入りが入って、野犬に噛み殺された。するとその男がこの指輪をはめていた。あの薄汚い子男こそが世紀のヴェノールだ。どうだ? 指輪にもそう書いてある。どうだ? 良い話か? つくり話? なんでもいい。この幸運の指輪を、お買いになりますか? 奥方が死んだ今となっては、世界にたったひとつだけ。どうなさいますか。興味がないなら別の客に売る。――なんだ? どうして笑う?
 
 男は腹から可笑しそうに笑っていた。それで、店主は眉をひそめた。男は、店主に左手を差し伸べ、掴みかかる。唾を吐きかけて言った。

「墓荒らしと一緒にされるなんて心外だ! だが、アンタは正しい。俺は上手くやった。それに、あいつを愛していた。その指輪は俺のじゃなくて、墓で眠っている、俺の妻のだから、返してやってくれないか」
 ぎりぎりと店主の首を締め上げる男の薬指には、売り物とそっくりの指輪がはまっていた。売られていたのは、ヴェノールの妻の指輪だったのだ。

『指輪泥棒』