賄賂握るも楽じゃない

 やあ、と、握手の手を差し出され、ちゃりんちゃりんと不自然な音が鳴った。言わずもがな、言わずが華の賄賂である。今の私には、悲しいかな、喉から手が出るほど欲しい財貨であった。
 一日の給料と比べてやや余る額。妻と子、そして私。昨日の夕食は豆のスープ。長らくタンパク質をとっていない。

 私は牢の鍵を開けて、わざとらしくそっぽを向いて読書に熱中しているふりをした。
 国に捧げた公正と忠実の誓いはどうなっているのか。心苦しいが、同じくらい生活も苦しいのであって、目をつむることとぐうぐうと眠りこけていることのどちらがましなのか。
 目の前の老シュゴラス公はいつ起きているのかもわからないほどによく寝ていらっしゃる。それで騎士が務まるっていうんだから傑作だ。「騎士たるはたるたるものは……」戦いがなくなって以降、我々の出番は少ないのである。

 しかしまあ、この囚人というのはまたしょうもないコソ泥なのである。どこに居ようと対して違いはないだろう。なんたって、民家でぐうぐうと寝ているところを掴まえたのだ。しかもベッドで。
 それでありながらこうやって少なからぬ額を弾んで助けてくれる仲間がいるんだから、ひょっとすると人徳はあるのかもしれんが。
 切り株を守るようだな、全く。

 囚人はこちらを警戒しているようだった。良い兆候だ。私がまだ、客観的には牢屋の番人であるということだ。しかしながらしばらくすると、ぐうぐうと寝息がサラウンドに聞こえてきて驚いて振り返ったらシュゴラス爺と同じタイミングで息すって吐いて寝てやがるのな。
 見かねて囚人の方を揺り起こすとびくりと肩を震わせてそれからにこやかに笑った。なんとなく汚いうさぎを思わせるような笑みだった。人畜無害を絵にかいたような男である。
 私はふんと息を吐いて持ち場に戻り、用事を思い出して武器の手入れに夢中になっていることにした。
 しかしこの男、扉が開いて居るのに気が付かないのか、いつまでたっても出てこないのである。鈍い。鈍い。しかしながら牢屋に捕まっている囚人というものはすべからくどこかヘマをしたやつらであって……考え事をしていたら、微かな金属音がした。カチャリ、カチャリと音がした。やっと出てくるのか。ガシャン!

 私は唖然とした。牢が閉まっている。なんで閉まってるんだ馬鹿、こら、どうやら囚人は隠し持っていたご自慢のピックでご丁寧にも牢屋の鍵を閉めてしまったようだった。開けてやったんだよ馬鹿。私は閉めなかったろうが。
 思いっきりうかれて鉄扉を押したのかものすごく大きな音が来た。シュゴラス爺も目を醒まして慌てて剣を抜くと「キエエエーイ」と妙な声をあげた。びゅん、いて。びゅん、いて。そしてぱちくりと目を瞬かせると囚人の方と目を合わせてぱちくりと瞬いた。
 二人が同じタイミングでにこやかに笑った。

 行きはよいよい、帰りは怖い。賄賂握るもラクじゃない。賄賂の責務を果たせずいると、金がぐいぐい重くなる。
 私は、いったいどうやってこの間抜けな囚人を逃がしたものかと頭を抱えた。


『賄賂握るも楽じゃない』